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弁道 / 第二十一則

先王之道。莫不本諸敬天敬鬼神者焉。是無它。主仁故也。後世儒者尙知務究理。而先王孔子之道壞矣。究理之弊。天與鬼神。皆不足畏。而己廼傲然獨立於天地間也。是後世儒者通病。豈不天上天下唯我獨尊乎。且茫茫宇宙。果何究極。理豈可究而盡之乎。其謂我盡知之者。亦妄已。故其所爲說。皆陽尊先王孔子而陰已悖之。其意自謂能發古聖人所未發者。而不自知其求勝先王孔子以上之焉。夫聖人之敎至矣。豈能勝而上之哉。凡聖人所不言者。廼所當不言者已。若有所當言者。則先王孔子既已言之。豈有未發者而待後人乎。亦弗思也已。

新字:先王之道。莫不本諸敬天敬鬼神者焉。是無它。主仁故也。後世儒者尚知務究理。而先王孔子之道壊矣。究理之弊。天与鬼神。皆不足畏。而己廼傲然独立於天地間也。是後世儒者通病。豈不天上天下唯我独尊乎。且茫茫宇宙。果何究極。理豈可究而尽之乎。其謂我尽知之者。亦妄已。故其所為説。皆陽尊先王孔子而陰已悖之。其意自謂能発古聖人所未発者。而不自知其求勝先王孔子以上之焉。夫聖人之教至矣。豈能勝而上之哉。凡聖人所不言者。廼所当不言者已。若有所当言者。則先王孔子既已言之。豈有未発者而待後人乎。亦弗思也已。

書き下し

先王の道は、諸を天を敬し鬼神を敬するに本づかざる者莫し。是れ它無し、仁を主とするが故なり。後世の儒者、知を尚びて理を究むるに務むるを知りて、先王孔子の道壊る。理を究むるの弊、天と鬼神と、皆畏るるに足らずとして、己廼ち傲然として天地の間に独立するなり。是れ後世の儒者の通病なり。豈に天上天下唯我独尊ならずや。且つ茫茫たる宇宙、果たして何をか究極せん。理豈に究めて之を尽くすべけんや。其の我尽く之を知ると謂ふ者も、亦た妄なるのみ。故に其の説を為す所、皆陽に先王孔子を尊びて陰に已に之に悖る。其の意自ら能く古聖人の未だ発せざる所の者を発すと謂ひて、自ら其の先王孔子に勝ちて之に上たらんことを求むるを知らず。夫れ聖人の教へは至れり。豈に能く勝ちて之に上たらんや。凡そ聖人の言はざる所の者は、廼ち当に言ふべからざる所の者のみ。若し当に言ふべき所の者有らば、則ち先王孔子既已に之を言へり。豈に未だ発せざる者有りて後人を待たんや。亦た思はざるのみ。

現代語訳

先王の道は、どれも天を敬い鬼神を敬うことに根ざしている。ほかでもない、仁を主とするからである。後世の儒者は知を尊び、理を究めることに努めることばかり知って、先王・孔子の道は壊れた。理を究めることの弊害は、天も鬼神も恐れるに足りないとして、自分が傲然と天地の間に独り立つことである。これが後世の儒者に共通の病である。まさに「天上天下唯我独尊」ではないか。しかも果てしない宇宙の、何を究め尽くせるというのか。理をどうして究め尽くせようか。自分はすべて知っていると言う者も、やはり妄想である。だから彼らの説は、表向きは先王・孔子を尊びながら、裏ではすでにそれに背いている。自分では古の聖人がまだ明らかにしなかったことを明らかにしていると思い、自分が先王・孔子に勝ってその上に立とうとしていることに気づかない。そもそも聖人の教えは至り尽くしている。どうしてそれに勝って上に立てようか。およそ聖人が言わなかったことは、言うべきでないことなのである。もし言うべきことがあれば、先王・孔子がすでに言っている。どうしてまだ明らかにされていないことがあって、後世の人を待っていようか。よく考えていないのである。

解説

第二十一則は、先王の道の根に「天と鬼神を敬う」心を置く。朱子学が理を究めることに努めた結果、天も鬼神も畏れるに足りないと考え、人が天地の間に傲然と独り立つようになったと徂徠は批判し、それを「天上天下唯我独尊」と皮肉る。宇宙の理を究め尽くせるという思い上がりが、表で聖人を尊びつつ裏で聖人を超えようとする態度を生むという。人知の限界を認め、畏れるものを持つことが謙虚さと仁の土台になるという主張は、成功した人ほど噛みしめたい。

この章句が説くこと

敬天鬼神仁窮理謙虚先王

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