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弁名 / 智

孔子稱臧文仲。不智者三。皆謂其不知禮矣。可見古者以不知禮爲不智已。孟子知言。亦謂知先王之法言也。苟能知先王之法言。則規矩在我足以知人之言焉。故下以詖淫邪遁言之耳。後儒不知道。故直謂孔子知人之言也。聽訟吾猶人也。是雖孔子不敢自道知人之言。況孟子而能之乎。故詖淫邪遁。亦好辯之過也。然又每以規矩爲言。則知其知言亦謂知先王之法言已。

新字:孔子称臧文仲。不智者三。皆謂其不知礼矣。可見古者以不知礼為不智已。孟子知言。亦謂知先王之法言也。苟能知先王之法言。則規矩在我足以知人之言焉。故下以詖淫邪遁言之耳。後儒不知道。故直謂孔子知人之言也。聴訟吾猶人也。是雖孔子不敢自道知人之言。況孟子而能之乎。故詖淫邪遁。亦好弁之過也。然又毎以規矩為言。則知其知言亦謂知先王之法言已。

書き下し

孔子臧文仲を称して、不智なる者三と。皆其の礼を知らざるを謂ふなり。古は礼を知らざるを以て不智と為すを見るべきのみ。孟子の言を知るも、亦た先王の法言を知るを謂ふなり。苟も能く先王の法言を知れば、則ち規矩我に在りて以て人の言を知るに足る。故に下に詖淫邪遁を以て之を言ふのみ。後儒は道を知らず。故に直ちに孔子の人の言を知ると謂ふなり。訟を聴くは吾猶ほ人のごときなり、と。是れ孔子と雖も敢へて自ら人の言を知ると道はず。況んや孟子にして之を能くせんや。故に詖淫邪遁も、亦た弁を好むの過ちなり。然れども又た毎に規矩を以て言と為せば、則ち其の言を知るも亦た先王の法言を知るを謂ふを知るのみ。

現代語訳

孔子は臧文仲について「智でないことが三つある」と言ったが、みな礼を知らないことを指している。古くは礼を知らないことを不智としたことがわかる。孟子の「言を知る」も、先王の模範となる言葉を知ることを言う。もし先王の模範の言葉を知れば、物差しが自分の中にあるので、人の言葉を見分けるのに十分である。だから孟子は続けて、偏った言葉・度を越した言葉・邪な言葉・言い逃れの言葉について述べたのである。後の儒者は道を知らないので、これを、孔子のように人の言葉を見抜くことだと、ただちに解した。しかし孔子は「訴えを聞くことは私も人並みだ」と言った。孔子でさえ、自分が人の言葉を見抜けるとは言わなかった。まして孟子にできようか。だから詖淫邪遁を論じたのも、議論を好んだ行き過ぎである。それでも孟子はいつも規矩(物差し)を持ち出して語るのだから、その「言を知る」もやはり先王の模範の言葉を知ることを言っているのだとわかる。

解説

孔子が臧文仲を「不智」と評した三点はいずれも礼を知らないことであり、古代では礼を知らないことが不智だったと徂徠は指摘する。孟子の「言を知る」も、他人の言葉の裏を見抜く眼力ではなく、先王の法言を身につけて物差しを持つことだと読む。孔子でさえ人の言葉を見抜けるとは言わなかったのだから、読心術のような智を誇るのは筋違いである。会議で相手の真意を見抜こうとするより、判断の物差しとなる原則や先例を自分の中に持つことが大切だ。物差しがあれば、言葉の偏りは自然と見えてくる。

この章句が説くこと

知言礼孟子規矩智判断

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