弁名 / 仁
後世儒者不知聖人之道。是以不知仁。其說曰。仁者愛之理心之德也。又曰。人欲淨盡天理流行。又曰。有專言者。有偏言者。是其所見。根於佛老。故其學主理。主心。又誤讀中庸孟子。而以仁爲性。性人人殊。則又以爲其殊者氣質所爲。而理與聖人一矣。是其意謂仁者愛人。然愛者情耳。方其靜也。安見夫所謂愛者乎。然若愛之理。則稟諸天而具于心。是卽仁而心之德爲爾。人生之初不與聖人殊。祗氣質人欲所錮。仁乃不全。及於學成而人欲盡氣質化。則無適非仁矣。又其意謂天地之道。生生不已。稟諸人爲仁。故以流行見生生之意云爾。又其意謂仁爲心之全德。故兼義禮智信。是專言之仁也。其與義禮智信對言者。偏言之仁也。
新字:後世儒者不知聖人之道。是以不知仁。其説曰。仁者愛之理心之徳也。又曰。人欲浄尽天理流行。又曰。有専言者。有偏言者。是其所見。根於仏老。故其学主理。主心。又誤読中庸孟子。而以仁為性。性人人殊。則又以為其殊者気質所為。而理与聖人一矣。是其意謂仁者愛人。然愛者情耳。方其静也。安見夫所謂愛者乎。然若愛之理。則稟諸天而具于心。是即仁而心之徳為爾。人生之初不与聖人殊。祗気質人欲所錮。仁乃不全。及於学成而人欲尽気質化。則無適非仁矣。又其意謂天地之道。生生不已。稟諸人為仁。故以流行見生生之意云爾。又其意謂仁為心之全徳。故兼義礼智信。是専言之仁也。其与義礼智信対言者。偏言之仁也。
書き下し
後世の儒者は聖人の道を知らず。是を以て仁を知らず。其の説に曰く、「仁なる者は愛の理、心の徳なり」と。又曰く、「人欲浄尽し天理流行す」と。又曰く、「専言する者有り、偏言する者有り」と。是れ其の見る所、仏老に根ざす。故に其の学は理を主とし、心を主とす。又た中庸・孟子を誤読して、仁を以て性と為す。性は人人殊なれば、則ち又た以為へらく其の殊なる者は気質の為す所にして、理は聖人と一なりと。是れ其の意に謂へらく、仁なる者は人を愛す。然れども愛なる者は情のみ。其の静なるに方りて、安んぞ夫の所謂愛なる者を見んや。然れども愛の理の若きは、則ち諸を天に稟けて心に具はる。是れ即ち仁にして心の徳為りと。人生の初めは聖人と殊ならず、祗だ気質・人欲の錮す所となりて、仁乃ち全からず。学成りて人欲尽き気質化するに及べば、則ち適くとして仁に非ざるは無しと。又た其の意に謂へらく、天地の道は、生生して已まず、諸を人に稟けて仁と為る。故に流行を以て生生の意を見すと爾云ふ。又た其の意に謂へらく、仁は心の全徳為り。故に義礼智信を兼ぬ。是れ専言の仁なり。其の義礼智信と対言する者は、偏言の仁なりと。
現代語訳
後世の儒者は聖人の道を知らない。だから仁を知らない。その説は「仁とは愛の理であり、心の徳である」と言い、また「人欲が尽きれば天理が流れ行きわたる」と言い、また「仁には専ら言う場合と、偏って言う場合がある」と言う。その見方は仏教や老荘に根ざしている。だからその学は理を主とし、心を主とする。また『中庸』『孟子』を読み誤って、仁を性とした。性は人によって違うので、その違いは気質がもたらしたもので、理は聖人と同じだと考えた。その考えはこうである。仁とは人を愛することだが、愛は情にすぎない。心が静かなときには、愛など見えないではないか。しかし愛の理は天から受けて心に備わっている。これが仁であり、心の徳である。人は生まれた初めは聖人と違わないが、気質と人欲に閉じ込められて仁が完全でなくなる。学問が成って人欲が尽き気質が変われば、どこへ行っても仁でないものはなくなる、と。またこう考える。天地の道は生々してやまず、それを人が受けて仁となる。だから「流れ行きわたる」ことで生々の意味を示すのだ、と。またこう考える。仁は心の全き徳であるから義・礼・智・信を兼ねる。これが専ら言う仁である。義・礼・智・信と並べて言う場合は、偏って言う仁である、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『童子問』卷中且つ罪有る者を刑するは、理の常なり。亦奚ぞ恤むに足らん。然れども聖人三たび赦し三たび宥め、惟れ刑を之れ恤むは、豈に過ぎて姑息を為すに非ずや。善を善とし悪を悪とするも、亦理の常なり。然れども聖人善を善とすること毎に長く、悪を悪とすること毎に短きは、亦豈に愛憎宜しきを失ふに非ずや。然れども聖人皆然らざるは、理の字に依りて以て天下の事を断ずべからざるを見るに足るなり。故に凡そ事専ら理に依りて断決すれば、則ち残忍刻薄の心勝ちて、寛裕仁厚の心寡なし。