五常訓 / 巻之一・総論
是を名づけて仁と云ふ。仁は卽あはれみの心なり。此仁の理をわかてば、仁義禮智の四德となる。天の元氣の生理をわかちて、元亨利貞といふが如し。是人の仁義禮智の四德の根本は、天道の元亨利貞より出でたり。天にあり、人にあり、其理は一なり。董子のいはゆる、道の大原は天に出でたりといふは是なり。
新字:是を名づけて仁と云ふ。仁は即あはれみの心なり。此仁の理をわかてば、仁義礼智の四徳となる。天の元気の生理をわかちて、元亨利貞といふが如し。是人の仁義礼智の四徳の根本は、天道の元亨利貞より出でたり。天にあり、人にあり、其理は一なり。董子のいはゆる、道の大原は天に出でたりといふは是なり。
書き下し
是を名づけて仁と云ふ。仁は即あはれみの心なり。此仁の理をわかてば、仁義礼智の四徳となる。天の元気の生理をわかちて、元亨利貞といふが如し。是人の仁義礼智の四徳の根本は、天道の元亨利貞より出でたり。天にあり、人にあり、其理は一なり。董子のいはゆる、道の大原は天に出でたりといふは是なり。
現代語訳
これを名づけて仁といいます。仁とはすなわちあわれみの心です。この仁の理を分ければ、仁義礼智の四徳となります。天の元気の生きる理を分けて、元亨利貞というようなものです。これは、人の仁義礼智の四徳の根本が、天の道の元亨利貞から出たということです。天にあっても人にあっても、その理は一つです。董子(董仲舒)のいう「道の大いなる源は天から出る」というのはこのことです。
解説
前の段を受けて、天地から受けたあわれみの心こそが仁であり、天の元亨利貞と人の仁義礼智は同じ理だとまとめています。董仲舒の「道の大原は天に出づ」は『漢書』董仲舒伝に見える言葉です。天と人が一つの理でつながるという「天人合一」の思想は、益軒の教訓書全体を貫く柱で、のちの養生訓の自然観にも通じます。自分の心の善さを自然や宇宙の働きの一部として捉えると、日々の小さな親切にも深い意味が感じられるはずです。
この章句が説くこと
仁天人元亨利貞董仲舒理
関連する章句
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『童子問』卷中且つ罪有る者を刑するは、理の常なり。亦奚ぞ恤むに足らん。然れども聖人三たび赦し三たび宥め、惟れ刑を之れ恤むは、豈に過ぎて姑息を為すに非ずや。善を善とし悪を悪とするも、亦理の常なり。然れども聖人善を善とすること毎に長く、悪を悪とすること毎に短きは、亦豈に愛憎宜しきを失ふに非ずや。然れども聖人皆然らざるは、理の字に依りて以て天下の事を断ずべからざるを見るに足るなり。故に凡そ事専ら理に依りて断決すれば、則ち残忍刻薄の心勝ちて、寛裕仁厚の心寡なし。上徳に非ず薄くして、下必ず傷損す。人も亦心服せず。須らく長者の気象有りて方に可なるべし。悪を隠して善を揚げ、人の美を成して、人の悪を成さず。躬自ら厚くして、薄く人を責む。是れ皆長者の気象なり。唯だ仁者のみ之を能くす。区区たる小儒の能く及ぶ所に非ざるなり。予通鑑纂要等の書を観るに、其の人物を評隲する、善を善とし悪を悪とし、一毫も仮借せず。厳なりと謂ふべし。然れども断決深刻にして、古今に全人無し。殆ど申韓刑名の気象有りて、聖人涵容の意味無し。己を持すること甚だ堅く、人を責むること甚だ深く、肺腑に浸淫し、骨髄に透浹して、卒に刻薄の流と為る。専ら理の字を主張するの弊、一に此に至る。悲しいかな。夫れ世道に裨無く、生民に補無き者は、聖人為さず。今理学を講ずる者、或いは論じて六合の外に至り、近世天学を講ずる者に暨んでは、好んで無限の道理を説く。微を窮め妙を極むと雖も、然れども皆世道に裨無く、生民に補無し。聖人の取らざる所なり。孟子曰く、楊墨の道息まざれば、孔子の道著れずと。予が呶呶然として此の如く其れ已まざる所以の者は、実に孔子の道の著れざることを恐るればなり。弁を好むに非ざるなり。君子諸を諒とせよ。
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『童子問』卷上問ふ、窃かに聞く、学問は知を以て先と為すと。而るに今窮理の説は仁を求むるに於て頗る妨げ有りと謂ふ。豈に理に悖ること無からんや。曰く、読書窮理は、自ら是れ孔門の常法にして、是ならずと謂ふべからず。但だ最初門に入るの初めに、先づ天下の書を読み尽くし、天下の理を窮め尽くさんと欲するは、聖人の学に非ざるなり。何となれば、苟も窮理を以て先と為せば、則ち徳行を以て後と為さずと雖も、然れども徳行自ら後に在らざることを得ず。是れ学問に於て害有る所以なり。宋儒の説に曰く、「天下に性外の物無し」と。又曰く、「性は即ち理なり」と。然れども一理を以て天下の事を断ずること能はず。蓋し物に好悪有り、事に緩急有り、紛紛藉藉として、出入隠顕し、尽く理を以て之を決すべからず。故に曰く、「君子は其の知らざる所に於て、蓋し闕如たり」と。苟も徳行を以て本と為せば、則ち智至り道明らかにして、事の是非得失、了了として分明なり。思索を待たずして、自ら能く其の肯綮に中たる。若し此の如くならずして、専ら理を以て之を断ぜんと欲すれば、則ち其の説愈々長くして、実を去ること愈々遠し。程朱の天道を論ずるが若きは、専ら理を以て之を断ず。天道を殺却すと謂ふべきなり。其の仁に於けるも亦然り。故に其の理甚だ微にして、仁を去ること愈々遠し。曰く、「雞雛を観よ、此れ仁を観るべし」と。又曰く、「脈を切するは最も仁を体すべし」と。或いは曰く、「聖賢の仁を言ふ処を将て、類聚して之を観よ」と。是れなり。夫れ仁は実徳なり。理を以て之を得べきに非ず。孔子曰く、「仁者は人を愛す」と。孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは仁なり」と。孔孟の説、豈に甚だ近く且つ知り易からずや。苟も理を以て仁を求むれば、愈々遠くして愈々知り難きなり。
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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