万民徳用 / 武士日用・答その一前半
答て曰く、佛法世法、二にあらず。佛語に、世間に入得すれは出世餘なしといへり。佛法も世法も、理を正義を行ふて、正直の道を用ゆるの外なし。正直といふに淺深有り、理をまげず義を守て、五倫の道正して、物に違はず私の心なきをは、世間の正直とす。是は淺きより深きに入るの道なり。又佛法の上に正直といふは、一切有爲の法は、虛妄幻化の僞なりと悟て、本來本法身天然自性のまゝに用ゆるを眞の正直とす。夫れ凡夫は大病人なり、佛は大醫王なり、凡夫は先つ病をしるへし。生死無明の心中に、顚倒迷妄の病あり、慳貪邪見の病有り、怯弱不義の病有り、三毒の心を根本として、八萬四千の煩惱の病となる、此の心を除滅するを佛法といふなり。是れ則ち世法にことならんや。夫れ達道の人といふは、本來空なる理を知て、理と義を鍛治となして、日夜此の心を鍊鍛て、不淨穢惡のあるをさり、清淨無碍の心劔となして、我執貪着の念根を裁斷して、萬念に勝得て、一切の上に乘て、物のために煩はず。不生不滅なるを、道人といふなり。又凡夫といふは、幻化の僞をまとゝなし、有相執着の私の心を造り出し、貪嗔痴の念をはじめ、あらゆる煩惱を起して、本心を失ひ、散亂の心を休むことなく、念々發るに從て、其の念に負て、心をくだき身を苦しめて、浮ふ心なく、悶々として空しく光陰を送り、已に迷ひてたゞよひ、物に逢着するを、凡夫心と名付けたり。去れは本來の心の異名をしるべし。金剛の正体と云ひ、堅固法身といふ、此の心物にかゝはらず、恐れず驚かず、愛へず退かず、不動不變にして、一切の主人となる。
新字:答て曰く、仏法世法、二にあらず。仏語に、世間に入得すれは出世余なしといへり。仏法も世法も、理を正義を行ふて、正直の道を用ゆるの外なし。正直といふに浅深有り、理をまげず義を守て、五倫の道正して、物に違はず私の心なきをは、世間の正直とす。是は浅きより深きに入るの道なり。又仏法の上に正直といふは、一切有為の法は、虚妄幻化の偽なりと悟て、本来本法身天然自性のまゝに用ゆるを真の正直とす。夫れ凡夫は大病人なり、仏は大医王なり、凡夫は先つ病をしるへし。生死無明の心中に、顛倒迷妄の病あり、慳貪邪見の病有り、怯弱不義の病有り、三毒の心を根本として、八万四千の煩悩の病となる、此の心を除滅するを仏法といふなり。是れ則ち世法にことならんや。夫れ達道の人といふは、本来空なる理を知て、理と義を鍛治となして、日夜此の心を錬鍛て、不浄穢悪のあるをさり、清浄無碍の心剣となして、我執貪着の念根を裁断して、万念に勝得て、一切の上に乗て、物のために煩はず。不生不滅なるを、道人といふなり。又凡夫といふは、幻化の偽をまとゝなし、有相執着の私の心を造り出し、貪嗔痴の念をはじめ、あらゆる煩悩を起して、本心を失ひ、散乱の心を休むことなく、念々発るに従て、其の念に負て、心をくだき身を苦しめて、浮ふ心なく、悶々として空しく光陰を送り、已に迷ひてたゞよひ、物に逢着するを、凡夫心と名付けたり。去れは本来の心の異名をしるべし。金剛の正体と云ひ、堅固法身といふ、此の心物にかゝはらず、恐れず驚かず、愛へず退かず、不動不変にして、一切の主人となる。
書き下し
答て曰く、仏法世法、二にあらず。仏語に、世間に入得すれは出世余なしといへり。仏法も世法も、理を正義を行ふて、正直の道を用ゆるの外なし。正直といふに浅深有り、理をまげず義を守て、五倫の道正して、物に違はず私の心なきをは、世間の正直とす。是は浅きより深きに入るの道なり。又仏法の上に正直といふは、一切有為の法は、虚妄幻化の偽なりと悟て、本来本法身天然自性のまゝに用ゆるを真の正直とす。夫れ凡夫は大病人なり、仏は大医王なり、凡夫は先つ病をしるへし。生死無明の心中に、顛倒迷妄の病あり、慳貪邪見の病有り、怯弱不義の病有り、三毒の心を根本として、八万四千の煩悩の病となる、此の心を除滅するを仏法といふなり。