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弁道 / 第二十二則

先王四術。詩書禮樂。是三代所以造士也。孔氏所傳是已。然其所以爲敎者。經各殊焉。後儒輙以一槩之說解之。則奚以四爲也。蓋書者。先王大訓大法。孔子所畏。聖人之言。是也。古之時。舍此則無書。書唯此耳。後王君子所尊信。學者所誦讀。先王安天下之道具是矣。後儒廼以爲樸學。而它求高妙精微者。其病坐弗思耳。古聖人一言之微。皆繫乎天下之大。盛衰治亂所由起焉。非疏通知遠者不能讀之。孟子不信書。其稱述堯舜。將何所睹記。宜其昧於先王安天下之道也。

新字:先王四術。詩書礼楽。是三代所以造士也。孔氏所伝是已。然其所以為教者。経各殊焉。後儒輙以一槩之説解之。則奚以四為也。蓋書者。先王大訓大法。孔子所畏。聖人之言。是也。古之時。舎此則無書。書唯此耳。後王君子所尊信。学者所誦読。先王安天下之道具是矣。後儒廼以為樸学。而它求高妙精微者。其病坐弗思耳。古聖人一言之微。皆繋乎天下之大。盛衰治乱所由起焉。非疏通知遠者不能読之。孟子不信書。其称述堯舜。将何所睹記。宜其昧於先王安天下之道也。

書き下し

先王の四術、詩書礼楽は、是れ三代の士を造る所以なり。孔氏の伝ふる所是れのみ。然れども其の教へと為す所以の者は、経各〻殊なり。後儒輒ち一概の説を以て之を解す。則ち奚ぞ四を以て為さんや。蓋し書は先王の大訓大法なり。孔子の畏るる所の「聖人の言」是れなり。古の時、此を舎てて則ち書無し。書は唯此れのみ。後王君子の尊信する所、学者の誦読する所、先王の天下を安んずるの道是に具はる。後儒廼ち以て樸学と為して、它に高妙精微なる者を求む。其の病は思はざるに坐するのみ。古聖人の一言の微も、皆天下の大に繋がり、盛衰治乱の由りて起こる所なり。疏通知遠なる者に非ずんば之を読むこと能はず。孟子は書を信ぜず。其の堯舜を称述する、将た何の睹記する所ぞ。宜なるかな其の先王の天下を安んずるの道に昧きや。

現代語訳

先王の四つの術、すなわち詩・書・礼・楽は、夏・殷・周の三代が士を育て上げるためのものであった。孔子が伝えたのもこれである。しかし教えとしての働きは、経ごとにそれぞれ違う。後世の儒者はすぐに一律の説でこれらを解釈する。それならどうして四つも要るのか。思うに『書経』は先王の大いなる教えと法である。孔子が畏れたという「聖人の言」がこれである。古代には、これを除けば書物はなかった。書物とはこれだけであった。後の王や君子が尊び信じ、学ぶ者が誦し読むもので、先王が天下を安んずる道がここに備わっている。後世の儒者はこれを素朴な学問とみなし、ほかに高尚で精妙なものを求める。その病は、よく考えないことにある。古の聖人の一言のささいなものも、みな天下の大事につながり、盛衰治乱がそこから起こる。物事に広く通じ遠くを見通す人でなければ読めない。孟子は『書経』を(すべては)信じなかった。それでは堯舜を称えて語るのに、何を見て記したというのか。先王が天下を安んずる道に暗かったのも当然である。

解説

第二十二則は、詩書礼楽の四術がそれぞれ違う教えの働きを持つことを論じる長い則である。まず『書経』は先王の大訓大法であり、孔子が畏れた「聖人の言」そのもので、天下を安んずる道が備わっていると徂徠は言う。素朴な記録と見て軽んじ、別に高妙な理を探す後儒を批判し、聖人の一言の微にも天下の盛衰が懸かっているとする。孟子が「尽く書を信ずれば書無きに如かず」と言ったことにも手厳しい。古典を読むとは、言葉の背後にある治乱の経験を読むことだという姿勢が見える。

この章句が説くこと

書経四術詩書礼楽先王孟子教育

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