晏子春秋 / 外篇下・景公謂晏子,東海之中有水而赤,晏子詳對
景公謂晏子曰:「東海之中,有水而赤,其中有棗,華而不實,何也?」晏子對曰:「昔者秦繆公,乘龍舟而理天下,以黃布裹烝棗,至東海而捐其布,彼黃布,故水赤;烝棗,故華而不實。」公曰:「吾詳問子,何為對?」晏子對曰:「嬰聞之,詳問者亦詳對之也。」
新字:景公謂晏子曰:「東海之中,有水而赤,其中有棗,華而不実,何也?」晏子対曰:「昔者秦繆公,乗竜舟而理天下,以黄布裹烝棗,至東海而捐其布,彼黄布,故水赤;烝棗,故華而不実。」公曰:「吾詳問子,何為対?」晏子対曰:「嬰聞之,詳問者亦詳対之也。」
書き下し
景公晏子に謂いて曰く、「東海の中に、水の赤き有り、其の中に棗有り、華さけども実らず、何ぞや」と。晏子対えて曰く、「昔者秦の繆公、龍舟に乗りて天下を理め、黄布を以て烝棗を裹み、東海に至りて其の布を捐つ。彼の黄布、故に水赤し。烝棗、故に華さけども実らず」と。公曰く、「吾は詳しく子に問う、何為れぞ対うるか」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、詳しく問う者には亦た詳しく之に対うと」と。
現代語訳
景公が晏子に言いました。「東海の中に、水が赤いところがあり、その中に棗の木があって、花は咲くが実らない。これはなぜか」。晏子は答えました。「昔、秦の繆公が龍舟に乗って天下を治め、黄色い布で蒸した棗を包み、東海に着いてその布を捨てました。あの黄色い布のせいで水が赤く、蒸した棗のせいで花は咲いても実らないのです」。公は言いました。「私はでたらめを承知で尋ねたのに、なぜ答えるのか」。晏子は答えました。「私はこう聞いています。でたらめに問う者には、同じくでたらめに答えるものだ、と」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『晏子春秋』雑下・楚王饗晏子進橘置削晏子不剖而食/晏子布衣棧車而朝田桓子侍景公飲酒請浮之景公晏子をして楚に使いせしむ。楚王橘を進め、削を置く。晏子剖かずして並びに之を食す。楚王曰く、「橘は当に剖を去るべし」と。晏子対えて曰く、「臣之を聞く、人主の前に賜わる者は、瓜桃は削らず、橘柚は剖かずと。今者万乗の主教令無し。臣故に敢えて剖かず。然らずんば、臣知らざるに非ざるなり」と。景公酒を飲む。田桓子侍し、晏子を望み見て公に復して曰く、「請う、晏子を浮せん」と。公曰く、「何の故ぞ」と。無宇対えて曰く、「晏子緇布の衣、麋鹿の裘、棧軫の車に、駑馬を駕して以て朝す。是れ君の賜を隠すなり」と。公曰く、「諾」と。晏子坐す。酌者觴を奉じて之に進めて曰く、「君、子を浮せしむ」と。晏子曰く、「何の故ぞ」と。田桓子曰く、「君之に卿位を賜いて以て其の身を顕らかにし、之に百万を寵して以て其の家を富ます。群臣の爵、子より尊きは莫く、禄、子より重きは莫し。今子緇布の衣、麋鹿の裘、棧軫の車、而して駑馬を駕して以て朝す。則ち是れ君の賜を隠すなり。故に子を浮す」と。晏子席を避けて曰く、「請う、飲みて而る後に辞せんか。其れ辞して而る後に飲まんか」と。公曰く、「辞して然る後に飲め」と。
-
『晏子春秋』諫下・景公自矜冠裳遊處之貴晏子諫景公西曲潢を為る。其の深さ軌を滅し、高さ三仞、木を横たえて龍蛇とし、木を立てて鳥魯とす。公黼黻の衣、素繡の裳を衣て、一衣にして五彩具わり、球玉を帯びて冠且、被髪乱首にして、南面して立ち、傲然たり。晏子見ゆ。公曰く、「昔仲父の霸は何如」と。晏子首を抑えて対えず。公又た曰く、「昔仲父の霸は何如」と。晏子対えて曰く、「臣之を聞く、維れ翟人は龍蛇と比すと。今君木を横たえて龍蛇とし、木を立てて鳥魯とす、亦た室の一就なり、何ぞ霸に在るに暇あらんや。且つ公室の美を伐り、衣服の麗を矜り、一衣にして五彩具わり、球玉を帯びて冠且、被髪乱首なるは、亦た室の一容なり。万乗の君にして、一心に邪に壱にす、君の魂魄亡せり、誰と与にか霸を図らんや」と。公堂を下りて晏子に就きて曰く、「梁丘据、裔款は室の成るを以て寡人に告ぐ、是を以て窃かに此の服を襲い、据款と笑いを為す、又た夫子をして及ばしむ、寡人請う室を改め服を易え、而して敬んで命を聴かん、其れ可ならんか」と。晏子曰く、「夫れ二子は君を営わすに邪を以てす、公安んぞ道を知るを得んや。且つ木を伐るに其の根よりせざれば、則ち蘖又た生ず。公何ぞ二子の者を去りて、耳目をして淫せしむる毋からざる」と。
