韓非子 / 定法第四十三
問者曰:「徒術而無法,徒法而無術,其不可何哉?」對曰:「申不害,韓昭侯之佐也。韓者,晉之别國也。晉之故法未息,而韓之新法又生;先君之令未收,而後君之令又下。申不害不擅其法,不一其憲令,則姦多。故利在故法前令則道之,利在新法後令則道之,利在故新相反,前後相勃,則申不害雖十使昭侯用術,而姦臣猶有所譎其辭矣。故託万乘之勁韓,十七年而不至於霸王者,雖用術於上,法不勤飾於官之患也。公孫鞅之治秦也,設告相坐而責其實,連什伍而同其罪,賞厚而信,刑重而必。是以其民用力勞而不休,逐敵危而不却,故其國富而兵強;
新字:問者曰:「徒術而無法,徒法而無術,其不可何哉?」対曰:「申不害,韓昭侯之佐也。韓者,晋之別国也。晋之故法未息,而韓之新法又生;先君之令未収,而後君之令又下。申不害不擅其法,不一其憲令,則姦多。故利在故法前令則道之,利在新法後令則道之,利在故新相反,前後相勃,則申不害雖十使昭侯用術,而姦臣猶有所譎其辞矣。故託万乗之勁韓,十七年而不至於覇王者,雖用術於上,法不勤飾於官之患也。公孫鞅之治秦也,設告相坐而責其実,連什伍而同其罪,賞厚而信,刑重而必。是以其民用力労而不休,逐敵危而不却,故其国富而兵強;
書き下し
問ふ者曰く、「徒だ術のみにして法無く、徒だ法のみにして術無きは、其の不可なるは何ぞや。」対へて曰く、「申不害は、韓の昭侯の佐なり。韓は、晋の別国なり。晋の故法未だ息まずして、韓の新法又生じ、先君の令未だ収めずして、後君の令又下る。申不害其の法を擅にせず、其の憲令を一にせざれば、則ち姦多し。故に利故法前令に在れば則ち之に道り、利新法後令に在れば則ち之に道る。利故新相反し、前後相勃るに在れば、則ち申不害十たび昭侯をして術を用ひしむと雖も、而も姦臣猶ほ其の辞を譎る所有り。故に万乗の勁韓に託して、十七年にして霸王に至らざる者は、術を上に用ふと雖も、法勤めて官に飾へざるの患なり。公孫鞅の秦を治むるや、告相坐を設けて其の実を責め、什伍を連ねて其の罪を同じくし、賞厚くして信、刑重くして必なり。是を以て其の民力を用ひて労して休まず、敵を逐ひて危ふくして却かず、故に其の国富みて兵強し。
現代語訳
問う者が言った。「術だけで法がない、法だけで術がない、というのがいけないのはなぜか。」答えて言う。「申不害は韓の昭侯の補佐役である。韓は晋から分かれた国である。晋の古い法がまだ廃れないうちに韓の新しい法がまた生まれ、先君の命令がまだ撤回されないうちに後の君主の命令がまた下された。申不害がその法を統一せず、法令を一つにしなかったので、姦が多かった。だから利益が古い法や前の命令にあればそれに従い、利益が新しい法や後の命令にあればそれに従った。古いものと新しいものが食い違い、前後が矛盾していれば、申不害が十回昭侯に術を用いさせても、姦臣はなおその言い分を偽る余地があった。だから万乗の強国である韓に拠りながら、十七年たっても覇王に至らなかったのは、上で術を用いても、官で法を整えることに努めなかった患いである。公孫鞅が秦を治めたときは、告発と連座の制度を設けて実情を問い、十戸・五戸の組を連ねてその罪を共にさせ、賞は厚く確実に、刑は重く必ず行った。そのため秦の民は力を使って働き休まず、敵を追って危険でも退かず、国は富み兵は強くなった。
解説
関連する章句
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『韓非子』定法第四十三問ふ者曰く、「申不害・公孫鞅、此の二家の言孰れか国に急なる。」之に応へて曰く、「是れ程るべからざるなり。人食はざれば、十日にして則ち死す。大寒の隆んなる、衣ざるも亦死す。之を衣食孰れか人に急なると謂へば、則ち是れ一も無かるべからざるなり、皆生を養ふの具なり。今申不害は術を言ひ、而して公孫鞅は法を為す。術とは、任に因りて官を授け、名に循ひて実を責め、殺生の柄を操り、群臣の能を課する者なり。此れ人主の執る所なり。法とは、憲令官府に著し、刑罰民心に必し、賞は法を慎むに存し、而して罰は令を姦すに加ふる者なり。
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『韓非子』定法第四十三恵王死し、武王位に即き、甘茂秦を以て周に殉ふ。武王死し、昭襄王位に即き、穣侯韓・魏を越えて東のかた斉を攻め、五年にして秦尺土の地を益さず、乃ち其の陶邑の封を城く。応侯韓を攻むること八年、其の汝南の封を成す。是れより以来、諸々の秦に用ひらるる者は、皆応・穣の類なり。故に戦勝てば則ち大臣尊く、地を益せば則ち私封立つ、主術以て姦を知る無ければなり。商君十たび其の法を飾ふと雖も、人臣反りて其の資を用ふ。故に強秦の資に乗ずること数十年にして帝王に至らざる者は、法勤めて官に飾ふと雖も、主上に術無きの患なり。問ふ者曰く、「主申子の術を用ひて、官商君の法を行はば、可ならんか。」対へて曰く、「申子は未だ術を尽くさず、商君は未だ法を尽くさざるなり。申子言ふ、『治は官を踰えず、知ると雖も言はず』と。法官を踰えざるは、之を職を守ると謂ふも可なり。知りて言はざるは、是れ過を謂はざるなり。人主は一国の目を以て視る、故に視ること焉より明らかなるは莫し。
