弁名 / 聖
至於孔子。則生不遭時。不能當制作之任。而方其時先王之道廢壞已極。乃有非先王之道。而命以爲先王之道焉者。有先王之道而黜不以爲先王之道焉者。是非淆亂。不可得而識也。孔子訪求四方。釐而正之。然後道大集於孔子。而六經於是乎書。故中庸曰。苟不至德。至道不凝焉。是之謂也。且其一二所與門人言禮樂者。制作之心。可得而窺矣。故當時高弟弟子如宰我子貢有若。既稱以爲聖人者。不翅以其德。亦爲制作之道存故也。
新字:至於孔子。則生不遭時。不能当制作之任。而方其時先王之道廃壊已極。乃有非先王之道。而命以為先王之道焉者。有先王之道而黜不以為先王之道焉者。是非淆乱。不可得而識也。孔子訪求四方。釐而正之。然後道大集於孔子。而六経於是乎書。故中庸曰。苟不至徳。至道不凝焉。是之謂也。且其一二所与門人言礼楽者。制作之心。可得而窺矣。故当時高弟弟子如宰我子貢有若。既称以為聖人者。不翅以其徳。亦為制作之道存故也。
書き下し
孔子に至りては、則ち生まれて時に遭はず、制作の任に当たること能はず。而して其の時に方りて先王の道廃壊已に極まる。乃ち先王の道に非ずして、命けて以て先王の道と為す者有り、先王の道にして黜けて以て先王の道と為さざる者有り。是非淆乱して、得て識るべからざるなり。孔子四方に訪ね求め、釐めて之を正し、然る後に道大いに孔子に集まりて、六経是に於てか書す。故に中庸に曰く、「苟も至徳ならざれば、至道凝らず」と。是の謂なり。且つ其の一二門人と礼楽を言ふ所の者、制作の心、得て窺ふべし。故に当時の高弟弟子、宰我・子貢・有若の如き、既に称して以て聖人と為す者は、翅に其の徳を以てするのみならず、亦た制作の道存するが為の故なり。
現代語訳
孔子に至っては、生まれた時代に恵まれず、制作の任に当たることができなかった。しかもその時代、先王の道の崩壊はすでに極まっていた。先王の道でないものを先王の道と称したり、先王の道であるものを退けて先王の道としなかったりして、是非が入り乱れ、見分けることができなかった。孔子は四方に訪ね求めてそれを整理し正した。そうしてはじめて道は大いに孔子に集まり、六経がここに書き記された。だから『中庸』に「至徳の人でなければ、至道は凝り固まらない」とある。このことを言うのである。また、孔子が門人と一つ二つ礼楽について語った言葉から、制作の心をうかがうことができる。だから当時の高弟である宰我・子貢・有若らが孔子を聖人と称したのは、その徳のためだけでなく、制作の道がそこにあったからである。
解説
この章句が説くこと
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