弁名 / 聖
葢堯舜禹湯文武周公。作者七人。其所制作禮樂政敎。君子學焉。故祀諸學。傳曰。釋奠於先聖先師。又曰。天子將出征。類乎上帝。宜乎社。造乎禰。禡於所征之地。受命於祖。受成於學。出征。執有罪。反釋奠于學。以訊馘告。是學無所祀之神。何所受成。何所告。詩曰。既作泮宮。淮夷攸服。矯矯虎臣。在泮獻馘。淑問如皐陶。在泮獻囚。在泮獻功。是其事也。明堂位曰。米廩。有虞氏之庠也。序。夏后氏之序也。瞽宗。殷學也。頖宮。周學也。祭義曰。天子設四學。是天子大學兼四代之制。合祀四代聖人者審矣。
新字:葢堯舜禹湯文武周公。作者七人。其所制作礼楽政教。君子学焉。故祀諸学。伝曰。釈奠於先聖先師。又曰。天子将出征。類乎上帝。宜乎社。造乎祢。禡於所征之地。受命於祖。受成於学。出征。執有罪。反釈奠于学。以訊馘告。是学無所祀之神。何所受成。何所告。詩曰。既作泮宮。淮夷攸服。矯矯虎臣。在泮献馘。淑問如皐陶。在泮献囚。在泮献功。是其事也。明堂位曰。米廩。有虞氏之庠也。序。夏后氏之序也。瞽宗。殷学也。頖宮。周学也。祭義曰。天子設四学。是天子大学兼四代之制。合祀四代聖人者審矣。
書き下し
蓋し堯・舜・禹・湯・文・武・周公は、作者七人なり。其の制作する所の礼楽政教、君子焉を学ぶ。故に諸を学に祀る。伝に曰く、「先聖先師に釈奠す」と。又曰く、「天子将に出征せんとするや、上帝に類し、社に宜し、禰に造り、征する所の地に禡し、命を祖に受け、成を学に受く。出征して有罪を執へ、反りて学に釈奠し、訊馘を以て告ぐ」と。是れ学に祀る所の神無くんば、何れの所にか成を受け、何れの所にか告げん。詩に曰く、「既に泮宮を作り、淮夷攸に服す。矯矯たる虎臣、泮に在りて馘を献ず。淑く問ふこと皐陶の如く、泮に在りて囚を献ず」、「泮に在りて功を献ず」と。是れ其の事なり。明堂位に曰く、「米廩は有虞氏の庠なり。序は夏后氏の序なり。瞽宗は殷の学なり。頖宮は周の学なり」と。祭義に曰く、「天子四学を設く」と。是れ天子の大学は四代の制を兼ね、四代の聖人を合祀する者なること審らかなり。
現代語訳
思うに、堯・舜・禹・湯・文王・武王・周公は、制度を作った「作者」の七人である。彼らが作った礼楽・政治・教化を君子は学ぶ。だから学校で彼らを祀るのである。『礼記』に「先聖・先師に釈奠(供え物の祭り)をする」とある。また「天子が出征しようとするときは、上帝に類の祭りをし、社に宜の祭りをし、父の廟に造の祭りをし、征伐する地で禡の祭りをし、祖先から命を受け、学校で作戦の成算を受ける。出征して罪ある者を捕らえ、帰ると学校で釈奠をし、捕虜と討ち取った耳をもって報告する」ともある。もし学校に祀る神がいなければ、どこで成算を受け、どこに報告するのか。『詩経』に「泮宮(学校)を建てると、淮夷は服従した。勇ましい武臣は泮宮で討ち取った耳を献じ、皐陶のように巧みに取り調べる者は泮宮で捕虜を献ずる」「泮宮で功績を献ずる」とあるのが、そのことである。『礼記』明堂位に「米廩は有虞氏の学校、序は夏の学校、瞽宗は殷の学校、頖宮は周の学校である」とあり、祭義に「天子は四つの学校を設ける」とある。天子の大学が四代の制度を兼ね備え、四代の聖人をあわせ祀っていたことは明らかである。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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