弁道 / 第五則
蓋後王君子。奉先王禮樂而行之。不敢違背。而禮樂刑政。先王以是盡於安天下之道。是所謂仁也。後王君子。亦唯順先王禮樂之敎。以得爲仁人耳。是聖人不可學而至焉。仁人可學而能焉。孔子敎人以仁。未嘗以作聖强之。爲是故也。大氏後人信思孟程朱過於先王孔子。何其謬也。
新字:蓋後王君子。奉先王礼楽而行之。不敢違背。而礼楽刑政。先王以是尽於安天下之道。是所謂仁也。後王君子。亦唯順先王礼楽之教。以得為仁人耳。是聖人不可学而至焉。仁人可学而能焉。孔子教人以仁。未嘗以作聖強之。為是故也。大氏後人信思孟程朱過於先王孔子。何其謬也。
書き下し
蓋し後王君子は、先王の礼楽を奉じて之を行ひ、敢へて違背せず。而して礼楽刑政は、先王是を以て天下を安んずるの道を尽くす。是れ所謂仁なり。後王君子も亦た唯先王の礼楽の教へに順ひて、以て仁人と為るを得るのみ。是れ聖人は学びて至るべからず、仁人は学びて能くすべし。孔子人に教ふるに仁を以てし、未だ嘗て聖と作るを以て之を強ひざるは、是が為の故なり。大氐後人の思孟程朱を信ずること先王孔子より過ぐ。何ぞ其れ謬れるや。
現代語訳
思うに後の王や君子は、先王の礼楽をいただいて行い、あえて背くことはない。そして礼楽刑政によって、先王は天下を安んずる道を尽くした。これがいわゆる仁である。後の王や君子も、ただ先王の礼楽の教えに従うことで仁人となれるにすぎない。つまり聖人は学んで到達することはできないが、仁人は学んでなることができる。孔子が人に仁を教え、聖人になれと強いたことが一度もないのは、このためである。おおよそ後世の人は、子思・孟子・程朱を先王・孔子以上に信じている。なんと誤っていることか。
解説
第五則の結論は「聖人は学びて至るべからず、仁人は学びて能くすべし」である。先王は礼楽刑政を作って天下を安んずる道を尽くし、それが仁であった。後の王や君子は、その礼楽に従って行うことで仁人になれる。だから孔子は仁を教えても、聖人になれとは求めなかったという。朱子学の「学んで聖人に至る」という目標を否定し、到達できる目標に置き換えている。誰もが創業者になる必要はなく、優れた仕組みを受け継いで誠実に運用すれば十分に役割を果たせる、という励ましとしても読める。
この章句が説くこと
仁聖人礼楽学問先王孔子
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『格言聯璧』學問類・萬物一體、之を仁と謂ふ忠を竭し孝を盡す、之を人と謂ふ。國を治め邦を經む、之を學と謂ふ。 危を安んじ變を定む、之を才と謂ふ。天を經とし地を緯とす、之を文と謂ふ。 霽月光風、之を度と謂ふ。萬物一體、之を仁と謂ふ。 心術を以て本根と爲し、倫理を以て楨幹と爲し、學問を以て菑畬と爲し、文章を以て花萼と爲し、事業を以て結實と爲し、書史を以て園林と爲し、歌詠を以て鼓吹と爲し、義理を以て膏粱と爲し、著述を以て文繡と爲し、誦讀を以て耕耘と爲し、記問を以て居積と爲し、前言往行を以て師友と爲し、忠信篤敬を以て修持と爲し、作善降祥を以て受用と爲し、樂天知命を以て依歸と爲す。
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『童子問』卷上問ふ、南軒張子、論語中の仁を言ふ諸章を類聚して一編と為し、名づけて洙泗言仁録と曰ふ。当れるか。曰く、然らず。魯論二十篇、頭より尾に至るまで、一言として仁に非ざる無し。南軒は唯仁を言ふ処の仁為るを知りて、仁を言はざる処も亦総て是れ仁なることを知らず。大伝に固より言ふ、「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、智者は之を見て之を智と謂ふ。百姓は日に用ひて知らず。故に君子の道鮮し」と。然れども仁は徳の長なり。学仁に至れば、則ち衆徳合湊す。故に子夏曰く、「博く学びて篤く志し、切に問ひて近く思ふ。仁其の中に在り」と。夫れ博学篤志、切問近思は、皆学問の事なり。子夏何を以て仁其の中に在りと言ふや。蓋し仁は聖門学問の宗旨にして、仁の外に所謂学問なる者無きなり。諸老先生皆理に依りて之を解す。仁の義を去ること益々遠し。
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