弁名 / 道
曰大學之道。曰父之道。曰母之道。曰臣之道。曰子之道。曰神道。皆先王之道。以其別言之。曰獲於上有道。曰交朋友有道。曰生財有大道。皆謂術也。術者。謂由此以行。自然不覺其至也。如民可使由之。有此意。蓋先王之道。皆術也。是亦特以其別言之。又如詩書禮樂爲四術。亦謂由此以學。自然不覺其成德也。及於後世詐術盛興而後。道學先生皆諱術字。如荀子有大道術。漢書譏霍光不學無術。其時近古。猶未諱術字者可見也。如曰要道。亦要術耳。
新字:曰大学之道。曰父之道。曰母之道。曰臣之道。曰子之道。曰神道。皆先王之道。以其別言之。曰獲於上有道。曰交朋友有道。曰生財有大道。皆謂術也。術者。謂由此以行。自然不覚其至也。如民可使由之。有此意。蓋先王之道。皆術也。是亦特以其別言之。又如詩書礼楽為四術。亦謂由此以学。自然不覚其成徳也。及於後世詐術盛興而後。道学先生皆諱術字。如荀子有大道術。漢書譏霍光不学無術。其時近古。猶未諱術字者可見也。如曰要道。亦要術耳。
書き下し
大学の道と曰ひ、父の道と曰ひ、母の道と曰ひ、臣の道と曰ひ、子の道と曰ひ、神道と曰ふ。皆先王の道にして、其の別を以て之を言ふ。上に獲らるるに道有りと曰ひ、朋友に交はるに道有りと曰ひ、財を生ずるに大道有りと曰ふ。皆術を謂ふなり。術なる者は、此に由りて以て行ひ、自然に其の至るを覚えざるを謂ふなり。民は之に由らしむべしの如き、此の意有り。蓋し先王の道は、皆術なり。是れ亦た特だ其の別を以て之を言ふ。又た詩書礼楽を四術と為すが如きも、亦た此に由りて以て学び、自然に其の徳を成すを覚えざるを謂ふなり。後世詐術盛んに興るに及びて後、道学先生皆術の字を諱む。荀子に大道術有り、漢書に霍光の不学無術を譏るが如き、其の時古に近く、猶ほ未だ術の字を諱まざる者見るべし。要道と曰ふが如きも、亦た要術のみ。
現代語訳
「大学の道」「父の道」「母の道」「臣の道」「子の道」「神道」という言い方がある。みな先王の道を、その区分ごとに言ったものである。「上の人に認められるのに道がある」「友と交わるのに道がある」「財を生むのに大道がある」という言い方もある。これらはみな「術」を言う。術とは、それに拠って行えば、知らず知らずのうちに目的に至るもののことである。「民はこれに拠らせることができる」というのも、この意味がある。思うに先王の道はみな術である。これもその区分ごとに言ったものだ。また詩・書・礼・楽を「四術」と呼ぶのも、それに拠って学べば、知らず知らずのうちに徳を成すことを言う。後世、詐術が盛んになってから、道学の先生たちはみな「術」の字を避けるようになった。荀子に「大道術」とあり、『漢書』が霍光を「学ばず術なし」と批判したのは、その時代が古に近く、まだ術の字を避けていなかったことを示している。「要道」と言うのも、要の術ということにすぎない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
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