万民徳用 / 修行之念願・第二条
一、佛は、萬德圓滿となり。然れは萬德の旨をうけずして修行する人は、佛弟子にあらず。願はくは萬德を旨として修行し給へかしとの念願也。
新字:一、仏は、万徳円満となり。然れは万徳の旨をうけずして修行する人は、仏弟子にあらず。願はくは万徳を旨として修行し給へかしとの念願也。
書き下し
一、仏は、万徳円満となり。然れは万徳の旨をうけずして修行する人は、仏弟子にあらず。願はくは万徳を旨として修行し給へかしとの念願也。
現代語訳
二、仏は、あらゆる徳が欠けることなく満ちた存在である。だから、万徳の趣旨を受け止めずに修行する人は、仏の弟子ではない。願わくは、万徳を根本として修行してほしいというのが私の念願である。
解説
書名の『万民徳用』の「徳用」は、徳を実際に使うことを指します。正三はここで、仏とはあらゆる徳を備えた存在であり、修行はその徳を身につけて役立てるためにあると宣言します。自分一人の悟りや安心だけを目的にする修行は、弟子とは呼べないという厳しい言い方です。現代の仕事でも、知識や資格を持つこと自体が目的になり、人や組織の役に立たない状態は同じ問題でしょう。能力は使われて初めて徳になる、という発想です。
この章句が説くこと
万徳円満仏弟子修行念願徳用
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万民徳用・修行之念願・第四条一、仏法は、成仏の法也。然れ共成仏の意得邪正あり。若し邪正の差別をしらずは、皆以て邪法なるべし。願はくは成仏の処に眼を着て修行したまへかしとの念願なり。
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『驢鞍橋』卷中〇一、仏は万徳円満と也。然らは万徳の旨なくして修行する人は、仏弟子にあらす。願はくは万徳を旨として修行したまへかしとの念願也、と云ふは、万徳は、使ふ様に修せねは使はれぬ也。勇猛の機□する程に、次第に使はるゝ也。然る間、此の旨を守て修行せよとの念願也。畢竟万徳を使ふ事は、我を離るゝを体とする也。〇一、仏宝、法宝、僧宝、是れを三宝と崇め奉る也。此の三宝を受て万民に施し、国土の宝となすへき旨なくして修行する人は、僧に非す。願はくは三宝の旨を守て修行し給へかしとの念願也、と云ふは、本心を仏宝とし、契ふを法宝とし、人に施すを僧宝とす、僧宝なけれは、仏法の二法は立たぬ也。然る間、万民を安んし国土の宝となる様に、真の道を修行し給へかしとの念願也。修し様は、何も前の万徳円満の筋一つ也。
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