格言聯璧 / 惠吉類・謙抑と盈滿とは禍福の關
茹素,非聖人教也;好生,則上天意也。 仁厚刻薄,是修短關。 謙抑盈滿,是禍福關。 勤儉奢惰,是貧富關。 保養縱欲,是人鬼關。 造物所忌,曰刻曰巧。
新字:茹素,非聖人教也;好生,則上天意也。 仁厚刻薄,是修短関。 謙抑盈満,是禍福関。 勤倹奢惰,是貧富関。 保養縦欲,是人鬼関。 造物所忌,曰刻曰巧。
書き下し
素を茹ふは、聖人の教へに非ざるなり。生を好むは、則ち上天の意なり。 仁厚と刻薄とは、是れ修短の關なり。 謙抑と盈滿とは、是れ禍福の關なり。 勤儉と奢惰とは、是れ貧富の關なり。 保養と縱欲とは、是れ人鬼の關なり。 造物の忌む所は、刻と曰ひ巧と曰ふ。
現代語訳
菜食をすることは、聖人の教えではありません。しかし生き物の命を好み大切にすることは、天の意志です。 情け深いか冷酷かは、寿命の長短を分ける関所です。 へりくだるか満ち足りておごるかは、禍福を分ける関所です。 勤勉倹約か贅沢怠惰かは、貧富を分ける関所です。 養生するか欲にふけるかは、人として生きるか鬼(死者)となるかを分ける関所です。 造物主が嫌うものは、冷酷さと小ざかしさです。
解説
一行目は、菜食そのものは聖人の教えではないが、命を愛する心は天意にかなうと区別しています。形式ではなく心を重んじる姿勢が見えます。続く四行は「是〜關」を重ねた句で、仁厚・謙抑・勤倹・保養の四つを、寿命・禍福・貧富・生死の分かれ目に置いています。關は関所、分かれ道のことです。最後の行は次の単位の「萬類相感」と対になり、天が嫌うのは刻薄さと小細工だと結びます。どの関所も、日々の小さな選択の積み重ねで通るか通らないかが決まるものです。自分がいまどちらの側に立っているか、四つの関を点検表として使うこともできます。
この章句が説くこと
謙虚勤倹仁養生禍福
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