万民徳用 / 武士日用・答その二前半
答て云はく、修行の道、千差万別なりといへとも、肝要は、唯身を思ふ念を退治するの外なし。苦の根源は、已己を思ふ一念なり。如此なりとしるは理なり、此の理を知て力を出し、眞實勇猛の心を以て、此の一念を滅却するは、偏に義のなす處なり。理なき人は、苦樂の根源を辨へす。義なき人は、生死のきつなを切る事あたはず。强く眼を着くべし。然れは凡夫心に物に勝て浮ふ心あり、物に負ては沈む心あり。浮ふ心を用ゆるは、佛界に入る門なり。沈む心を用ゆるは、獄中に入る道なり。專ら出離の願力を以て、晝夜浮む心を守べし。物に勝て浮ふ心の類、勇猛の心を体とす。一、生死を守る心。二、恩をしる心。三、一陣にすゝむ心。四、因果の理をしる心。五、幻化無常を觀する心。六、此の身の不淨を觀する心。七、光陰を惜む心。八、三寶を信仰する心。九、此の身を主君に拋つ心。十、自已を守る心。十一、捨身を守る心。十二、自己の非をしる心。十三、貴人主君の前に居する心。十四、仁義を守る心。十五、佛語祖語眼を着る心。十六、慈悲正直の心。十七、一大事因縁を思ふ心。如此の心は、勇猛堅固の心より出る故に、諸の執着を離れ、物に勝て浮ふなり。去れは浮ふ心を守る時は、忽ち出て死すとも、苦患輕くなるべし。此の心を守らん人は、唯能く金剛の形像、不動の像等に眼を着ぐへし。是則ち惡魔降伏の躰を表せり。勇猛堅固の心あらは、是れをしるべし。怯弱の心を以てみる事有るべからず。此の勇猛の心間斷なき時は、心城堅固にして、無碍自在の德力あり。縱ひ八万四千の魔軍嬈ひ起て責め來るとも、面を合する事あたはず、還て威勢を失ひ力盡きて、悉く消滅すへし。武勇を專とする人、豈に此の心を用ねざらんや。若し怯弱の心にして、着相の念あらは、魔軍力を得、威勢をまして、即時に法性城中に責め入り、心王を撼惑し、六賊喜悅の眉をひらき、邪魔自在を得、十八界に飛行して、終に泥犂に沈みはつへし。切に用心せすば有るべからす。物に負て沈む心の類。一、己を忘て心をぬかす油斷の心。
新字:答て云はく、修行の道、千差万別なりといへとも、肝要は、唯身を思ふ念を退治するの外なし。苦の根源は、已己を思ふ一念なり。如此なりとしるは理なり、此の理を知て力を出し、真実勇猛の心を以て、此の一念を滅却するは、偏に義のなす処なり。理なき人は、苦楽の根源を弁へす。義なき人は、生死のきつなを切る事あたはず。強く眼を着くべし。然れは凡夫心に物に勝て浮ふ心あり、物に負ては沈む心あり。浮ふ心を用ゆるは、仏界に入る門なり。沈む心を用ゆるは、獄中に入る道なり。専ら出離の願力を以て、昼夜浮む心を守べし。物に勝て浮ふ心の類、勇猛の心を体とす。一、生死を守る心。二、恩をしる心。三、一陣にすゝむ心。四、因果の理をしる心。五、幻化無常を観する心。六、此の身の不浄を観する心。七、光陰を惜む心。八、三宝を信仰する心。九、此の身を主君に抛つ心。十、自已を守る心。十一、捨身を守る心。十二、自己の非をしる心。十三、貴人主君の前に居する心。十四、仁義を守る心。十五、仏語祖語眼を着る心。十六、慈悲正直の心。十七、一大事因縁を思ふ心。如此の心は、勇猛堅固の心より出る故に、諸の執着を離れ、物に勝て浮ふなり。去れは浮ふ心を守る時は、忽ち出て死すとも、苦患軽くなるべし。此の心を守らん人は、唯能く金剛の形像、不動の像等に眼を着ぐへし。是則ち悪魔降伏の体を表せり。勇猛堅固の心あらは、是れをしるべし。怯弱の心を以てみる事有るべからず。此の勇猛の心間断なき時は、心城堅固にして、無碍自在の徳力あり。縦ひ八万四千の魔軍嬈ひ起て責め来るとも、面を合する事あたはず、還て威勢を失ひ力尽きて、悉く消滅すへし。武勇を専とする人、豈に此の心を用ねざらんや。若し怯弱の心にして、着相の念あらは、魔軍力を得、威勢をまして、即時に法性城中に責め入り、心王を撼惑し、六賊喜悦の眉をひらき、邪魔自在を得、十八界に飛行して、終に泥犂に沈みはつへし。切に用心せすば有るべからす。物に負て沈む心の類。一、己を忘て心をぬかす油断の心。
書き下し
