弁道 / 第二十二則
若夫禮樂者德之則也。中和者德之至也。精微之極。莫以尙焉。然中和無形。非意義所能盡矣。故禮以敎中。樂以敎和。先王之形中和也。禮樂不言。能養人之德性。能易人之心思。心思一易。所見自別。故致知之道。莫善於禮樂焉。且先王所以紀綱天下立生民之極者。專存於禮矣。知者思而得焉。愚者不知而由焉。賢者俯而就焉。不肖者企而及焉。其或爲一事出一言也。必稽諸禮。而知其合於先王之道與否焉。故禮之爲言體也。先王之道之體也。雖然。禮之守太嚴。苟不樂以配之。亦安能樂以生乎。故樂者生之道也。鼓舞天下。養其德以長之。莫善於樂。故禮樂之敎。如天地之生成焉。君子以成其德。小人以成其俗。天下由是平治。國祚由是靈長。先王之敎之術。神矣哉。四術之盡於敎也。
新字:若夫礼楽者徳之則也。中和者徳之至也。精微之極。莫以尚焉。然中和無形。非意義所能尽矣。故礼以教中。楽以教和。先王之形中和也。礼楽不言。能養人之徳性。能易人之心思。心思一易。所見自別。故致知之道。莫善於礼楽焉。且先王所以紀綱天下立生民之極者。専存於礼矣。知者思而得焉。愚者不知而由焉。賢者俯而就焉。不肖者企而及焉。其或為一事出一言也。必稽諸礼。而知其合於先王之道与否焉。故礼之為言体也。先王之道之体也。雖然。礼之守太厳。苟不楽以配之。亦安能楽以生乎。故楽者生之道也。鼓舞天下。養其徳以長之。莫善於楽。故礼楽之教。如天地之生成焉。君子以成其徳。小人以成其俗。天下由是平治。国祚由是霊長。先王之教之術。神矣哉。四術之尽於教也。
書き下し
夫の礼楽の若きは徳の則なり。中和は徳の至りなり。精微の極、以て尚ふる莫し。然れども中和は形無し、意義の能く尽くす所に非ず。故に礼は以て中を教へ、楽は以て和を教ふ。先王の中和を形にするなり。礼楽は言はずして、能く人の徳性を養ひ、能く人の心思を易ふ。心思一たび易はれば、見る所自ら別なり。故に知を致すの道は、礼楽より善きは莫し。且つ先王の天下を紀綱し生民の極を立つる所以の者は、専ら礼に存す。知者は思ひて得、愚者は知らずして由る。賢者は俯して就き、不肖者は企てて及ぶ。其の或いは一事を為し一言を出だすや、必ず諸を礼に稽へて、其の先王の道に合ふと否とを知る。故に礼の言たる体なり。先王の道の体なり。然りと雖も、礼の守り太だ厳なれば、苟も楽以て之に配せずんば、亦た安くんぞ能く楽しみて以て生ぜんや。故に楽は生の道なり。天下を鼓舞し、其の徳を養ひて以て之を長ずるは、楽より善きは莫し。故に礼楽の教へは、天地の生成の如し。君子は以て其の徳を成し、小人は以て其の俗を成す。天下是に由りて平治し、国祚是に由りて霊長なり。先王の教への術、神なるかな。四術の教へに尽くせるなり。
現代語訳
さて礼楽は徳の手本である。中和は徳の極みであり、精微の極みとしてこれに勝るものはない。しかし中和には形がなく、意味や理屈で言い尽くせるものではない。だから礼によって中を教え、楽によって和を教える。これが先王が中和に形を与えたやり方である。礼楽はものを言わないが、人の徳性を養い、人の心の働きを変えることができる。心の働きがひとたび変われば、見えるものもおのずと違ってくる。だから知を極める道として、礼楽にまさるものはない。また先王が天下に秩序の綱をめぐらし、民の基準を立てたのは、もっぱら礼による。知恵ある者は考えて会得し、愚かな者は知らないままそれに従う。賢い者は身をかがめてそれに合わせ、愚かな者は背伸びしてそれに届く。何か一つの事を行い一言を発するときにも、必ず礼に照らして、それが先王の道にかなうかどうかを知る。だから礼という語は「体」の意味であり、先王の道の体なのである。とはいえ、礼の守りがあまりに厳しく、もし楽をそれに組み合わせなければ、どうして楽しんで生き生きとできようか。だから楽は生かす道である。天下を鼓舞し、徳を養って伸ばすには、楽にまさるものはない。だから礼楽の教えは天地が万物を生み育てるようなものである。君子はそれによって徳を成し、民はそれによってよい風俗を成す。天下はこれによって平らかに治まり、国の命運はこれによって長く続く。先王の教えの術は、なんと神妙なことか。四術は教えを尽くしているのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之四楽の一字は、聖人の屢言ふ所、必ず以有るなり。是れ学者の当に知るべき所なり。以て高遠にして及ぶべからずと為して廃棄すべからざるなり。蓋し礼楽は脩身の本なり。礼は敬のみ。楽は楽なり。二者は、斯須も身を去るべからざる所以なり。楽は是れ心の生理なり。常人と雖も亦た之有り。君子は楽しみて道に順ひ、道を以て欲を制す。則ち楽しみて乱れず。小人は楽しみて欲に順ひ、欲を以て道を忘る。則ち乱れて楽しまず。蓋し小人の楽しむ所は、真の楽に非ざるなり。故に君子にして而る後に楽を得。楽に非ざれば則ち以て君子と為すべからず。仁者は憂へず。楽と憂との消長を以て、君子小人分かる。