上徳に非ず薄くして、下必ず傷損す。人も亦心服せず。須らく長者の気象有りて方に可なるべし。悪を隠して善を揚げ、人の美を成して、人の悪を成さず。躬自ら厚くして、薄く人を責む。是れ皆長者の気象なり。唯だ仁者のみ之を能くす。区区たる小儒の能く及ぶ所に非ざるなり。予通鑑纂要等の書を観るに、其の人物を評隲する、善を善とし悪を悪とし、一毫も仮借せず。厳なりと謂ふべし。然れども断決深刻にして、古今に全人無し。殆ど申韓刑名の気象有りて、聖人涵容の意味無し。己を持すること甚だ堅く、人を責むること甚だ深く、肺腑に浸淫し、骨髄に透浹して、卒に刻薄の流と為る。専ら理の字を主張するの弊、一に此に至る。悲しいかな。夫れ世道に裨無く、生民に補無き者は、聖人為さず。今理学を講ずる者、或いは論じて六合の外に至り、近世天学を講ずる者に暨んでは、好んで無限の道理を説く。微を窮め妙を極むと雖も、然れども皆世道に裨無く、生民に補無し。聖人の取らざる所なり。孟子曰く、楊墨の道息まざれば、孔子の道著れずと。予が呶呶然として此の如く其れ已まざる所以の者は、実に孔子の道の著れざることを恐るればなり。弁を好むに非ざるなり。君子諸を諒とせよ。
-
『童子問』卷上問ふ、窃かに聞く、学問は知を以て先と為すと。而るに今窮理の説は仁を求むるに於て頗る妨げ有りと謂ふ。豈に理に悖ること無からんや。曰く、読書窮理は、自ら是れ孔門の常法にして、是ならずと謂ふべからず。但だ最初門に入るの初めに、先づ天下の書を読み尽くし、天下の理を窮め尽くさんと欲するは、聖人の学に非ざるなり。何となれば、苟も窮理を以て先と為せば、則ち徳行を以て後と為さずと雖も、然れども徳行自ら後に在らざることを得ず。是れ学問に於て害有る所以なり。宋儒の説に曰く、「天下に性外の物無し」と。又曰く、「性は即ち理なり」と。然れども一理を以て天下の事を断ずること能はず。蓋し物に好悪有り、事に緩急有り、紛紛藉藉として、出入隠顕し、尽く理を以て之を決すべからず。故に曰く、「君子は其の知らざる所に於て、蓋し闕如たり」と。苟も徳行を以て本と為せば、則ち智至り道明らかにして、事の是非得失、了了として分明なり。思索を待たずして、自ら能く其の肯綮に中たる。若し此の如くならずして、専ら理を以て之を断ぜんと欲すれば、則ち其の説愈々長くして、実を去ること愈々遠し。程朱の天道を論ずるが若きは、専ら理を以て之を断ず。天道を殺却すと謂ふべきなり。其の仁に於けるも亦然り。故に其の理甚だ微にして、仁を去ること愈々遠し。曰く、「雞雛を観よ、此れ仁を観るべし」と。又曰く、「脈を切するは最も仁を体すべし」と。或いは曰く、「聖賢の仁を言ふ処を将て、類聚して之を観よ」と。是れなり。夫れ仁は実徳なり。理を以て之を得べきに非ず。孔子曰く、「仁者は人を愛す」と。孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは仁なり」と。孔孟の説、豈に甚だ近く且つ知り易からずや。苟も理を以て仁を求むれば、愈々遠くして愈々知り難きなり。
-
『五常訓』巻之一・総論是を名づけて仁と云ふ。仁は即あはれみの心なり。此仁の理をわかてば、仁義礼智の四徳となる。天の元気の生理をわかちて、元亨利貞といふが如し。是人の仁義礼智の四徳の根本は、天道の元亨利貞より出でたり。天にあり、人にあり、其理は一なり。董子のいはゆる、道の大原は天に出でたりといふは是なり。
-
『呻吟語』外篇・品藻・惟だ其の理のみ勢の為す可からずして猶ほ之を為す者有るは、惟だ其の理のみ。此を知らば則ち三仁は五臣と事功を比す可く、孔子は堯・舜と政治を較ぶ可し。
-
『呻吟語』内篇・應務・理を貶せず、又た人を駭かさず君子の事に處するに真見有るも、遽かに行はざるなり。又た眾見を驗し、眾情を察し、諸を理に協へて協ひ、諸を眾情・眾見に協へて協へば、則ち斷じて以て必ず行ふ。果たして理は當然にして、眾情・眾見の協はざるや、又た委曲して以て吾が理を行ふ。既に理を貶せず、又た人を駭かさず。此れを之れ理術と謂ふ。噫、惟だ聖人のみ之を能くす。獵較の類是れなり。
-
『呻吟語』内篇・談道・理一にして氣・勢・利は三なり先天は、理のみ。後天は、氣のみ。天下は、勢のみ。人情は、利のみ。理は一にして、氣・勢・利は三なり。勝負知る可し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る