弁名 / 德
如仁齋先生以知德自負。乃爭性與德之名耳。亦誤讀孟子而至謂擴充四端以成德。則與朱子何別。既不屬諸先王。又不知德以性殊。徒謂如藥有治病之德。如火有烹飪之德。是其所爭。在全於養之後與全於性之初已。故其所謂德者。皆常其未成而言之。有名而無實。亦宋儒之歸哉。
新字:如仁斎先生以知徳自負。乃争性与徳之名耳。亦誤読孟子而至謂擴充四端以成徳。則与朱子何別。既不属諸先王。又不知徳以性殊。徒謂如薬有治病之徳。如火有烹飪之徳。是其所争。在全於養之後与全於性之初已。故其所謂徳者。皆常其未成而言之。有名而無実。亦宋儒之帰哉。
書き下し
仁斎先生の如きは知徳を以て自負す。乃ち性と徳との名を争ふのみ。亦た孟子を誤読して、四端を拡充して以て徳を成すと謂ふに至る。則ち朱子と何ぞ別たん。既に諸を先王に属せず、又た徳の性を以て殊なるを知らず。徒に薬に病を治するの徳有るが如く、火に烹飪の徳有るが如しと謂ふ。是れ其の争ふ所は、養ふの後に全きと性の初めに全きとに在るのみ。故に其の所謂徳なる者は、皆常に其の未だ成らざるを言ふ。名有りて実無し。亦た宋儒の帰か。
現代語訳
伊藤仁斎先生などは、徳を知っていると自負していたが、実は性と徳の名をめぐって争っていたにすぎない。やはり孟子を読み誤って、四端(惻隠・羞悪・辞譲・是非の心)を押し広げて徳を成すと言うまでになった。それでは朱子とどこが違うのか。徳を先王に結びつけず、また徳が性によって違うことも知らない。ただ、薬に病を治す徳があるように、火に煮炊きする徳があるように、と言うばかりである。その争点は、徳が養った後に完成するのか、生まれつきの性に初めから完全に備わるのか、というところにしかない。だから彼の言う徳は、いつもまだ成っていないものを言っている。名ばかりで実がない。やはり宋儒と同じところに行き着くのであろう。
解説
この章句が説くこと
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