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弁名 / 德

其所以養之篤之者。則在禮樂焉。樂記曰。禮樂皆得。謂之有德。論語曰。若臧武仲之知。公綽之不欲。卞莊子之勇。冉求之藝。文之以禮樂。亦可以爲成人矣。謂學禮樂以成其德。則四子皆可爲成人也。成人者成德也。文之者謂德成而有光輝也。非自外傅丹艧也。是皆以一德言之。不必兼衆德也。聖人之心豈不欲人人兼衆德乎。書曰。日宣三德。夙夜浚明有家。日嚴祇敬六德。亮采有邦。則大夫諸侯之德。不可以汎責人人者審矣。是上古聖人所以立德之名以敎人也。

新字:其所以養之篤之者。則在礼楽焉。楽記曰。礼楽皆得。謂之有徳。論語曰。若臧武仲之知。公綽之不欲。卞荘子之勇。冉求之芸。文之以礼楽。亦可以為成人矣。謂学礼楽以成其徳。則四子皆可為成人也。成人者成徳也。文之者謂徳成而有光輝也。非自外傅丹艧也。是皆以一徳言之。不必兼衆徳也。聖人之心豈不欲人人兼衆徳乎。書曰。日宣三徳。夙夜浚明有家。日厳祇敬六徳。亮采有邦。則大夫諸侯之徳。不可以汎責人人者審矣。是上古聖人所以立徳之名以教人也。

書き下し

其の之を養ひ之を篤くする所以の者は、則ち礼楽に在り。楽記に曰く、「礼楽皆得る、之を有徳と謂ふ」と。論語に曰く、「臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸の若き、之を文るに礼楽を以てせば、亦た以て成人と為すべし」と。礼楽を学びて以て其の徳を成せば、則ち四子皆成人と為すべきを謂ふなり。成人とは成徳なり。之を文るとは徳成りて光輝有るを謂ふなり。外より丹雘を傅くるに非ざるなり。是れ皆一徳を以て之を言ふ。必ずしも衆徳を兼ねざるなり。聖人の心、豈に人人衆徳を兼ねんことを欲せざらんや。書に曰く、「日に三徳を宣べ、夙夜浚明にして家を有つ。日に厳かに六徳を祇敬し、采を亮めて邦を有つ」と。則ち大夫諸侯の徳、以て汎く人人に責むべからざる者審らかなり。是れ上古の聖人の徳の名を立てて以て人を教ふる所以なり。

現代語訳

徳を養い手厚く育てる手立ては礼楽にある。『礼記』楽記に「礼と楽をともに得た者、これを有徳という」とある。『論語』には「臧武仲の知恵、孟公綽の無欲、卞荘子の勇気、冉求の多芸のような者が、礼楽でそれを彩れば、一人前の人と言える」とある。礼楽を学んでその徳を成し遂げれば、四人ともみな一人前の人になれるという意味である。「成人」とは徳を成すことであり、「文る」とは徳が成って光り輝くことを言う。外から絵の具を塗るのではない。これらはみな一つの徳について言っており、多くの徳を兼ねる必要はない。聖人の心として、人々がみな多くの徳を兼ねることを望まないはずはない。しかし『書経』に「日々三つの徳を明らかにし、朝夕つとめれば家を保つ。日々おごそかに六つの徳を敬えば、事を治めて国を保つ」とある。大夫や諸侯の徳を、広く一般の人々に求めてはならないことは明らかである。これが上古の聖人が徳の名を立てて人を教えたゆえんである。

解説

徳を育てる手段は礼楽だと徂徠は言う。『論語』憲問篇では、知・不欲・勇・芸のどれか一つの長所でも、礼楽で磨けば成人になれるとされる。礼楽で「文る」とは、外から飾ることではなく、徳が成って内から輝くことである。しかも一人に多くの徳を兼ねることは求めない。家を保つ者には三徳、国を保つ者には六徳と、立場に応じて求める徳の量も違う。現場の人に経営者と同じ資質を求めるのは筋違いである。一つの強みを、型と稽古で磨き上げれば、それで立派な一人前なのである。

この章句が説くこと

礼楽徳成人論語強み稽古

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