弁道 / 第七則
孟子惻隱以愛語仁。是其性善之說。必本諸人心。故不得不以愛言之耳。雖有愛人之心。而澤及不物。豈足以爲仁哉。故雖孟子亦有仁政之說矣。後儒廼不識孟子實爲勸世之言。而謂用力於仁。莫切於孟子也。則輒欲推其惻隱之心以成聖人之仁。可謂妄意不自揣之甚已。主張其學者。遂至謂佛有仁無義也。夫佛無安天下之道。豈足以爲仁哉。墨子乃有見先王之道。仁莫以尙焉。遂謂仁足以盡一切矣。殊不知天地大德曰生。仁亦聖人大德也。雖然。亦一德也。若天地一於生。則何以有夏秋冬乎。聖人一於仁。則何以有勇智信義乎。孟子擧義折之者是矣。然仁義竝言。而仁由是小矣。安在其爲大德乎。
新字:孟子惻隠以愛語仁。是其性善之説。必本諸人心。故不得不以愛言之耳。雖有愛人之心。而沢及不物。豈足以為仁哉。故雖孟子亦有仁政之説矣。後儒廼不識孟子実為勧世之言。而謂用力於仁。莫切於孟子也。則輒欲推其惻隠之心以成聖人之仁。可謂妄意不自揣之甚已。主張其学者。遂至謂仏有仁無義也。夫仏無安天下之道。豈足以為仁哉。墨子乃有見先王之道。仁莫以尚焉。遂謂仁足以尽一切矣。殊不知天地大徳曰生。仁亦聖人大徳也。雖然。亦一徳也。若天地一於生。則何以有夏秋冬乎。聖人一於仁。則何以有勇智信義乎。孟子挙義折之者是矣。然仁義並言。而仁由是小矣。安在其為大徳乎。
書き下し
孟子惻隠愛を以て仁を語る。是れ其の性善の説、必ず諸を人心に本づく。故に愛を以て之を言はざるを得ざるのみ。人を愛するの心有りと雖も、而も沢物に及ばずんば、豈に以て仁と為すに足らんや。故に孟子と雖も亦た仁政の説有り。後儒廼ち孟子の実に世を勧むるの言たるを識らずして、仁に力を用ふるは孟子より切なるは莫しと謂ふ。則ち輒ち其の惻隠の心を推して以て聖人の仁を成さんと欲す。妄意にして自ら揣らざるの甚だしきと謂ふべきのみ。其の学を主張する者、遂に仏は仁有りて義無しと謂ふに至る。夫れ仏に天下を安んずるの道無し。豈に以て仁と為すに足らんや。墨子乃ち先王の道を見る有りて、仁以て尚ふる莫しとし、遂に仁以て一切を尽くすに足ると謂ふ。殊に知らず、天地の大徳を生と曰ひ、仁も亦た聖人の大徳なり。然りと雖も、亦た一徳なり。若し天地生に一ならば、則ち何を以て夏秋冬有らんや。聖人仁に一ならば、則ち何を以て勇智信義有らんや。孟子義を挙げて之を折くは是なり。然れども仁義並び言ひて、而して仁是に由りて小なり。安くに其の大徳たるに在らんや。
現代語訳
孟子は惻隠の心、つまり愛によって仁を語った。それは彼の性善説が必ず人の心に根拠を置くので、愛で言わざるをえなかったのである。しかし人を愛する心があっても、その恵みが実際に物事に及ばなければ、どうして仁と言えようか。だから孟子にも仁政の説がある。後世の儒者は、孟子の言葉が実は世を励ますためのものだと知らず、仁に力を用いるには孟子ほど切実なものはないと言う。そしてすぐに惻隠の心を押し広げて聖人の仁を成し遂げようとする。身のほど知らずの妄想も甚だしいと言うべきである。その学を主張する者は、ついには「仏教には仁はあるが義はない」と言うに至った。そもそも仏教には天下を安んずる道がない。どうして仁と言えようか。墨子は、先王の道において仁より上のものはないと見て、ついに仁ですべてを尽くせると言った。天地の大きな徳は「生」であり、仁もまた聖人の大きな徳であるが、それでも一つの徳にすぎないことを知らないのだ。もし天地が生ばかりなら、どうして夏・秋・冬があろうか。聖人が仁ばかりなら、どうして勇・智・信・義があろうか。孟子が義を持ち出して墨子を論破したのは正しい。しかし仁と義を並べて言ったために、仁はこれによって小さくなってしまった。どこに大徳としての姿があろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之二・仁之上一樊遅仁を問ふ、子曰く人を愛すと。仁は愛をつかさどる。故に仁を行ふの道は、人を愛するにあり。此人の字は、五倫をさして見るべし。人を愛するは、即人倫を愛する也。人の道は仁を行ふにあり。仁を行ふの道は人を愛するにあり。人を愛せんとならば、まづ心の私を去り、人我のへだて無くして、あはれみの心をおしひろむるにあり。愛人を以て仁を説き給ふ。誠に切実にして、近き教なり。
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