是れ則ち世法にことならんや。夫れ達道の人といふは、本来空なる理を知て、理と義を鍛治となして、日夜此の心を錬鍛て、不浄穢悪のあるをさり、清浄無碍の心剣となして、我執貪着の念根を裁断して、万念に勝得て、一切の上に乗て、物のために煩はず。不生不滅なるを、道人といふなり。又凡夫といふは、幻化の偽をまとゝなし、有相執着の私の心を造り出し、貪嗔痴の念をはじめ、あらゆる煩悩を起して、本心を失ひ、散乱の心を休むことなく、念々発るに従て、其の念に負て、心をくだき身を苦しめて、浮ふ心なく、悶々として空しく光陰を送り、已に迷ひてたゞよひ、物に逢着するを、凡夫心と名付けたり。去れは本来の心の異名をしるべし。金剛の正体と云ひ、堅固法身といふ、此の心物にかゝはらず、恐れず驚かず、愛へず退かず、不動不変にして、一切の主人となる。
現代語訳
答えて言う。仏法と世法は二つではない。仏の言葉に、世間に深く入り込めば出世間(悟り)に余りはない、とある。仏法も世法も、道理と正義を行って、正直の道を用いるほかにはない。正直にも浅い深いがある。道理を曲げず義を守り、五倫の道を正して、物事に違わず私心のないことを、世間の正直とする。これは浅いところから深いところへ入る道である。また、仏法の上で正直というのは、あらゆる作為のものは虚妄で幻のような偽りだと悟って、本来の仏の身としての天然のままの本性のままに働くことを、真の正直とする。そもそも凡夫は大病人であり、仏は大医王である。凡夫はまず自分の病を知るべきだ。生死と無明の心の中には、顚倒迷妄の病があり、貪欲と邪見の病があり、臆病で不義の病があり、三毒の心を根本として、八万四千の煩悩の病となる。この心を除き滅ぼすのを仏法という。これはまさに世法と異なるだろうか。道に通じた人というのは、本来空であるという道理を知って、理と義を鍛冶として、日夜この心を鍛え、不浄や穢れ悪を去り、清浄で妨げのない心を剣として、我執や貪着の念の根を断ち切り、あらゆる念に打ち勝ち、すべてのものの上に乗って、物のために煩わされない。不生不滅であるこの人を、道人という。また凡夫というのは、幻の偽りを拠り所とし、形に執着する私の心を作り出し、貪り・怒り・愚かさの念をはじめ、あらゆる煩悩を起こして、本心を失い、散り乱れる心を休めることなく、念が起こるたびにその念に負けて、心を砕き身を苦しめ、浮かぶ心もなく、悶々としてむなしく月日を送り、すでに迷ってさまよい、物にぶつかるとそれに囚われる、これを凡夫心と名付けたのである。そこで本来の心の別名を知っておくべきだ。金剛の正体といい、堅固な法身という。この心は物にかかわらず、恐れず驚かず、貪らず退かず、不動不変であって、あらゆるものの主人となる。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷中師一日謂衆曰く、四民は、去る人武勇の上にて用ゆるやうに書き与へよと云ふに仍て書く、次でに末の三段を書き添て、四民日用とす。四段共に用ひ様は一つ也。業替りたるばかり也。又曰く、武士日用に、仏法世法二に有らすと云ふは、世間の上を修行に用ゆる也。然れは又修行の功にて、世間次第に自由に使ふ也。仏法なくして世間自由に使はるへからず。又仏法も世法も、理を正し義を行て、正直の道を用ゆるの外なしと云ふは、今時善悪をも知らず、人に打れても、面かひ拭て居る様の者を、正直な人哉抔と云ふ。でも無い事也。世話に正直坊の腹立てずと云ふ。何の用にも立たぬ人也。