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『韓非子』定法第四十三勇力の加ふる所を以て智能の官を治むるは、是れ斬首の功を以て医・匠と為すなり。故に曰く、二子の法術に於けるや、皆未だ善を尽くさざるなり。」
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『韓非子』姦劫弒臣第十四故に身は深宮の中に在りて、明四海の内を照らし、而して天下蔽ふこと能はず欺くこと能はざる者は、何ぞや。闇乱の道廃れて聡明の勢興ればなり。故に善く勢に任ずる者は国安く、其の勢に因ることを知らざる者は国危し。古秦の俗、君臣法を廃して私に服す。是を以て国乱れ兵弱くして主卑し。商君秦の孝公に説くに、法を変じ俗を易へて公道を明らかにし、姦を告ぐるを賞し、末作を困しめて本事を利するを以てす。此の時に当たりて、秦民は故俗の罪有りて以て免るることを得べく、功無くして以て尊顕を得べきに習ふ。故に軽く新法を犯す。是に於て之を犯す者は其の誅重くして必なり、之を告ぐる者は其の賞厚くして信なり。故に姦得られざるは莫くして、刑せらるる者衆く、民疾怨して衆過日に聞こゆ。孝公聴かず、遂に商君の法を行ふ。民後に罪有るの必ず誅せられて、私姦を告ぐる者の衆きを知るなり。故に民犯すこと莫く、其の刑加ふる所無し。是を以て国治まりて兵強く、地広くして主尊し。此れ其の然る所以の者は、罪を匿すの罰重くして、姦を告ぐるの賞厚ければなり。此れ亦天下をして必ず己の為に視聴せしむるの道なり。至治の法術已に明らかなり。而して世の学者は知らざるなり。且つ夫れ世の愚学は、皆治乱の情を知らず、讘䛟として多く先古の書を誦して、以て当世の治を乱す。智慮は以て穽井の陥を避くるに足らず、又妄りに有術の士を非とす。其の言を聴く者は危く、其の計を用ゐる者は乱る。此れ亦愚の至大にして患ひの至甚なる者なり。倶に有術の士と談説の名有れども、実は相去ること千万なり。此れ夫の名同じくして実異なること有る者なり。夫れ世の愚学の人の有術の士に比するや、猶螘垤の大陵に比するがごとし。其の相去ること遠し。而して聖人は、是非の実に審らかにして、治乱の情を察するなり。
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『韓非子』難三第三十八故に曰く、昭王の問に失有り、左右中期の対皆過有りと。管子曰く、「其の可を見ては、之を説ぶに証有り。其の不可を見ては、之を悪むに形有り。賞罰見る所に信なれば、見ざる所と雖も、其れ敢て之を為さんや。其の可を見て、之を説ぶに証無く、其の不可を見て、之を悪むに形無し。賞罰見る所に信ならずして、見ざる所の外に求むるは、得べからざるなり。」或ひと曰く、広廷厳居は、衆人の粛む所なり。宴室独処は、曾・史も僈る所なり。人の粛む所を観るは、行の情に非ざるなり。且つ君上は、臣下の為に飾る所なり。好悪見る所に在らば、臣下の姦物を飾りて以て其の君を愚にするは、必せり。明遠姦を燭らし隠微を見る能はずして、之を待つに飾行を観るを以てし、賞罰を定むるは、亦弊ならずや。管子曰く、「室に言へば室に満ち、堂に言へば堂に満つ、是を天下の王と謂ふ。」或ひと曰く、管仲の所謂室に言へば室に満ち、堂に言へば堂に満つとは、特だ遊戯飲食の言を謂ふのみに非ず、必ず大物を謂ふなり。人主の大物は、法に非ずんば則ち術なり。法とは、之を図籍に編著し、之を官府に設け、而して之を百姓に布く者なり。術とは、之を胸中に蔵し、以て衆端に偶して潜かに群臣を御する者なり。故に法は顕なるに如くは莫く、而して術は見るるを欲せず。是を以て明主法を言へば、則ち境内の卑賤も聞知せざる莫きなり、独り堂に満つるのみならず。術を用ふれば、則ち親受近習も之を聞くを得る莫きなり、室に満つるを得ず。而るに管子猶ほ曰く「室に言へば室に満ち、堂に言へば堂に満つ」と、法術の言に非ざるなり。
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『韓非子』定法第四十三然れども術の以て姦を知る無ければ、則ち其の富強を以てして、人臣に資するのみ。...主、術の以て姦を知る無ければなり。