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弁名 / 智

智。亦聖人之大德也。聖人之智。不可得而測焉。亦不可得而學焉。故岐而二之。曰聖曰智。是也。故凡經所謂智。皆以君子之德言之如知禮。知言。知道。知命。知人。是也。知道者。知先王之道也。是統其全言之。無所不包。故難其人焉。孔子曰。爲此詩者。其知道乎。難辭也。知禮者。知先王之禮也。知言者。知先王之法言也。之二者。道之分也。分而言之。所以便學者也。先王之敎。詩書禮樂。詩書言也。義之府也。知言則知義。知禮與義。則道庶幾可以盡焉。不言樂者。亦難其人焉。

新字:智。亦聖人之大徳也。聖人之智。不可得而測焉。亦不可得而学焉。故岐而二之。曰聖曰智。是也。故凡経所謂智。皆以君子之徳言之如知礼。知言。知道。知命。知人。是也。知道者。知先王之道也。是統其全言之。無所不包。故難其人焉。孔子曰。為此詩者。其知道乎。難辞也。知礼者。知先王之礼也。知言者。知先王之法言也。之二者。道之分也。分而言之。所以便学者也。先王之教。詩書礼楽。詩書言也。義之府也。知言則知義。知礼与義。則道庶幾可以尽焉。不言楽者。亦難其人焉。

書き下し

智も亦た聖人の大徳なり。聖人の智は、得て測るべからず。亦た得て学ぶべからず。故に岐ちて之を二にし、聖と曰ひ智と曰ふ、是なり。故に凡そ経の所謂智は、皆君子の徳を以て之を言ふ。礼を知り、言を知り、道を知り、命を知り、人を知るが如き、是なり。道を知るとは、先王の道を知るなり。是れ其の全を統べて之を言ふ。包まざる所無し。故に其の人を難しとす。孔子曰く、「此の詩を為る者は、其れ道を知れるか」と。難ずるの辞なり。礼を知るとは、先王の礼を知るなり。言を知るとは、先王の法言を知るなり。之の二者は、道の分なり。分ちて之を言ふは、学者に便する所以なり。先王の教へは、詩書礼楽なり。詩書は言なり、義の府なり。言を知れば則ち義を知る。礼と義とを知れば、則ち道庶幾はくは以て尽くすべし。楽を言はざる者は、亦た其の人を難しとすればなり。

現代語訳

智もまた聖人の大いなる徳である。聖人の智は測ることができず、学ぶこともできない。だから分けて二つにし、「聖」と「智」と言うのである。だから経書で言う智は、みな君子の徳として言っている。礼を知る、言を知る、道を知る、命を知る、人を知る、などがそれである。道を知るとは先王の道を知ることである。これは全体をまとめて言ったもので、含まないものがない。だからそれができる人はまれである。孔子が「この詩を作った者は道を知っていたのだろうか」と言ったのは、難しいとする言葉である。礼を知るとは先王の礼を知ることであり、言を知るとは先王の模範となる言葉を知ることである。この二つは道を分けたもので、分けて言うのは学ぶ者の便宜のためである。先王の教えは詩・書・礼・楽であり、詩・書は言葉であって義の蔵である。言を知れば義を知る。礼と義を知れば、道をほぼ尽くすことができる。楽を言わないのは、それができる人がまれだからである。

解説

智の章で徂徠は、聖人の測りがたい智と、君子が学んで得る智を分ける。経書でいう智は後者であり、その中身は礼を知る、言を知る、道を知る、命を知る、人を知るという具体的なものである。特に「言を知る」とは他人の言葉を見抜くことではなく、詩書に残る先王の模範的な言葉を知ることだという。朱子学のように天下の理を見通す頭の良さを智とするのではない。仕事の智恵も、生まれつきの頭の回転ではなく、その道の作法と先人の言葉を身につけることで育つ。学べる智こそが、組織で共有できる智である。

この章句が説くこと

智礼知言先王詩書学問

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