弁道 / 第十五則
先王孔子以之。故先王之敎。禮樂不言。擧行事以示之。孔子不憤不啓。不悱不發。豈不然乎。至於孟子則强辨以聒之。而欲以是服人。夫以言服人者。未能服人者矣。蓋敎者施於信我者焉。先王之民。信先王者也。孔子門人信孔子者也。故其敎得入焉。孟子則欲使不信我之人由我言而信我也。是戰國游說之事。非敎人之道矣。予故曰。思孟者與外人爭者也。後儒輒欲以其與外人爭者言施諸學者。可謂不知類已。
新字:先王孔子以之。故先王之教。礼楽不言。挙行事以示之。孔子不憤不啓。不悱不発。豈不然乎。至於孟子則強弁以聒之。而欲以是服人。夫以言服人者。未能服人者矣。蓋教者施於信我者焉。先王之民。信先王者也。孔子門人信孔子者也。故其教得入焉。孟子則欲使不信我之人由我言而信我也。是戦国游説之事。非教人之道矣。予故曰。思孟者与外人争者也。後儒輒欲以其与外人争者言施諸学者。可謂不知類已。
書き下し
先王孔子之を以てす。故に先王の教へは、礼楽言はず、行事を挙げて以て之を示す。孔子は「憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず」。豈に然らずや。孟子に至りては則ち強辨して以て之を聒しくし、是を以て人を服せんと欲す。夫れ言を以て人を服する者は、未だ人を服すること能はざる者なり。蓋し教へは我を信ずる者に施す。先王の民は先王を信ずる者なり。孔子の門人は孔子を信ずる者なり。故に其の教へ入るを得。孟子は則ち我を信ぜざるの人をして我が言に由りて我を信ぜしめんと欲するなり。是れ戦国游説の事にして、人を教ふるの道に非ず。予故に曰く、思孟は外人と争ふ者なりと。後儒輒ち其の外人と争ふ者の言を以て諸を学者に施さんと欲す。類を知らずと謂ふべきのみ。
現代語訳
先王と孔子はこの方法を用いた。だから先王の教えでは、礼楽はものを言わず、実際の行いを示して教えた。孔子は「憤然と求めてこなければ手引きせず、言いあぐねていなければ言葉を引き出してやらない」と言った。まさにそうではないか。孟子に至っては、強弁して相手をうるさく責め立て、それで人を服従させようとした。そもそも言葉で人を服従させようとする者は、人を服従させられない者である。思うに教えは、自分を信じている者に施すものである。先王の民は先王を信じる者であった。孔子の門人は孔子を信じる者であった。だからその教えが入ったのである。孟子は、自分を信じていない人を、自分の言葉によって信じさせようとした。これは戦国時代の遊説家のやることであって、人を教える道ではない。だから私は、子思・孟子は外部の者と争った人だと言うのである。後世の儒者は、その外部と争うための言葉を、すぐに学ぶ者に施そうとする。物事の種類の違いが分かっていないと言うべきである。
解説
この章句が説くこと
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