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『驢鞍橋』卷中又異国の言に父羊を賊めは、子是れを以て現す、是れを正直とす。又或は父羊を賊めは、子是れを蔵す、直きこと其中にあり。是れを正直とす抔といへり。今時の人に正直の体をいへといはは、云ふ人有るへからす。故に終に聞かねとも、理を正し義を行て、私の心なきを正直の体と書く也。我正直の体は是れ也。又仏法の上に正直と云ふは、一切有為の法は、虚妄幻化の偽なりと悟て、本来本法身天然自性の儘に用ひた人間を、真の正直と云ふは、態と高く書きた也。十牛ならは、十番の瓢を提て鄽に入た境界抔か、天然自性の儘に用ひた人也。凡夫者、先つ病を知るへし。生死無明の心中に、顛倒迷妄の病あり、慳貪邪見の病あり、怯弱不義の病あり、三毒の心を根本として、八万四千の煩悩の病となる。此の心を除滅するを仏法と云ふ也。是れ世法に異ならんや。何と悪い事をなくするを、世法に背ひた事と云はんや。
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万民徳用・武士日用・答その二前半答て云はく、修行の道、千差万別なりといへとも、肝要は、唯身を思ふ念を退治するの外なし。苦の根源は、已己を思ふ一念なり。如此なりとしるは理なり、此の理を知て力を出し、真実勇猛の心を以て、此の一念を滅却するは、偏に義のなす処なり。理なき人は、苦楽の根源を弁へす。義なき人は、生死のきつなを切る事あたはず。強く眼を着くべし。然れは凡夫心に物に勝て浮ふ心あり、物に負ては沈む心あり。浮ふ心を用ゆるは、仏界に入る門なり。沈む心を用ゆるは、獄中に入る道なり。専ら出離の願力を以て、昼夜浮む心を守べし。物に勝て浮ふ心の類、勇猛の心を体とす。一、生死を守る心。二、恩をしる心。三、一陣にすゝむ心。四、因果の理をしる心。五、幻化無常を観する心。六、此の身の不浄を観する心。七、光陰を惜む心。八、三宝を信仰する心。九、此の身を主君に抛つ心。十、自已を守る心。十一、捨身を守る心。十二、自己の非をしる心。十三、貴人主君の前に居する心。十四、仁義を守る心。十五、仏語祖語眼を着る心。十六、慈悲正直の心。十七、一大事因縁を思ふ心。如此の心は、勇猛堅固の心より出る故に、諸の執着を離れ、物に勝て浮ふなり。去れは浮ふ心を守る時は、忽ち出て死すとも、苦患軽くなるべし。此の心を守らん人は、唯能く金剛の形像、不動の像等に眼を着ぐへし。是則ち悪魔降伏の体を表せり。勇猛堅固の心あらは、是れをしるべし。怯弱の心を以てみる事有るべからず。此の勇猛の心間断なき時は、心城堅固にして、無碍自在の徳力あり。縦ひ八万四千の魔軍嬈ひ起て責め来るとも、面を合する事あたはず、還て威勢を失ひ力尽きて、悉く消滅すへし。武勇を専とする人、豈に此の心を用ねざらんや。若し怯弱の心にして、着相の念あらは、魔軍力を得、威勢をまして、即時に法性城中に責め入り、心王を撼惑し、六賊喜悦の眉をひらき、邪魔自在を得、十八界に飛行して、終に泥犂に沈みはつへし。切に用心せすば有るべからす。物に負て沈む心の類。一、己を忘て心をぬかす油断の心。
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万民徳用・武士日用・問その二問ふて云はく、仏道修行の趣、理をしり義行ひて、正直の旨を得る事、尤も至極なり。此の上には正直の道を修すべき心遣を微細に示し給へ。
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『驢鞍橋』卷中〇一、仏語に、世間に入得すれは、出世余り無しと説き給へり。此の文は世法にて成仏するの理也。然れは世法則ち仏法也。華厳に仏法は世間法に異ならず。世間法は仏法に異ならずと如此説き給へり。若し世法にて成仏する道理を用ゐざれは、一切仏意を知らさる人也、と云ふは、此の仏説の如くんは、世間を其の儘仏法に用ひすんは、仏法に非すと也。然る間、世法を仏法になし給へかしとの念願也。其の用には四民抔か好き也。殊に盲安杖天然と書き合はせたり。始めは世法に書き、後には成仏になしる理也。
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