晏子春秋 / 外篇上・景公築長庲台晏子舞而諫/景公使燭鄒主鳥而亡之公怒將加誅,晏子諫
景公築長庲之台,晏子侍坐,觴三行,晏子起舞,曰:「歲已暮矣,而禾不獲,忽忽矣若之何!歲已寒矣,而役不罷,惙惙矣如之何!」舞三而涕下沾襟。景公慚焉,為之罷長庲之役。景公好弋,使燭鄒主鳥而亡之。公怒,召吏欲殺之。晏子曰:「燭鄒有罪三,請數之以其罪而殺之。」公曰:「可。」於是召而數之公前曰:「燭鄒,汝為吾君主鳥而亡之,是罪一也;使吾君以鳥之故殺人,是罪二也;使諸侯聞之,以吾君重鳥以輕士,是罪三也:』數燭鄒罪已畢,請殺之。公曰:「勿殺,寡人聞命矣。」
新字:景公築長庲之台,晏子侍坐,觴三行,晏子起舞,曰:「歳已暮矣,而禾不獲,忽忽矣若之何!歳已寒矣,而役不罷,惙惙矣如之何!」舞三而涕下沾襟。景公慚焉,為之罷長庲之役。景公好弋,使燭鄒主鳥而亡之。公怒,召吏欲殺之。晏子曰:「燭鄒有罪三,請数之以其罪而殺之。」公曰:「可。」於是召而数之公前曰:「燭鄒,汝為吾君主鳥而亡之,是罪一也;使吾君以鳥之故殺人,是罪二也;使諸侯聞之,以吾君重鳥以軽士,是罪三也:』数燭鄒罪已畢,請殺之。公曰:「勿殺,寡人聞命矣。」
書き下し
景公、長庲の台を築く。晏子侍坐す。觴三行して、晏子起ちて舞い、曰く、「歳已に暮れたるに、禾獲らず、忽忽たり、之を若何せん。歳已に寒きに、役罷まず、惙惙たり、之を如何せん」と。舞うこと三たびして涕下りて襟を沾す。景公焉に慚じ、之が為に長庲の役を罷む。景公弋を好み、燭鄒をして鳥を主らしむるも之を亡う。公怒り、吏を召して之を殺さんと欲す。晏子曰く、「燭鄒に罪三有り。請う、之を数うるに其の罪を以てして之を殺さん」と。公曰く、「可なり」と。是に於て召して之を公の前に数めて曰く、「燭鄒、汝吾が君の為に鳥を主りて之を亡う、是れ罪の一なり。吾が君をして鳥の故を以て人を殺さしむ、是れ罪の二なり。諸侯をして之を聞かしめ、吾が君鳥を重んじて以て士を軽んずと以わしむ、是れ罪の三なり」と。燭鄒の罪を数うること已に畢りぬ。請う、之を殺さん。公曰く、「殺す勿かれ。寡人命を聞けり」と。
現代語訳
景公が長庲の台を築いたとき、晏子は傍らに座っていました。杯が三巡したところで晏子は立って舞い、言いました。「年はもう暮れたのに、稲の取り入れができていません。ぼんやりとして、どうしたらよいのでしょう。年はもう寒くなったのに、労役が止みません。心がふさいで、どうしたらよいのでしょう。」三たび舞って、涙が襟を濡らしました。景公は恥じ入り、このために長庲の労役をやめました。景公は鳥を射ることを好み、燭鄒に鳥の世話をさせていましたが、逃がしてしまいました。公は怒り、役人を呼んで殺そうとしました。晏子は言いました。「燭鄒には三つの罪があります。その罪を数え上げてから殺させてください。」公は「よい」と言いました。そこで燭鄒を召し、公の前で数え上げて言いました。「燭鄒よ、お前は我が君のために鳥を預かりながら逃がした。これが第一の罪である。我が君に鳥のために人を殺させようとした。これが第二の罪である。諸侯がこれを聞けば、我が君は鳥を重んじて士を軽んじると思うだろう。これが第三の罪である。」燭鄒の罪を数え終わりました。「どうか殺させてください。」公は言いました。「殺してはならない。私は教えを聞き入れた。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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詩経・大雅・生民之什・民労民労(みんろう)は、召穆公(しょうぼくこう)厲王(れいおう)を刺(そし)るなり。 民亦労(つか)れたり、汔(ほとん)ど小しく康(やす)んずべし。此の中国を恵みて、以て四方を綏(やす)んぜよ。詭随(きずい)を縦(ゆる)すこと無く、以て無良を謹めよ。式(もっ)て寇虐(こうぎゃく)を遏(とど)めよ、憯(すなわ)ち明を畏れず。遠きを柔らげ邇(ちか)きを能くし、以て我が王を定めよ。 