-
『晏子春秋』雑上・景公游紀得金壺中書晏子因以諷之景公紀に游び、金壺を得たり。発きて之を視るに、中に丹書有り、曰く、「反魚を食う無かれ、駑馬に乗る勿かれ」と。公曰く、「善いかな。若の言のごとくんば、魚を食らいて反す無きは、則ち其の鱢きを悪めばなり。駑馬に乗る勿かれとは、其の遠く道を取らざるを悪むなり」と。晏子対えて曰く、「然らず。魚を食らいて反す無しとは、民力を尽くす毋きか。駑馬に乗る勿かれとは、則ち不肖を側に置く無きか」と。公曰く、「紀に書有り、何を以て亡びしや」と。晏子対えて曰く、「以て亡ぶる有るなり。嬰之を聞く、君子道有れば、之を閭に懸く。紀此の言有るも、之を壺に注ぐ。亡びずして何をか待たんや」と。
-
『智囊』善言・說秦王・晏子秦王、中期と争論して勝たず、秦王大いに怒り、中期徐ろに行きて去る。或いは中期の為に秦王に説きて曰く、「悍人のみ。中期は適たま明君に遇う故なり。向者桀・紂に遇わば、必ず之を殺さん」と。秦王因りて罪せず。斉に罪を景公に得たる者有り、公大いに怒り、縛りて殿下に置き、左右を召して之を肢解せんとす、「敢えて諫むる者は誅す」と。晏子左手に頭を持ち、右手に刀を磨ぎ、仰ぎて問いて曰く、「古者の明王聖主の人を肢解するは、知らず何れの処より始むるか」と。公席を離れて曰く、「之を縦せ、罪は寡人に在り」と。時に景公刑に煩わしく、踴を鬻ぐ者有り。公晏子に問いて曰く、「子の居は市に近し、孰れか貴く孰れか賤きかを知るか」と。対えて曰く、「踴貴くして履賤し」と。公悟り、之が為に刑を省く。〔述評〕晏子の諫は、諷多くして直少なし、殆ど滑稽の祖なり。其の他荊に使いし、呉に使いし、楚に使いする事も、亦た皆遊戯を以て勝つ。覚ゆ、他人の道理を講ずる者は、方にして入り難し。晏子将に荊に使いせんとするや、荊王左右と謀り、以て之を辱めんと欲す。王晏子と立ちて語る、一人を縛りて王を過ぎて行く者有り、王曰く、「何為る者ぞ」と。対えて曰く、「斉人なり」と。王曰く、「何に坐するか」と。対えて曰く、「盗に坐す」と。王曰く、「斉人は故より盗むか」と。晏子曰く、「江南に橘有り、取りて之を江北に樹うれば、乃ち枳と為る。然る所以の者は、其の地をして然らしむるなり。今斉人は斉に居りては盗まず、荊に来たりて盗む。荊の地は固より是の若きか」と。王曰く、「聖人は与に戯るる所に非ず、只だ辱めを取るのみ」と。
-
『晏子春秋』外篇下・景公問天下有極大極細,晏子對景公晏子に問いて曰く、「天下に極大なる物有るか」と。晏子対えて曰く、「有り。北溟に鵬有り、足は浮雲に遊び、背は蒼天を淩ぎ、尾は天間に偃し、躍りて北海を啄み、頸尾天地に咳す。然れども漻漻乎として六翮の在る所を知らず」と。公曰く、「天下に極細なる者有るか」と。対えて曰く、「有り。東海に虫有り、蚊の睫に巣くい、再び乳し再び飛ぶも、蚊驚かず。臣嬰其の名を知らず、而れども東海の漁者、命けて焦冥と曰う」と。
-
『晏子春秋』外篇上・晏子再治東阿上計景公迎賀晏子辭晏子東阿を治むること三年、景公召して之を数めて曰く、「吾子を以て可と為し、子をして東阿を治めしむ。今子治めて乱る。子退きて自ら察せよ。寡人将に大誅を子に加えんとす」と。晏子対えて曰く、「臣請う、道を改めて行い、而して東阿を治むること三年ならん。治まらずんば、臣請う之に死せん」と。景公之を許す。是に於て明年上計するに、景公迎えて之を賀して曰く、「甚だ善し、子の東阿を治むるや」と。晏子対えて曰く、「前に臣の東阿を治むるや、属托行われず、貨賂至らず、陂池の魚は、以て貧民に利す。此の時に当たり、民に饑うる者無きに、君は反って臣を罪す。今臣の後に東阿を治むるや、属托行われ、貨賂至り、並びに賦斂を重くし、倉庫内を少くし、左右に便事す。陂池の魚は、権家に入る。此の時に当たり、饑うる者半ばを過ぐるに、君乃ち反って迎えて臣を賀す。臣愚にして復た東阿を治むる能わず、願わくは骸骨を乞い、賢者の路を避けん」と。再拝して、便辟す。景公乃ち席を下りて之に謝して曰く、「子強いて復た東阿を治めよ。東阿は、子の東阿なり。寡人復た与ること無からん」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る