弁名 / 智
知人者。謂知仁賢也。是智之大者也。書曰。在知人。在安民。是皐陶立智仁二德。以爲萬世法。蓋制作禮樂者。聖人之智。而非通下者焉。然至其所以平治天下者。則不出於是二言也。雖後世之君。雜覇之主。亦非是二者。則不能成其隨分之治也。至哉言乎。
新字:知人者。謂知仁賢也。是智之大者也。書曰。在知人。在安民。是皐陶立智仁二徳。以為万世法。蓋制作礼楽者。聖人之智。而非通下者焉。然至其所以平治天下者。則不出於是二言也。雖後世之君。雑覇之主。亦非是二者。則不能成其随分之治也。至哉言乎。
書き下し
人を知るとは、仁賢を知るを謂ふなり。是れ智の大なる者なり。書に曰く、「人を知るに在り、民を安んずるに在り」と。是れ皐陶智仁の二徳を立てて、以て万世の法と為す。蓋し礼楽を制作する者は、聖人の智にして、下に通ずる者に非ず。然れども其の天下を平治する所以に至りては、則ち是の二言を出でず。後世の君、雑覇の主と雖も、亦た是の二者に非ざれば、則ち其の分に随ふの治を成すこと能はず。至れるかな言や。
現代語訳
人を知るとは、仁者や賢者を見出すことを言う。これは智の中で最も大きなものである。『書経』に「(政治の要は)人を知ることにあり、民を安らかにすることにある」とある。これは皐陶(舜の臣)が智と仁の二つの徳を立てて、万世の法としたものである。思うに礼楽を制作するのは聖人の智であって、下々に通じるものではない。しかし天下を平らかに治める方法となると、この二言を出ない。後世の君主で、王道と覇道をまぜて治める主であっても、この二つがなければ、身の丈に応じた治世さえ成し遂げられない。なんと至れる言葉であろうか。
解説
智の中で最も大きいのは「人を知る」こと、すなわち仁者・賢者を見出すことだと徂徠は言う。『書経』皐陶謨の「人を知るに在り、民を安んずるに在り」は、智と仁を政治の二本柱とした言葉で、制度を作る聖人の智は真似できなくても、この二つは後世の凡庸な君主にも欠かせない。人を見る目と人を安んずる心があれば、身の丈に応じた治めはできる。経営でも、優れた戦略を自ら描けなくても、優れた人を見出して任せ、働く人を安心させることができれば、組織は相応にうまく回るのである。
この章句が説くこと
知人安民智仁人材書経
関連する章句
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『弁道』第七則然りと雖も、士先王の道を学びて以て徳を我に成さんと欲するも、先王の道も亦た多端なり、人の性も亦た多類なり。苟も能く先王の道の要は天下を安んずるに帰するを識りて、力を仁に用ふれば、則ち人各〻其の性の近き所に随ひて、以て道の一端を得。由の勇、賜の達、求の芸の如き、皆能く一材を成し、以て仁人の徒と為り、諸を天下を安んずるの用に共にするに足る。而して其の徳の成るや、夷斉の清、恵の和、尹の任の如き、皆必ずしも其の性を変ぜずして、亦た仁人たるを害せず。若し或いは力を仁に用ふるを識らざれば、則ち其の材と徳と、皆成ること能はずして、諸子百家此に由りて興る。此れ孔門の仁を教ふる所以なり。
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『弁道』第九則仁は養ふの道なり。故に国家を治むるの道は、直きを挙げて諸を枉れるに錯けば、能く枉れる者をして直からしむ。身を脩むるの道も、亦た其の善を養へば悪自ら消ゆ。先王の道の術なり。後世の儒者は先王の道を識らず、廼ち其の私智を逞しくして、以謂へらく、善を為して悪を去り、天理を拡めて人欲を遏むと。此の見一たび立てば、世唐虞に非ず、人聖人に非ざれば、必ず悪多くして善少なし。則ち殺気天地に塞がる。故に通鑑の国を治むるに於ける、性理の身を脩むるに於ける、人と我と皆其の苛刻に勝へず。遂に世人をして儒者は人を攻むるを喜ぶと謂はしむ。豈に悲しからずや。大氐商鞅の後、啻に朝廷のみならず、庠序と雖も亦た其の法を用ふ。宜なるかな其の三代に及ばざるや。
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『弁名』義孟子諸家の意も、亦た夫の義に差別有るに従ひて其の為さざる所有るの意を見、又諸を人心に推して悪を悪むの心の義為るを見、遂に諸を仁に配して以て道に命ず。蓋し其の初めは仁義を以て礼を賛す、則ち物尚ほ在り。其の卒は直ちに仁義を以て諸を道に命ず、則ち遂に其の物を失ふ。学者徒らに仁義の名を以て道を求むるが故なり。亦た其の時論説方に盛んにして、喜びて其の精微を言ひ、義は礼を離れて孤行し、古言漸く廃るるに由るのみ。此れより後、仁義の道、遂に千万世の儒者の常言と為る。亦た諸を古に稽へざるの失なり。彼の後世の君子、宋の諸老先生の若き者を観るに、其の学を語るや、務めて善を修めて悪を去り、天理を拡めて人欲を遏むるを言ひて、先王の教は唯だ其の善を導きて悪自ら消ゆるを知らず。其の治を語るや、務めて君子を賞して悪人を罰するを言ひて、先王の道は唯だ仁者を挙げて不仁者自ら遠ざかるに在るを知らず。其の人を論ずるや、務めて其の長短得失を備へて、先王の道は唯だ其の長を用ひて天下に棄才無きに在るを知らず。其の源を察すれば、亦た未だ必ずしも孟子より之を導かずんばあらず。則ち毫釐千里の差、豈に忽にすべけんや。学者之を審らかにせよ。
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