弁名 / 仁
蓋聖人之德莫不備焉。何唯仁。故仁者聖人之一德也。然聖人所以爲聖人者。以其仁天下後世也。故仁者聖人之大德也。聖人之道。衆美所會萃。亦何唯仁。人之學聖人之道者。德以性殊。亦何皆仁。然聖人之道。要歸安民而已矣。雖有衆美。皆所以輔仁而成之也。
新字:蓋聖人之徳莫不備焉。何唯仁。故仁者聖人之一徳也。然聖人所以為聖人者。以其仁天下後世也。故仁者聖人之大徳也。聖人之道。衆美所会萃。亦何唯仁。人之学聖人之道者。徳以性殊。亦何皆仁。然聖人之道。要帰安民而已矣。雖有衆美。皆所以輔仁而成之也。
書き下し
蓋し聖人の徳は備はらざる莫し。何ぞ唯だ仁のみならん。故に仁なる者は聖人の一徳なり。然れども聖人の聖人為る所以の者は、其の天下後世に仁なるを以てなり。故に仁なる者は聖人の大徳なり。聖人の道は、衆美の会萃する所、亦た何ぞ唯だ仁のみならん。人の聖人の道を学ぶ者は、徳は性を以て殊なり、亦た何ぞ皆仁ならん。然れども聖人の道は、要は民を安んずるに帰するのみ。衆美有りと雖も、皆仁を輔けて之を成す所以なり。
現代語訳
思うに聖人の徳はすべて備わっている。どうして仁だけであろうか。だから仁は聖人の一つの徳である。しかし聖人が聖人であるゆえんは、天下後世の人々に仁を施したことにある。だから仁は聖人の大いなる徳なのである。聖人の道には多くの美点が集まっている。どうして仁だけであろうか。聖人の道を学ぶ人も、徳は性によって違うのだから、どうしてみな仁であろうか。しかし聖人の道は、要するに民を安らかにすることに帰する。多くの美点があっても、みな仁を助けて成し遂げるためのものである。
解説
仁は聖人の多くの徳の一つにすぎないが、それでも「大徳」と呼ばれるのはなぜか。徂徠の答えは、聖人の道の目的が安民にあり、他のあらゆる美点はその仁を助けるためにあるからだという。知恵も勇気も礼儀も、最終的に人々を安らかにすることに役立ってこそ意味がある。また学ぶ者の徳は人それぞれで、誰もが仁そのものを体現するわけではない。組織でも、技術力や営業力や管理力など多様な強みが、すべて顧客や仲間を支えるという一つの目的に向かうとき、はじめて全体が生きてくる。
この章句が説くこと
仁安民聖人徳目的組織
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『初学訓』巻之一一天地の大徳をうけて、人の心に生れつきたる徳を、名づけて仁といふ。徳とは、生れつきて、我が物にし得たる善をいふ。仁は、即ち人の心に備はれるあはれみめぐみの徳なり。是、人となれる者の、天にうけたる性なり。此心を失はずして、人をあはれみ、物をめぐむをいふ。此理をうまれつきたるを、性といふ。此心を失はざるは、天地にしたがひてつかへ奉る道なり。もし此心を失へば、即ち天地の御心に背きて、人の道を失ふなり。
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『弁道』第七則孔子の「徳に拠り、仁に依る」と曰ふが如き、人各〻其の性の徳に拠りて之を失はず。性の徳は多端なりと雖も、皆仁を害せず。祇だ未だ養ひて之を成すこと能はず、故に道に悖る。養ふの道は、仁に依り芸に游ぶに在り。依るとは「声は永に依る」の依の如きなり。楽声は必ず詠歌と相依り、清濁之を以てし、節奏之を以てす。依るの謂なり。仁に依るも亦た爾り。人各〻其の徳に拠ると雖も、亦た必ず先王の天下を安んずるの道に和順して、敢へて之に違はず。然る後に以て各〻其の徳を成すに足る。此れ孔門の教へなり。大氐先王孔子の道は、皆運用営為する所有りて、其の要は養ひて以て成すに在り。然るに後人迫切の見、急に仁を以て一切を尽くさんと欲す。是を以て跳りて理に之かざるを得ず。而して其の説を究むれば、乃ち浮屠の法身一切に徧きの帰に過ぎず。悲しいかな。
