万民徳用 / 修行之念願・第五条
一、佛法修行は、三界出離の法也、故に出家と名付く。若し三界出離の旨なくば、出家にあらず。願はくは三界出離の修行し給へかしとの念願なり。
新字:一、仏法修行は、三界出離の法也、故に出家と名付く。若し三界出離の旨なくば、出家にあらず。願はくは三界出離の修行し給へかしとの念願なり。
書き下し
一、仏法修行は、三界出離の法也、故に出家と名付く。若し三界出離の旨なくば、出家にあらず。願はくは三界出離の修行し給へかしとの念願なり。
現代語訳
五、仏法の修行は、三界を出離する法である。だから出家と名づけるのである。もし三界を出離する趣旨がなければ、出家とは言えない。願わくは、三界出離の修行をしてほしいというのが念願である。
解説
三界とは、迷いの世界を欲界・色界・無色界に分けた仏教の考え方で、出離はそこから抜け出すことです。出家という言葉も、家を出たことではなく迷いの世界を離れたことを意味する、と正三は言います。形が僧であっても、中身が伴わなければ出家ではないという厳しい基準です。自身も武士の身分を捨てた経験があるだけに、肩書きと実質のずれには敏感だったのでしょう。現代でも、役職や立場の名前と、その中身が一致しているかを問う視点として読めます。
この章句が説くこと
三界出離出家修行名と実
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷中〇一、仏法は成仏の法也。然れども成仏の心得に邪正有り。若し邪正の差別を知らすんは、皆以邪法なるへし。願はくは成仏の処に眼を著て修行し給へかしとの念願也、と云ふは、成仏に毫釐の差別有り、諸宗共に分別の外に胸の開かると云ふ事を知らす。心地開るを成仏とす。此の邪正を能く心得て修すへき也。〇一、仏法修行は、三界出離の法也。故に出家と名く。若し三界出離の旨無くんは、出家に非す。願はくは三界出離の修行し給へかしとの念願也、と云ふは、離相離名を体として、三界出離の修行せよとの念願也と云ふは、心一つを滅する事也。
-
万民徳用・修行之念願・第二条一、仏は、万徳円満となり。然れは万徳の旨をうけずして修行する人は、仏弟子にあらず。願はくは万徳を旨として修行し給へかしとの念願也。
-
万民徳用・三寶之德用・三寶の威光仏出世あつて、仏法僧の三宝を世界に施し給ふといへども、出家に出離の修行なき時は、三宝の威光隠て、世界の功徳なし。三界をいづるをもつて出家と名を得たり。若し出離の修行なくは、出家に非す。去れば医師は肉身の病を治し、仏弟子は煩悩業苦の心病を治する役人なり。真実の道心なくは叶ふべからす。仏の大法、世間の宝にあらずは、三宝の名も偽となるべし。
-
万民徳用・修行之念願・第四条一、仏法は、成仏の法也。然れ共成仏の意得邪正あり。若し邪正の差別をしらずは、皆以て邪法なるべし。願はくは成仏の処に眼を着て修行したまへかしとの念願なり。
-
万民徳用・修行之念願・第六条一、仏語に世間に入得すれは、出世あまりなしと説き給へり。此の文は、世法にて成仏するの理なり。然れは世法則ち仏法也、華厳に仏法不異世間法。世間法不異仏法。如此説き給へり。若し世法にて成仏する道理を用ゐすは、一切仏意をしらざる人也。願くは世法を則ち仏法になし給へかしとの念願なり。
-
万民徳用・修行之念願・第一条一、仏曰く、仏法は、国王大臣有力檀那に付属すと説きたまへり。然る則は、公儀其下知なくしては、仏法正理なるべからず。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る