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『五常訓』巻之四・礼一聖人礼楽を作りて、人に教へたまふは、本なき事を作り出したまふにあらず。凡礼は天地の序なり。序とは次第あるを云ふ。陰陽の気、時節にしたがひて次第あるは、天地の礼なり。楽は天地の和なり。和とは、陰陽の気、時にしたがひて和同するを云ふ。是天地の楽なり。聖人天地の序と和とに本づきて、礼楽を作り給ふ。故に礼記に曰、天高く地下く、万物散殊して、礼制行はる。流れて息まず、合同して化して、楽興る。是は礼楽の根源をいへり。礼の本源をいはば、天高く地ひきくして、各其位あり。日月星辰より、風雨霜雪、草木禽獣等の万物にいたるまで、各其形色をあらはし、各其分限かはり、各時節の序あり。是天地万物の上に、自然に、各高下、次第、品節わかれたり。
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『慎思録』巻之五礼楽は、聖人の人に教ふるの具なり。故に曰く、礼楽は斯須も身を去るべからず、と。蓋し礼楽に本有り文有り。礼楽の文は繁多なりと雖も、然れども礼の本は是れ一箇の敬、楽の本は是れ一箇の和なり。礼、之を外に表せば、則ち制度品節と為り、楽、之を外に表せば、則ち詠歌舞蹈と為る。所謂礼楽の文なり。本無ければ則ち立たず、文無ければ則ち行はれず。故に礼楽は本と文とを兼ねて全備と為す。礼勝れば則ち離る。故に楽有るを要す。楽勝れば則ち流る。故に礼有るを要す。二者相済ふべく、一を闕くべからざるなり。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に云く、礼楽は斯須も身を去るべからず。君子の道、礼楽の二を以て、身ををさめ、人を教ふ。礼は心の恭敬を本として、万事身の行の上に節文あるを云ふ。楽とは心の和楽を本として、昔聖人の作りたまへる歌舞八音の音楽の文あるを云ふ。音楽は心の和をみちびくそなへなり。後代の淫楽の心をとらかすとは、大に同じからず。礼を以て身をつつしみ修め、楽を以て心をやはらげ楽む。此二の事、しばらくも身を離るべからずとなり。是古の教の法なり。後代には、礼楽の教伝らず。されど、心のつつしみと楽とは、今とても、しばらく忘るべからず。つつしみ楽の二は、互にならび行はれて、相そむかざるべし。礼勝てば、かた過ぎて、人と我との間和せず。楽勝てば、和か過ぎて、礼儀をうしなひて、悪しき方にながる。礼楽二ながらそなはりて、よき程の中道行はる。故に論語に、礼の用は和を貴しとすと云ふ。又曰く、行はれざる所有り、礼以て節すと云ふ。是礼楽の二を以て、身ををさめ、事を行ふ、よき程の道あるを云ふ。
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『慎思録』巻之四君子は礼楽を以て修身の本と為す。礼楽に本有り文有り。是れ礼楽の本を指して言ふ。斯須も身を去るべからざる所以なり。蓋し礼は恭敬を以て本と為し、楽は和楽を以て本と為す。文有る者は其の末なり。礼楽を以て身を修むる者は、須らく恭敬和楽並び行はれて、相悖らざるべし。文の如き者は、又其の助けなり。固より其の助け無かるべからざるなり。而れども之を以て専務と為すべからず。
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『五常訓』巻之四・礼即是天地の礼なり。聖人これに法とりて、礼を作り給へり。礼は序を以て主とすればなり。序あれば、上下、貴賤、親疎、長幼の位正しくして乱れず。楽の本源をいはば、天地の間、陰陽五行の気、古今四時にめぐり行はれて、しばらく止まず。其気和合して、万物化生す。是即天地の楽なり。聖人これに法とりて、楽を作り給ふ。楽は和を主とす。和けば、人我一同にしてそむかず。道理にしたがひて万事行はる。是礼楽の根源なり。凡聖人のをしへは、皆是天地の道を本とし、これを法として示し給ふ。天理の外に、別の教なし。ここを以て、程子も、儒者は天に本づくといへり。聖人の道は、即天地の道なり。聖人の教は、即天地の教なり。
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