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弁名 / 道

道者統名也。以有所由言之。蓋古先聖王所立焉。使天下後世之人由此以行。而己亦由此以行也。辟諸人由道路以行。故謂之道。自孝悌仁義。以至於禮樂刑政。合以名之。故曰統名也。先王聖人也。故或謂之先王之道。或謂之聖人之道。凡爲君子者務由焉。故亦謂之君子之道。孔子之所傳。儒者守焉。故謂之孔子之道。亦謂之儒者之道。其實一也。然先王代殊焉。故曰先王之道者。夏以夏。商以商。周以周。皆在其代之辭也。稱孔子以別它人焉。稱儒者以別百家焉。有對斯小。故君子有時乎言之。非恒言也。

新字:道者統名也。以有所由言之。蓋古先聖王所立焉。使天下後世之人由此以行。而己亦由此以行也。辟諸人由道路以行。故謂之道。自孝悌仁義。以至於礼楽刑政。合以名之。故曰統名也。先王聖人也。故或謂之先王之道。或謂之聖人之道。凡為君子者務由焉。故亦謂之君子之道。孔子之所伝。儒者守焉。故謂之孔子之道。亦謂之儒者之道。其実一也。然先王代殊焉。故曰先王之道者。夏以夏。商以商。周以周。皆在其代之辞也。称孔子以別它人焉。称儒者以別百家焉。有対斯小。故君子有時乎言之。非恒言也。

書き下し

道は統名なり。由る所有るを以て之を言ふ。蓋し古先聖王の立つる所にして、天下後世の人をして此に由りて以て行はしめ、而して己も亦た此に由りて以て行ふなり。諸を人の道路に由りて以て行くに辟ふ。故に之を道と謂ふ。孝悌仁義より、以て礼楽刑政に至るまで、合せて以て之に名づく。故に統名と曰ふなり。先王は聖人なり。故に或いは之を先王の道と謂ひ、或いは之を聖人の道と謂ふ。凡そ君子為る者は務めて焉に由る。故に亦た之を君子の道と謂ふ。孔子の伝ふる所、儒者焉を守る。故に之を孔子の道と謂ひ、亦た之を儒者の道と謂ふ。其の実は一なり。然れども先王は代ごとに殊なり。故に先王の道と曰ふ者は、夏は夏を以てし、商は商を以てし、周は周を以てす、皆其の代に在るの辞なり。孔子と称するは以て他人に別ち、儒者と称するは以て百家に別つ。対有れば斯ち小なり。故に君子時有りて之を言ふ。恒言に非ざるなり。

現代語訳

道とは総称である。人が拠って進むものがあるという意味で言う。思うに古の聖王が打ち立てたもので、天下後世の人々をそれに拠って行わせ、自分もまたそれに拠って行った。人が道路を通って行くのにたとえて、道という。孝悌・仁義から礼楽・刑政に至るまでを合わせて名づけたものだから、総称というのである。先王は聖人であるから、先王の道とも聖人の道とも言う。君子たる者はみな努めてこれに拠るから、君子の道とも言う。孔子が伝え、儒者が守ったから、孔子の道とも儒者の道とも言う。実体は一つである。ただし先王は時代ごとに違うので、「先王の道」と言うときは、夏なら夏、商なら商、周なら周の道を指し、みなその時代に即した言い方である。「孔子の」と言うのは他の人と区別するため、「儒者の」と言うのは諸子百家と区別するためである。対比するものがあると道は小さくなる。だから君子はときに応じてそう言うのであって、普段の言い方ではない。

解説

辨名の本論は「道」から始まる。徂徠によれば道とは個々の徳目ではなく、孝悌仁義から礼楽刑政までを含む制度全体の総称であり、先王が人々を通わせるために作った道路のようなものである。朱子学が道を心の内の理とするのに対し、徂徠は道を人が外から拠って歩く仕組みとして捉え直す。会社でいえば、理念や行動指針だけでなく、評価制度や会議の型や業務手順まで含めた全体が「その会社の道」である。人は立派な心がけだけでは動けず、通れる道があってはじめて同じ方向に進めるのである。

この章句が説くこと

道先王礼楽刑政統名仕組み

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