晏子春秋 / 外篇下・仲尼之齊見景公而不見,晏子子貢致問
仲尼之齊,見景公而不見晏子。子貢曰:「見君不見其從政者,可乎?」仲尼曰:「吾聞晏子事三君而順焉,吾疑其為人。」晏子聞之,曰:「嬰則齊之世民也,不維其行,不識其過,不能自立也,嬰聞之,有幸見愛,無幸見惡,誹譽為類,聲響相應,見行而從之者也。嬰聞之,以一心事三君者所以順焉,以三心事一君者不順焉。今未見嬰之行,而非其順也。嬰聞之,君子獨立不慚於影、獨寢不慚於魂。孔子拔樹削跡,不自以為辱;身窮陳蔡,不自以為約。非人不得其故,是猶澤人之非斤斧,山人之非網罟也。出之其口,不知其困也。始吾望儒而貴之,今吾望儒而疑之。」仲尼聞之曰:「語有之,言發於邇,不可止於遠也;行存於身,不可掩於眾也。吾竊議晏子,而不中夫人之過,吾罪幾矣。丘聞君子過人以為友,不及人以為師。今丘失言于夫子,夫子譏之,是吾師也。」因宰我而謝焉,然仲尼見之。
新字:仲尼之斉,見景公而不見晏子。子貢曰:「見君不見其従政者,可乎?」仲尼曰:「吾聞晏子事三君而順焉,吾疑其為人。」晏子聞之,曰:「嬰則斉之世民也,不維其行,不識其過,不能自立也,嬰聞之,有幸見愛,無幸見悪,誹誉為類,声響相応,見行而従之者也。嬰聞之,以一心事三君者所以順焉,以三心事一君者不順焉。今未見嬰之行,而非其順也。嬰聞之,君子独立不慚於影、独寝不慚於魂。孔子抜樹削跡,不自以為辱;身窮陳蔡,不自以為約。非人不得其故,是猶沢人之非斤斧,山人之非網罟也。出之其口,不知其困也。始吾望儒而貴之,今吾望儒而疑之。」仲尼聞之曰:「語有之,言発於邇,不可止於遠也;行存於身,不可掩於衆也。吾窃議晏子,而不中夫人之過,吾罪幾矣。丘聞君子過人以為友,不及人以為師。今丘失言于夫子,夫子譏之,是吾師也。」因宰我而謝焉,然仲尼見之。
書き下し
仲尼斉に之き、景公に見ゆるも晏子に見えず。子貢曰く、「君に見ゆるも其の政に従う者に見えざるは、可ならんか」と。仲尼曰く、「吾聞く、晏子三君に事えて順なりと。吾其の為人を疑う」と。晏子之を聞きて曰く、「嬰は則ち斉の世民なり。其の行を維がず、其の過を識らず、自ら立つ能わざるなり。嬰之を聞く、幸いに愛せらるる有れば、幸いに悪まるる無し、誹誉は類を為し、声響相応じ、行を見て之に従う者なりと。嬰之を聞く、一心を以て三君に事うる者は順なる所以、三心を以て一君に事うる者は順ならずと。今未だ嬰の行を見ずして、其の順なるを非とす。嬰之を聞く、君子は独立して影に慚じず、独寝して魂に慚じずと。孔子は樹を抜かれ跡を削られても、自ら以て辱と為さず。身は陳・蔡に窮するも、自ら以て約と為さず。人を非りて其の故を得ざるは、是れ猶お沢人の斤斧を非とし、山人の網罟を非とするがごとし。之を其の口より出だすも、其の困しむを知らざるなり。始め吾儒を望みて之を貴ぶも、今吾儒を望みて之を疑う」と。仲尼之を聞きて曰く、「語に之有り、言は邇きに発すれども、遠きに止むべからず、行は身に存すれども、衆に掩うべからずと。吾窃かに晏子を議して、夫の人の過に中らず、吾が罪幾からん。丘聞く、君子は人に過ぐれば以て友と為し、人に及ばざれば以て師と為すと。今丘言を夫子に失し、夫子之を譏る、是れ吾が師なり」と。宰我に因りて謝す。然して仲尼之に見ゆ。
現代語訳