民亦労れたり、汔ど小しく休むべし。此の中国を恵みて、以て民の逑(あつま)りと為せ。詭随を縦すこと無く、以て惛怓(こんどう)を謹めよ。式て寇虐を遏め、民をして憂えしむること無かれ。爾の労を棄つること無く、以て王の休(よろこ)びと為せ。 民亦労れたり、汔ど小しく息(いこ)うべし。此の京師を恵みて、以て四国を綏んぜよ。詭随を縦すこと無く、以て罔極(もうきょく)を謹めよ。式て寇虐を遏め、慝(とく)を作さしむること無かれ。威儀を敬慎して、以て有徳に近づけ。 民亦労れたり、汔ど小しく愒(いこ)うべし。此の中国を恵みて、民の憂いをして泄(も)らしめよ。詭随を縦すこと無く、以て醜厲(しゅうれい)を謹めよ。式て寇虐を遏め、正をして敗らしむること無かれ。戎(なんじ)小子と雖も、而も式(はたら)き弘大なり。 民亦労れたり、汔ど小しく安んずべし。此の中国を恵みて、国に残(そこな)うこと有る無からしめよ。詭随を縦すこと無く、以て繾綣(けんけん)を謹めよ。式て寇虐を遏め、正をして反らしむること無かれ。王女(なんじ)を玉にせんと欲す、是を用て大いに諫む。
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史記 蕭相国世家上布の軍を罷めて帰る、民道を遮り行きて上書し、相国賤く民の田宅数千万を彊買すと言ふ。上至る、相国謁す。上笑ひて曰く、「夫れ相国乃ち民を利す」と。民の上る所の書皆以て相国に与へて、曰く、「君自ら民に謝せよ」と。相国因りて民の為に請ひて曰く、「長安の地狭し、上林の中空地多く、棄てらる、願はくは民をして入りて田するを得しめ、槁を収めて禽獣の食と為すこと毋からしめん」と。上大いに怒りて曰く、「相国多く賈人の財物を受け、乃ち為に吾が苑を請ふ」と。乃ち相国を廷尉に下し、械して之を繫ぐ。数日にして、王衛尉侍し、前みて問ひて曰く、「相国何の大罪ありて、陛下之を系ぐこと暴なるや」と。上曰く、「吾聞く、李斯秦の皇帝に相たり、善有れば主に帰し、悪有れば自ら与ると。今相国多く賈豎の金を受けて民の為に吾が苑を請ひ、以て自ら民に媚ぶ、故に系ぎて之を治む」と。王衛尉曰く、「夫れ職事苟も民に便有りて之を請ふは、真に宰相の事なり、陛下奈何ぞ乃ち相国の賈人の銭を受くるを疑ふや。且つ陛下楚を距ぐこと数歳、陳豨・黥布反き、陛下自ら将ゐて往く、是の時に当たり、相国関中を守る、足を揺らせば則ち関以西は陛下の有に非ず。相国此の時を以て利を為さず、今乃ち賈人の金を利せんや。且つ秦は其の過ちを聞かざるを以て天下を亡ぼす、李斯の過ちを分かつは、又何ぞ法るに足らんや。陛下何ぞ宰相を疑ふことの浅きや」と。高帝懌ばず。是の日、使をして節を持して赦して相国を出さしむ。相国年老い、素より恭謹なり、入りて、徒跣して謝す。高帝曰く、「相国休めよ。相国民の為に苑を請ふ、吾許さず、我は桀紂の主為るに過ぎず、而して相国は賢相為り。吾故に相国を系ぎしは、百姓をして吾が過ちを聞かしめんと欲すればなり」と。何素より曹参と相能からず、何の病むに及び、孝恵自ら臨みて相国の病を視、因りて問ひて曰く、「君即し百歳の後、誰か君に代はるべき者ぞ」と。対へて曰く、「臣を知るは主に如くは莫し」と。孝恵曰く、「曹参は何如」と。
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国語・周語上厲王(れいおう)虐なり。国人王を謗(そし)る。邵公(しょうこう)告げて曰く、「民命に堪えず」と。王怒り、衛の巫(ふ)を得て、謗る者を監(み)しめ、告ぐるを以て則ち之を殺す。国人敢えて言うこと莫く、道路目を以てす。王喜び、邵公に告げて曰く、「吾能く謗りを弭(や)めたり、乃ち敢えて言わず」と。邵公曰く、「是れ之を障(ふせ)ぐなり。民の口を防ぐは、川を防ぐよりも甚だし。川壅(ふさ)がりて潰(つい)ゆれば、人を傷つくること必ず多し。民も亦之の如し。是の故に川を為(おさ)むる者は之を決して導かしめ、民を為むる者は之を宣(の)べて言わしむ。