晏子春秋 / 外篇下・景公出田,顧問晏子:若人之眾有孔子乎
景公出田,寒,故以為渾,猶顧而問晏子曰:「若人之眾,則有孔子焉乎?」晏子對曰:「有孔子焉則無有,若舜焉則嬰不識。」公曰:「孔子之不逮舜為間矣,曷為有孔子焉則無有,若舜蔫則嬰不識?」晏子對曰:「是乃孔子之所以不逮舜。孔子行一節者也。處民之中,其過之識,況處君子之中乎!舜者處民之中,則自齊乎士;處君子之中,則齊乎君子;上與聖人,則固聖人之林也。此乃孔子之所以不逮舜也。」
新字:景公出田,寒,故以為渾,猶顧而問晏子曰:「若人之衆,則有孔子焉乎?」晏子対曰:「有孔子焉則無有,若舜焉則嬰不識。」公曰:「孔子之不逮舜為間矣,曷為有孔子焉則無有,若舜蔫則嬰不識?」晏子対曰:「是乃孔子之所以不逮舜。孔子行一節者也。処民之中,其過之識,況処君子之中乎!舜者処民之中,則自斉乎士;処君子之中,則斉乎君子;上与聖人,則固聖人之林也。此乃孔子之所以不逮舜也。」
書き下し
景公出でて田し、寒きが故に以て渾と為し、猶お顧みて晏子に問いて曰く、「若き人の衆に、則ち孔子の如き者有らんか」と。晏子対えて曰く、「孔子の如き者有らば則ち無し、舜の若きは則ち嬰識らず」と。公曰く、「孔子の舜に逮ばざること間なり。曷為れぞ孔子の如き者有らば則ち無く、舜の若きは則ち嬰識らずと曰う」と。晏子対えて曰く、「是れ乃ち孔子の舜に逮ばざる所以なり。孔子は一節を行う者なり。民の中に処れば、其の過ぐるを之れ識る、況んや君子の中に処るをや。舜は民の中に処れば、則ち自ら士に斉しく、君子の中に処れば、則ち君子に斉しく、上のかた聖人と与にすれば、則ち固より聖人の林なり。此れ乃ち孔子の舜に逮ばざる所以なり」と。
現代語訳
景公は狩りに出て、寒かったのでぼんやりと過ごしながらも、振り返って晏子に尋ねました。「このような人々の中に、孔子のような者はいるだろうか」。晏子は答えました。「孔子のような者がいるかとなれば、いません。舜のような方となれば、私は存じません」。公は言いました。「孔子が舜に及ばないのには隔たりがあるだろう。なぜ孔子のような者はいない、舜のような方は知らないと言うのか」。晏子は答えました。「そこが、孔子が舜に及ばない理由です。孔子は一つの節度を守って行う人です。民の中にいても、その抜きん出ていることは分かりますし、まして君子の中にいればなおさら目立ちます。舜は民の中にいれば自然と民に並び、君子の中にいれば君子に並び、さらに聖人と共にいれば、もともと聖人の仲間の林のようです。これが、孔子が舜に及ばない理由なのです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『晏子春秋』外篇下・仲尼之齊見景公而不見,晏子子貢致問仲尼斉に之き、景公に見ゆるも晏子に見えず。子貢曰く、「君に見ゆるも其の政に従う者に見えざるは、可ならんか」と。仲尼曰く、「吾聞く、晏子三君に事えて順なりと。吾其の為人を疑う」と。晏子之を聞きて曰く、「嬰は則ち斉の世民なり。其の行を維がず、其の過を識らず、自ら立つ能わざるなり。嬰之を聞く、幸いに愛せらるる有れば、幸いに悪まるる無し、誹誉は類を為し、声響相応じ、行を見て之に従う者なりと。嬰之を聞く、一心を以て三君に事うる者は順なる所以、三心を以て一君に事うる者は順ならずと。今未だ嬰の行を見ずして、其の順なるを非とす。嬰之を聞く、君子は独立して影に慚じず、独寝して魂に慚じずと。孔子は樹を抜かれ跡を削られても、自ら以て辱と為さず。身は陳・蔡に窮するも、自ら以て約と為さず。人を非りて其の故を得ざるは、是れ猶お沢人の斤斧を非とし、山人の網罟を非とするがごとし。之を其の口より出だすも、其の困しむを知らざるなり。始め吾儒を望みて之を貴ぶも、今吾儒を望みて之を疑う」と。仲尼之を聞きて曰く、「語に之有り、言は邇きに発すれども、遠きに止むべからず、行は身に存すれども、衆に掩うべからずと。吾窃かに晏子を議して、夫の人の過に中らず、吾が罪幾からん。丘聞く、君子は人に過ぐれば以て友と為し、人に及ばざれば以て師と為すと。今丘言を夫子に失し、夫子之を譏る、是れ吾が師なり」と。宰我に因りて謝す。然して仲尼之に見ゆ。