答て云はく、修行の道、千差万別なりといへとも、肝要は、唯身を思ふ念を退治するの外なし。苦の根源は、已己を思ふ一念なり。如此なりとしるは理なり、此の理を知て力を出し、真実勇猛の心を以て、此の一念を滅却するは、偏に義のなす処なり。理なき人は、苦楽の根源を弁へす。義なき人は、生死のきつなを切る事あたはず。強く眼を着くべし。然れは凡夫心に物に勝て浮ふ心あり、物に負ては沈む心あり。浮ふ心を用ゆるは、仏界に入る門なり。沈む心を用ゆるは、獄中に入る道なり。専ら出離の願力を以て、昼夜浮む心を守べし。物に勝て浮ふ心の類、勇猛の心を体とす。一、生死を守る心。二、恩をしる心。三、一陣にすゝむ心。四、因果の理をしる心。五、幻化無常を観する心。六、此の身の不浄を観する心。七、光陰を惜む心。八、三宝を信仰する心。九、此の身を主君に抛つ心。十、自已を守る心。十一、捨身を守る心。十二、自己の非をしる心。十三、貴人主君の前に居する心。十四、仁義を守る心。十五、仏語祖語眼を着る心。十六、慈悲正直の心。十七、一大事因縁を思ふ心。如此の心は、勇猛堅固の心より出る故に、諸の執着を離れ、物に勝て浮ふなり。去れは浮ふ心を守る時は、忽ち出て死すとも、苦患軽くなるべし。此の心を守らん人は、唯能く金剛の形像、不動の像等に眼を着ぐへし。是則ち悪魔降伏の体を表せり。勇猛堅固の心あらは、是れをしるべし。怯弱の心を以てみる事有るべからず。此の勇猛の心間断なき時は、心城堅固にして、無碍自在の徳力あり。縦ひ八万四千の魔軍嬈ひ起て責め来るとも、面を合する事あたはず、還て威勢を失ひ力尽きて、悉く消滅すへし。武勇を専とする人、豈に此の心を用ねざらんや。若し怯弱の心にして、着相の念あらは、魔軍力を得、威勢をまして、即時に法性城中に責め入り、心王を撼惑し、六賊喜悦の眉をひらき、邪魔自在を得、十八界に飛行して、終に泥犂に沈みはつへし。切に用心せすば有るべからす。物に負て沈む心の類。一、己を忘て心をぬかす油断の心。
現代語訳
答えて言う。修行の道は千差万別ではあるが、肝心なのは、ただ身を思う念を退治するほかない。苦の根源は、自己を思う一念である。そうだと知るのは理であり、この理を知って力を出し、真実の勇猛の心でこの一念を滅却するのは、ひとえに義のはたらきである。理のない人は苦楽の根源をわきまえず、義のない人は生死の綱を断ち切ることができない。強く心を留めよ。さて、凡夫の心には、物に勝って浮かぶ心と、物に負けて沈む心がある。浮かぶ心を用いるのは仏界に入る門であり、沈む心を用いるのは獄中に入る道である。ひたすら迷いから離れる願いの力で、昼夜、浮かぶ心を守りなさい。物に勝って浮かぶ心の種類は、勇猛の心を本体とする。一、生死を守る心。二、恩を知る心。三、一番に進む心。四、因果の理を知る心。五、幻のように無常であると観る心。六、この身の不浄を観る心。七、時を惜しむ心。八、三宝を信仰する心。九、この身を主君に投げ出す心。十、自己を守る心。十一、身を捨てることを守る心。十二、自己の非を知る心。十三、貴人や主君の前にいる心。十四、仁義を守る心。十五、仏の言葉・祖師の言葉に心を留める心。十六、慈悲と正直の心。十七、一大事因縁を思う心。このような心は、勇猛堅固の心から出るので、諸々の執着を離れ、物に勝って浮かぶのである。だから浮かぶ心を守っていれば、たとえ急に死んでも、苦しみは軽くなるだろう。この心を守ろうとする人は、ただよく金剛の像、不動の像などに目を留めなさい。これはそのまま悪魔を降伏させる姿を表している。勇猛堅固の心があるなら、このことを知るがよい。臆病な心で見てはならない。この勇猛の心が絶え間ないときは、心の城は堅固になり、妨げのない自在の徳力がある。たとえ八万四千の魔軍が責め寄せても、顔を合わせることもできず、かえって威勢を失い力尽きて、ことごとく消滅するだろう。武勇を専らとする人が、どうしてこの心を用いないでいられようか。もし臆病な心で形に執着する念があれば、魔軍は力を得、勢いを増して、たちまち法性の城中に攻め入り、心の王を揺さぶり惑わし、六賊は喜んで眉を開き、邪魔は自在を得て、十八界に飛び回り、ついには地獄に沈みきるだろう。切に用心しなければならない。物に負けて沈む心の種類。一、己を忘れて心を抜かす油断の心。
解説
この章句が説くこと
