万民徳用 / 修行之念願・第四条
一、佛法は、成佛の法也。然れ共成佛の意得邪正あり。若し邪正の差別をしらずは、皆以て邪法なるべし。願はくは成佛の處に眼を着て修行したまへかしとの念願なり。
新字:一、仏法は、成仏の法也。然れ共成仏の意得邪正あり。若し邪正の差別をしらずは、皆以て邪法なるべし。願はくは成仏の処に眼を着て修行したまへかしとの念願なり。
書き下し
一、仏法は、成仏の法也。然れ共成仏の意得邪正あり。若し邪正の差別をしらずは、皆以て邪法なるべし。願はくは成仏の処に眼を着て修行したまへかしとの念願なり。
現代語訳
四、仏法は成仏の法である。しかし成仏の心得には、正しいものと邪なものがある。もしその邪正の違いを知らなければ、すべて邪法になるだろう。願わくは、成仏という一点に眼を据えて修行してほしいというのが念願である。
解説
成仏とは仏になること、つまり迷いを離れて本来の姿に至ることです。正三は、同じ修行をしていても目指すところを取り違えれば邪法になると警告します。形だけ整えても、目的を見失えば意味を失うという指摘です。『驢鞍橋』などでも、彼は形式にとらわれた修行を批判しました。仕事でも、手段が目的化し、会議や報告書の作成そのものが成果と錯覚される場面があります。何のためにやるのかへ眼を戻す姿勢が、ここから読み取れます。
この章句が説くこと
成仏邪正邪法眼を着ける修行
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中〇一、仏法は成仏の法也。然れども成仏の心得に邪正有り。若し邪正の差別を知らすんは、皆以邪法なるへし。願はくは成仏の処に眼を著て修行し給へかしとの念願也、と云ふは、成仏に毫釐の差別有り、諸宗共に分別の外に胸の開かると云ふ事を知らす。心地開るを成仏とす。此の邪正を能く心得て修すへき也。〇一、仏法修行は、三界出離の法也。故に出家と名く。若し三界出離の旨無くんは、出家に非す。願はくは三界出離の修行し給へかしとの念願也、と云ふは、離相離名を体として、三界出離の修行せよとの念願也と云ふは、心一つを滅する事也。
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『驢鞍橋』卷中〇一、仏語に、世間に入得すれは、出世余り無しと説き給へり。此の文は世法にて成仏するの理也。然れは世法則ち仏法也。華厳に仏法は世間法に異ならず。世間法は仏法に異ならずと如此説き給へり。若し世法にて成仏する道理を用ゐざれは、一切仏意を知らさる人也、と云ふは、此の仏説の如くんは、世間を其の儘仏法に用ひすんは、仏法に非すと也。然る間、世法を仏法になし給へかしとの念願也。其の用には四民抔か好き也。殊に盲安杖天然と書き合はせたり。始めは世法に書き、後には成仏になしる理也。
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