弁名 / 道
夫道也者自上古聖人之時。既已有所由焉。至於堯舜而後道立焉。歷殷周而後益備焉。是更數千歲數十聖人。盡其心力智巧以成之。豈一聖人一生之力所能爲哉。故孔子祖述堯舜。憲章文武。好古。好學。爲是故也。
新字:夫道也者自上古聖人之時。既已有所由焉。至於堯舜而後道立焉。歴殷周而後益備焉。是更数千歳数十聖人。尽其心力智巧以成之。豈一聖人一生之力所能為哉。故孔子祖述堯舜。憲章文武。好古。好学。為是故也。
書き下し
夫れ道なる者は上古聖人の時より、既已に由る所有り。堯舜に至りて後に道立ち、殷周を歴て後に益々備はる。是れ数千歳・数十聖人を更て、其の心力智巧を尽くして以て之を成す。豈に一聖人一生の力の能く為す所ならんや。故に孔子は堯舜を祖述し、文武を憲章し、古を好み、学を好む。是が為の故なり。
現代語訳
そもそも道は、上古の聖人の時代からすでに拠るべきものがあった。堯・舜に至って道が確立し、殷・周を経てますます備わった。これは数千年、数十人の聖人を経て、その心と力と知恵と技を尽くして作り上げたものである。どうして一人の聖人が一生の力でできることだろうか。だから孔子は堯・舜を祖として述べ伝え、文王・武王を手本とし、古を好み、学を好んだ。そのためである。
解説
道は一人の天才がひらめいたものではなく、数千年にわたり数十人の聖人が知恵を積み重ねて作った制度だと徂徠は言う。だから孔子でさえ自分で道を作らず、古を学び伝えることに徹した。朱子学が道を各人の心に本来備わるものとするのとは正反対で、道は歴史の中で練り上げられた人工物だという見方である。組織の慣行や業界の作法も、多くの先人の試行錯誤の積み重ねでできている。新しい人が一晩で作り替えられるものではないと知れば、まず学ぶことから始めるのが筋だとわかる。
この章句が説くこと
道先王聖人学問孔子伝統
関連する章句
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『慎思録』巻之二大凡そ道を聞くこと、亦た各々禀性の高下に随ひて浅深有るのみ。然れども其の生質通明淳正の士に非ざれば、則ち殆ど此に到ること易からず。偏僻蔽昧の徒は、聞くこと能はざる所なり。故に力を経術に用ゐること数十年と雖も、亦た未だ其の藩籬を窺ふこと能はざる者有り。是れ章句の習、訓詁の学と謂ふべきなり。
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