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万民徳用・武士日用・答その二後半二、遊山活計観楽の心。三、義理をしらざる心。四、因果の理をしらざる心。五、無常幻化をしらざる心。六、名聞利養を思ふ心。七、花美奢心。八、狐疑不信の心。九、物にすき好む一切着の心。十、怯弱にして勇のなき心。十一、慳貪無慈悲の心。十二、他の是非を思ふ心。十三、我執自慢の心。十四、愛念嫉妬の心。十五、恩をしらざる心。十六、諂証諂曲の心。十七、生死を忘るゝ心。又喜怒憂思悲恐驚の七情あり。此の七情より万病発るといへり。如此の心は、黒闇の中より出る心にして、品々限なしといへども、右の旨を以て察すべし、唯是れ執着を体として出るが故に、念々に発るに随て、其念に負て本心を失ひ、苦悩して沈む心也。此の沈む心に住する時、忽ち出て死せよといは、苦患強かるへし。去れは己に勝つを賢とし、己か心に負てなやむを愚とす。己か心に勝ち得る時は、万事に勝ちて、物の上と成て自由なり。己か心に負くる時は、万事に負て物の下と成て、うかふ事あたはす。心に心を着けて、強く守るへし。「心こそ心まとはす心なれ心に心こゝろゆるすな。」此の歌尤も至極せり。心を恣にする時は、着相の念增長して、三途に落入るなり。心を殺し得る時は、直に仏果に至るなり。古語に殺生せよ殺生せよ、刹那も殺生せざれは、地獄に入ると矢のごとし。如此の語に眼を着くへし。正法念経に、智者常懐憂。如似獄中囚。愚者常歓楽。猶如光音天。仏説如此、先賢の用心皆以て猶疎なるべからす。一大事といふ事を能くしるべし。何ぞ夢幻の此の身を愛楽して、泥犂に沈みはてんや。時々に心を改むへし。我心面にあらはれいでんには、人中に交りかたかるへし。偏に慚愧の心強くして、正直の旨に住し、離相離名の大願力を発し、一切を放下して、勇猛精進の信力を以て身命を捨て、切に急に無上の道にすゝむへし。此の心昼夜閒断なく、通身堅固に夢中ともに守て、久々に純熟せは、自然に内外打成一片と成て、忽然として大夢さめて、仏法世法共に成就して、竪窮三際横亙十方へし。
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『驢鞍橋』卷中修行の道千差万別なりといへ共、肝要は身を思ふ一念也と云ふは、何と修行せうとも、其の肝要は、身を思ふ念一つを離るゝが体也。一切の苦は、此の念より起る也。身を捨て得たらは、何事か苦ならんや。是れ慥に合手を見たる処也。又然れば凡夫心に物に勝て浮心あり。物に負て沈心あり。浮心を用ゆるは、仏界に入るの門、沈心を用ゆるは獄中に入る道也。専ら出離の願力を以て、昼夜浮心を守るへしと云ふは、凡夫心に此の二筋あり。浮心と云ふは、急度いきた機也。是れ仏界の道也。昼夜此の心を守るへし。物に勝て浮心の類勇猛心を体とす。始めは物に勝て浮心の類と計り書きけれ共、人錯て心を用るに因て、後ち勇猛心を体とすと書き添えたり。十七段ともに此の心か体也。総して此の勇猛心一つか修行の体也。此の心を用ゐて、有相執着の一念を滅する事一つ也。
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万民徳用・武士日用・答その一後半如此通徹して用得るを、大丈夫の漢と云ひ、鉄心肝と云ひ、達道人ともいふ。此の人万念に碍へられす、万事を遣得て大自在なり。然る間、仏道修行の人は、先つ勇猛の心なくして叶ひ難し、怯弱の心を以て仏道に入る事有るべからず。堅く守り強く修せずは、彼の煩悩に随て苦患を受くべし。堅固の心を以て万事に勝つを、道者とし、着相の念にして、万事に負て苦悩するを、凡夫とす。去れば煩悩心を以て血気の勇を励す人、一旦鉄壁を破る威勢ありといへとも、血気終に尽きて変ずる時節あり。丈夫の心は、不動にして変ずる事なし。武士なる人、是れを修して何ぞ丈夫の心に至らさらんや。煩悩心を以て武勇樊噲を撽く人も、臨命終に至て、無常の殺鬼責め来らん時、日来の威勢尽き果て、勇猛の心も失せて力を出す事あたはず、眼をひらかんとするに、いろみえず耳かすかにて、舌すくみ物いふ事叶はす。心中には殺鬼責め入て、心肝五臓を破らんには、出息入息せきつめて、三百六十の骨節、八万四千の毫竅に通徹して、苦患強に随て、無常の殺鬼に向て臆病をあらはし、死出の山の大難堪えがたく、三途の川におぼれて、閻魔の庁庭に恥を曝し、永く三悪四趣に堕在して、世々生々、恥をさらすべき事、自と云ひ他と云ひ、遁れかたかるべし。此の恥は、浮世の人しらざれは、苦しからすといはんや。夢幻なる人間の中の恥をたに疎に思ふは更になし、況や未来永劫の恥においてをや。此の理をしらざるを、理をしる人といはんや、義有る人となさんや。さりとては兼て思ひしり給ふべし。理をしる人ならは、是れを恐るべし。義有る人ならは、勇猛堅固の心剣を以て生死の敵を截断して、泰平に住すべし。
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