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『晏子春秋』外篇下・仲尼見景公,景公欲封之,晏子以為不可仲尼斉に之き、景公に見ゆ。景公之を説び、之を爾稽に封ぜんと欲し、以て晏子に告ぐ。晏子対えて曰く、「不可なり。彼は浩裾にして自ら順い、以て下に教う可からず。楽を好みて民に緩く、親しく治めしむ可からず。命を立てて事に怠り、職を守らしむ可からず。葬を厚くして、民を破り国を貧しくす。喪を久しくして、哀しみに循い日を費やし、民に子たらしむ可からず。行いの難き者は内に在り、而るに儒者は其の外のみ無し。故に服を異にし、容を勉む。以て衆を道き、百姓を馴らす可からず。大賢の滅び、周室の卑きより、威儀加多にして民の行い滋薄く、声楽繁充にして世の徳滋衰う。今孔丘は声楽を盛んにして以て世に侈り、弦歌鼓舞を飾りて以て徒を聚め、登降の礼を繁くして以て儀を示し、趨翔の節を務めて以て衆に観す。博学は以て世に儀とす可からず、労思は以て民を補う可からず。寿を兼ぬるも其の教えを殫くす能わず、年に当たるも其の礼を究むる能わず、財を積むも其の楽を贍す能わず。邪術を繁飾して以て世君に営み、声楽を盛んにして以て愚民を淫す。其の道や以て世に示す可からず、其の教えや以て民を導く可からず。今之を封じて以て斉国の俗を移さんと欲するは、衆を導き民を存する所以に非ず」と。公曰く、「善し」と。是に於て其の礼を厚くし、其の封を留め、敬して見えて其の道を同じくせず。仲尼乃ち行く。
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『晏子春秋』外篇下・仲尼相魯,景公患之,晏子對以勿憂仲尼魯に相たり、景公之を患え、晏子に謂いて白す、「鄰国に聖人有るは、敵国の憂いなり。今孔子魯に相たり、若何」と。晏子対えて曰く、「君其れ憂うる勿かれ。彼の魯君は弱主なり、孔子は聖相なり。君は陰かに孔子を重んじ、設けて以て斉に相たらしむるに如かず。孔子強いて諫めて聴かれずんば、必ず魯に驕りて斉を有たん、君納るる勿かれ。夫れ魯に絶たれ、斉に主無ければ、孔子困しまん」と。居ること期年、孔子魯を去りて斉に之く、景公納れず、故に陳・蔡の間に困しむ。
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『晏子春秋』外篇上・仲尼稱晏子行補三君而不有果君子也仲尼曰く、「霊公は汚なり、晏子之に事うるに整斉を以てす。荘公は壮なり、晏子之に事うるに宣武を以てす。景公は奢なり、晏子之に事うるに恭倹を以てす。晏子は、君子なり。三君に相として善は下に通ぜず。晏子は、細人なり」と。晏子之を聞き、仲尼に見えて曰く、「嬰聞く、君子に嬰を譏る有りと。是を以て来り見ゆ。嬰の如き者は、豈に能く道を以て人を食ましめん者ならんや。嬰の宗族、嬰を待ちて其の先人を祀る者数百家、斉国の簡士、嬰を待ちて火を挙ぐる者数百家。嬰は此が為に仕うる者なり。嬰の如き者は、豈に能く道を以て人を食ましめん者ならんや」と。晏子出づ。仲尼之を送るに賓客の礼を以てし、再拝して其の辱を謝し、反りて、門弟子に命じて曰く、「民の姓を救いて誇らず、三君を行補して有せず。晏子は、果たして君子なり」と。
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『墨子』非儒下齊の景公、晏子に問いて曰く、「孔子の人と為り何如」と。晏子、對えず。公、又た復た問うも、對えず。景公曰く、「孔丘を以て寡人に語る者衆し。倶に賢人なりと以う。今、寡人、之を問うに、子、對えざるは何ぞや」と。晏子、對えて曰く、「嬰、不肖にして、以て賢人を知るに足らず。然りと雖も、嬰、聞く、所謂る賢人なる者は、人の國に入れば、必ず其の君臣の親を合わせ、而して其の上下の怨みを弭むるを務む、と。孔丘の荆に之くや、白公の謀を知りて、之を奉ずるに石乞を以てす。君の身、㡬んど滅び、而して白公、僇せらる。
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『晏子春秋』外篇下・仲尼見景公,景公曰:先生奚不見寡人宰乎仲尼斉に游び、景公に見ゆ。景公曰く、「先生奚ぞ寡人の宰に見えざる」と。仲尼対えて曰く、「臣聞く、晏子は、三君に事えて順を得たり、是れ三心有り。見えざる所以なり」と。仲尼出づ。景公其の言を以て晏子に告ぐ。晏子対えて曰く、「然らず。嬰の三心を為すに非ず、三君一心を為すが故なり。三君皆其の国家の安きを欲す、是を以て嬰順を得たり。嬰之を聞く、是にして之を非とし、非にして之を是とするは、猶お非なりと。孔丘は必ず此の一心に据り処らん」と。
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