仲尼(孔子)は斉に行き、景公には会いましたが、晏子には会いませんでした。子貢が言いました。「君主には会って、その政治に当たる者に会わないのは、よいのでしょうか」。仲尼は言いました。「晏子は三人の君主に仕えて、そのつど従順だったと聞く。私はその人柄を疑っている」。晏子はこれを聞いて言いました。「私は斉に代々住む民にすぎません。その行いを続けて保ち、自分の過ちも知らず、自分で立つこともできないのでしょう。私はこう聞いています。幸いに愛されることがあれば、幸いに憎まれることもなく、非難と称賛は同じ類のものとして対になり、音と響きが応じ合うように、人は行いを見てそれに従うものだと。また、一つの心で三人の君主に仕える者は従順になる理由があり、三つの心で一人の君主に仕える者は従順になれない、とも聞いています。それなのに、まだ私の行いを見もしないで、その従順さを間違いだとされるのですね。君子は一人立っても自分の影に恥じず、一人寝ても自分の魂に恥じない、と聞きます。孔子は木を抜かれ足跡を削られても、自分を辱めだとは思わず、陳・蔡で行き詰まっても、窮したとは思いませんでした。人を非難しながら事情をつかんでいないのは、沢に住む人が斧を悪く言い、山に住む人が網を悪く言うようなものです。口に出しても、それが自分の困りごとだとは気づかないのです。最初は儒者を仰いで尊びましたが、今は儒者を仰いで疑っています」。仲尼はこれを聞いて言いました。「古い言葉にある。言葉は近くで発しても遠くに届かずにはおかず、行いは自分の身にあっても、人々の目から隠せない、と。私はひそかに晏子を論じたが、あの人の過ちに当たっていなかった。私の罪は大きいだろう。私はこう聞いている。君子は自分より優れた人を友とし、自分に及ばない人を師とする、と。今、私は晏子殿に失言をし、晏子殿はそれをとがめた。この方は私の師だ」。そこで宰我を通して詫び、そのうえで仲尼は晏子に会いました。
解説
この章句が説くこと
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『近思録』巻10 政事感慨して身を殺すは易く、従容として義に就くは難し。人或は先生に勧むるに近貴に礼を加ふるを以てす。先生曰く、何ぞ責むるに礼を尽すを以てせずして、之を責むるに礼を加ふるを以てするや。礼尽せば則ち已む、豈に加ふること有らんや。或ひと問ふ、簿は、令を佐くる者なり。簿の為さんと欲する所、令或は従はずんば、奈何せん。曰く、当に誠意を以て之を動かすべし。今令と簿と和せざるは、只是れ私意を争ふのみ。令は是れ邑の長なり、若し能く父兄に事ふるの道を以て之に事へ、過は則ち己に帰し、善は則ち惟だ令に帰せざらんことを恐る。此の誠意を積まば、豈に人を動かし得ざること有らんや。問ふ、人議論に於て多く己を直くせんと欲し、含容の気無し。是れ気平らかならざるか。曰く、固より是れ気平らかならず、亦是れ量狭きなり。人の量は識に随ひて長ず。亦人の識高くして量長ぜざる者有り、是れ識実に未だ至らざるなり。大凡別事は、人都て強ひ得。惟だ識量は強ふべからず。今人に斗筲の量有り、釜斛の量有り、鍾鼎の量有り、江河の量有り。江河の量も亦大なり。然れども涯有り。涯有れば亦時有りて満つ。惟だ天地の量のみ則ち満つること無し。故に聖人は、天地の量なり。聖人の量は、道なり。常人の量有る者は、天資なり。天資の量有るは須らく限り有るべし。大抵六尺の軀、力量は只此くの如し。満たざらんと欲すと雖も、得べからざるなり。鄧艾の如き位三公、年七十。処し得て甚だ好し。蜀を下して功有るに因るに及び、便ち動き了る。謝安謝玄の苻堅を破るを聞き、客に対して碁を囲む。報至るも喜ばず。帰るに及びて屐歯を折る。強ふるも終に得ざるなり。更に人の大酔の後に益恭謹なる者の如き。只益恭謹なる、便ち是れ動き了るなり。放肆なる者と同じからずと雖も、其の酒の為に動かさるるは一なり。又貴公子の位益高くして、益卑謙なるが如き。只卑謙なる、便ち是れ動き了るなり。驕傲なる者と同じからずと雖も、其の位の為に動かさるるは一なり。然れども惟だ道を知る者のみ量自然に宏大なり。勉強せずして成る。今人の見る所卑下なる者有るは他無し、亦是れ識量足らざるなり。
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