万民徳用 / 武士日用・問その一
武士問ふて云はく、佛法世法、車の兩輪のごとしといへり。然りと雖も、佛法なくとも、世間に事闕くべからず、何ぞ車の兩輪に譬へたるや。
新字:武士問ふて云はく、仏法世法、車の両輪のごとしといへり。然りと雖も、仏法なくとも、世間に事闕くべからず、何ぞ車の両輪に譬へたるや。
書き下し
武士問ふて云はく、仏法世法、車の両輪のごとしといへり。然りと雖も、仏法なくとも、世間に事闕くべからず、何ぞ車の両輪に譬へたるや。
現代語訳
武士が問うて言った。仏法と世法(世間の法)は、車の両輪のようなものだと言われています。しかし、仏法がなくても世の中の事は欠けることなく成り立つでしょう。それなのに、どうして車の両輪にたとえられるのですか。
解説
『武士日用』の冒頭、武士が率直に疑問を投げかける問いです。仏法がなくとも世間は回るのではないか、という疑いは、現代の人が「理念や哲学は実務に必要なのか」と問う姿勢にとても近いものです。正三はこの種の素朴な反問をわざわざ書き留め、答えの中で職分と修行の結びつきを説いていきます。もと武士であった彼は、武士が抱く実務的な疑問を肌で知っていました。最初に問いを立てる構成そのものが、読者を巻き込む工夫でもあります。
この章句が説くこと
武士仏法世法車の両輪問い疑問
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