弁道 / 第四則
先王之道。先王所造也。非天地自然之道也。蓋先王以聰明叡知之德受天命。王天下。其心一以安天下爲務。是以盡其心力。極其知巧。作爲是道。使天下後世之人由是而行之。豈天地自然有之哉。伏義神農黃帝亦聖人也。其所作爲。猶且止於利用厚生之道。經顓頊帝嚳。至於堯舜。而後禮樂始立焉。夏殷周而後粲然始備焉。是更數千年。更數聖人之心力知巧而成焉者。亦非一聖人一生之力所能辨焉者。故雖孔子亦學而後知焉。而謂天地自然有之而可哉。
新字:先王之道。先王所造也。非天地自然之道也。蓋先王以聰明叡知之徳受天命。王天下。其心一以安天下為務。是以尽其心力。極其知巧。作為是道。使天下後世之人由是而行之。豈天地自然有之哉。伏義神農黄帝亦聖人也。其所作為。猶且止於利用厚生之道。経顓頊帝嚳。至於堯舜。而後礼楽始立焉。夏殷周而後粲然始備焉。是更数千年。更数聖人之心力知巧而成焉者。亦非一聖人一生之力所能弁焉者。故雖孔子亦学而後知焉。而謂天地自然有之而可哉。
書き下し
先王の道は先王の造る所なり。天地自然の道に非ざるなり。蓋し先王は聡明叡知の徳を以て天命を受け、天下に王たり。其の心一に天下を安んずるを以て務めと為す。是を以て其の心力を尽くし、其の知巧を極め、是の道を作為し、天下後世の人をして是に由りて之を行はしむ。豈に天地自然に之有らんや。伏羲・神農・黄帝も亦た聖人なり。其の作為する所は、猶且つ利用厚生の道に止まる。顓頊・帝嚳を経て堯舜に至り、而る後に礼楽始めて立つ。夏殷周よりして後、粲然として始めて備はる。是れ数千年を更へ、数聖人の心力知巧を更へて成る者にして、亦た一聖人一生の力の能く辨ずる所の者に非ず。故に孔子と雖も亦た学びて後に之を知る。而るを天地自然に之有りと謂ひて可ならんや。
現代語訳
先王の道は先王が造ったものである。天地自然の道ではない。思うに先王は、聡明で深い知恵を持つ徳によって天命を受けて天下の王となり、その心はひたすら天下を安んずることを務めとした。だから心と力を尽くし、知恵と工夫を極めてこの道を作り上げ、天下後世の人々がこれに従って行えるようにしたのである。どうして天地に自然に存在するものであろうか。伏羲・神農・黄帝も聖人ではあったが、その作ったものはまだ、物を役立て暮らしを豊かにする道にとどまった。顓頊・帝嚳を経て堯・舜に至り、そこで初めて礼楽が立った。夏・殷・周以後になって、ようやくはっきりと備わった。これは数千年をかけ、何人もの聖人の心と力、知恵と工夫を重ねてできあがったもので、一人の聖人の一生の力でできるものではない。だから孔子でさえ学んではじめてこれを知ったのである。それを天地に自然にあるものだと言ってよいものか。
解説
この章句が説くこと
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