弁名 / 禮
嗚呼先王之思深遠也。在千載之上。而旣知言語之敎不足以盡乎道。是故制作禮樂以敎人。而後之學者猶且舍其敎。唯言語是務。夫舍其禮而不使學。而欲以己之言盡夫先王之禮多見其不知量已。辟諸舍彼規矩準繩而不用。曰汝苟用吾言。則雖舍規矩準繩。亦足以爲方圓曲直焉。豈不妄哉。
新字:嗚呼先王之思深遠也。在千載之上。而既知言語之教不足以尽乎道。是故制作礼楽以教人。而後之学者猶且舎其教。唯言語是務。夫舎其礼而不使学。而欲以己之言尽夫先王之礼多見其不知量已。辟諸舎彼規矩準縄而不用。曰汝苟用吾言。則雖舎規矩準縄。亦足以為方円曲直焉。豈不妄哉。
書き下し
嗚呼、先王の思ひ深遠なり。千載の上に在りて、既に言語の教の以て道を尽くすに足らざるを知る。是の故に礼楽を制作して以て人を教ふ。而して後の学者猶且つ其の教を舎てて、唯だ言語のみ是れ務む。夫れ其の礼を舎てて学ばしめずして、己の言を以て夫の先王の礼を尽くさんと欲す。多く其の量を知らざるを見すのみ。諸を辟ふれば、彼の規矩準縄を舎てて用ひずして、「汝苟も吾が言を用ゐば、則ち規矩準縄を舎つと雖も、亦た以て方円曲直を為すに足らん」と曰ふがごとし。豈に妄ならずや。
現代語訳
ああ、先王の思慮は深く遠い。千年も昔に、言葉による教えでは道を尽くせないことをすでに知っていた。だから礼楽を作って人を教えたのである。ところが後世の学者は、なおもその教えを捨てて、ただ言葉ばかりに努めている。礼を捨てて学ばせず、自分の言葉で先王の礼を言い尽くそうとするのは、身の程を知らないことを示すだけだ。たとえて言えば、コンパスや定規、水準器や墨縄を捨てて使わずに、「お前が私の言葉どおりにやれば、道具を捨てても四角や円、曲線や直線を描けるだろう」と言うようなものだ。でたらめではないか。
解説
この章句が説くこと
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