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『童子問』卷上問ふ、徳は人を愛するより大なるは莫し。故に孔門仁を以て学問の宗旨と為す。願はくは其の説を終へよ。曰く、仁の徳為る、豈に言を以て尽くし口もて悉くすべけんや。天下に王たれば則ち天下に及び、一国に君たれば則ち一国に及び、一家を主とすれば則ち一家に及ぶ。父と為りては則ち其の子に及び、夫と為りては則ち其の妻に及び、兄と為りては則ち其の弟に及び、弟と為りては則ち其の兄に及ぶ。此を以て身を治むれば則ち身修まり、此を以て事に処すれば則ち事成る。我能く人を愛すれば、人も亦我を愛す。相親しみ相愛すること、父母の親しむが如く、兄弟の睦まじきが如し。行ひて得ざる無く、事として成らざる無し。舜の一年にして聚を成し、二年にして邑を成し、三年にして都を成し、成湯の東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨むが如き、是れ仁の効なり。不仁者は之に反す。残忍忮害して、衆叛き親離れ、死亡に至らざれば則ち止まず。故に仁は道徳の大本、学問の極致にして、天下の善、此に過ぐるは莫し。童子曰く、諾。
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『五常訓』巻之二・仁之上義礼智も、皆心の徳なれど、仁は義礼智を兼ねたれば、仁において、専ら心の徳と云ふ。たとへば一家の中、兄弟四人あれども、嫡子一人を以て、其弟を兼ぬるが如し。愛の理とは、心の徳の、いまだ外にあらはれざる内に、自ら物をあはれむ理をふくめるを云ふ。仁に愛の理あるは、飴の甘きが如く、醋のすきが如し。其内の味なり。たとへば俗語に、ひらかねど扇は風のつぼみかなといへるが如し。すべていへば、仁は心の徳也。わかちていへば、愛の理也。心の徳、愛の理の六字、朱子はじめて発明せる所、後の学者に功あり。是周子の徳愛を曰仁に本づけり。或曰、愛之理は発用を指せりと。此の説非なり。朱子曰く、愛の理とは、是れ乃ち其の体性を指して言ふと。此説の証とすべし。
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『五常訓』巻之二・仁之上然れば仁と愛と、体用のわかちあり。たとへば仁は扇なり、体なり。愛は扇を以て人をあふぐが如し。あふがずんば扇も用なし。あはれみなくんば、仁なんぞ用あらんや。すべて言へば、愛するも仁なり。たとへばあふぐも扇なるが如し。性情体用も皆仁なり。体用をわかちて見、又合せて見るべし。程子又曰く、仁は愛を主とす。是仁は愛の理をふくめるゆゑ、動きて人にまじはれば、専愛する事をつかさどれり。義の宜をつかさどり、礼の敬をつかさどるが如し。天地の万物を生ずる心は、即是天地の物を愛するの理なり。其理を人にうけて性とするは、即仁なれば、仁は人物を愛するを主とせり。朱子曰く、仁は心の徳、愛の理なり。心の徳とは、徳は得る也。天地の人物を生じ給ふ心を、我が心に得て、わが物となれる道理を徳と云ふ。
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『弁名』仁且つ先王は聡明睿知の徳有りて、礼楽を制作し是の道を立て、天下後世をして是に由らしむ。而して後の君子奉じて以て之を行ふ。是れ聡明睿知の徳有りと雖も、将た安んぞ之を用ひん。且つ先王の是の道を立つるや仁を以てす。故に礼楽刑政仁に非ざる者莫し。是を以て苟も仁人に非ざれば、何を以て能く先王の道に任じて以て天下の民を安んぜんや。故に孔門の教へは、仁を以て至りと為し、仁に依るを以て務めと為して、復た聖人と為らんことを求めざるは、古の道爾りと為す。孟子曰く、「仁なる者は人なり。合はせて之を言へば道なり」と。夫れ道は先王に属し徳は我に属す。唯だ仁に依りて後に道と我と得て合ふべし。此れ古来相伝ふるの説なり。
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