故に天子政を聴くに、公卿より列士に至るまで詩を献ぜしめ、瞽(こ)は曲を献じ、史は書を献じ、師は箴(しん)し、瞍(そう)は賦し、矇(もう)は誦し、百工は諫め、庶人は語を伝え、近臣は規(ただ)すことを尽くし、親戚は補察し、瞽・史は教誨し、耆(き)・艾(がい)は之を修め、而る後に王斟酌す。是を以て事行われて悖(もと)らず。民の口有るは、猶お土の山川有るがごときなり、財用是に於いてか出ず。猶お其の原隰(げんしつ)の衍沃(えんよく)有るがごときなり、衣食是に於いてか生ず。口の言を宣ぶるや、善敗是に於いてか興る。善を行いて敗に備うるは、其の財用・衣食を阜(おお)いにする所以の者なり。夫れ民之を心に慮りて之を口に宣べ、成して之を行う、胡(なん)ぞ壅ぐ可けんや。若し其の口を壅がば、其れ与(とも)に能く幾何(いくばく)ぞ」と。王聴かず。是に於いて国に敢えて言を出だすもの莫し。三年にして、乃ち王を彘(てい)に流す。
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国語・周語下景王の二十一年、将に大銭を鋳んとす。単穆公(ぜんぼくこう)曰く、「不可なり。古は、天災降り戾(いた)れば、是に於いてか資幣を量り、軽重を権(はか)りて、以て民を振救す。民軽きを患うれば、則ち為に重幣を作りて以て之を行う。是に於いてか母の子を権りて行わるる有り、民皆得たり。若し重きに堪えざれば、則ち多く軽きを作りて之を行い、亦重きを廃せず。是に於いてか子の母を権りて行わるる有り、小大之を利とす。 「今王軽きを廃して重きを作る。民其の資を失う、能く匱(とぼ)しきこと無からんや。若し匱しければ、王の用将に乏しき所有らんとす。乏しければ則ち将に厚く民に取らんとす。民給せざれば、将に遠志有らんとす。是れ民を離すなり。且つ夫れ備えは未だ至らずして之を設くる有り、至りて後に之を救う有り。是れ相入らざるなり。先んずべくして備えざる、之を怠と謂う。後るべくして之に先んずる、之を災いを召くと謂う。周は固より羸(よわ)き国なり。天未だ禍いを厭(あ)かず。而るに又民を離して以て災いを佐く。乃ち不可なること無からんや。将に民と之れ処らんとして之を離し、将に災いに是れ備禦せんとして之を召く。則ち何を以てか国を経(おさ)めん。国に経無くんば、何を以てか令を出さん。令の従われざるは、上の患いなり。故に聖人は徳を民に樹てて以て之を除く。 「夏書に之れ有りて曰く、『関石和鈞(かんせきわきん)なれば、王府則ち有り』と。詩にも亦之れ有りて曰く、『彼の旱麓(かんろく)を瞻(み)れば、榛楛(しんこ)済済たり。愷悌の君子、禄を干(もと)むること愷悌たり』と。夫れ旱麓の榛楛殖(しげ)る、故に君子以て易楽して禄を干むるを得。若し夫れ山林匱竭し、林麓散亡し、藪沢肆(きわ)め既(つ)き、民力彫尽し、田疇(でんちゅう)荒蕪し、資用乏匱すれば、君子将に険哀するに暇あらざらんとす。而るに何の易楽か之れ有らん。 「且つ民の用を絶ちて以て王府を実たすは、猶お川原を塞ぎて潢汙(こうお)と為すがごときなり。其の竭くること日無からん。若し民離れて財匱しく、災い至りて備え亡ければ、王其れ之を若何せん。吾が周の官の災備に於けるや、其の怠棄する所の者多し。而るに又之が資を奪いて、以て其の災いを益す。是れ其の蔵を去りて其の人を翳(おお)うなり。王其れ之を図れ」と。 王聴かず、卒に大銭を鋳る。
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『正法眼蔵随聞記』巻三有る夜示して云く、唐の太宗即位の後、故殿に栖み給へり、破損せる故に、湿気あがり、風霧冷かにして、玉体おかされつべし、臣下等造作すへき由を奏しければ、帝の言く、時き農節なり、民定めて愁ひあるべし、秋を待て造るべし、湿気に侵さるは地にうけられず、風雨に侵さるは天に合はざるなり、天地に背かば身あるべからず、民を煩はさずんば自ら天地に合ふべし、天地に合はゝ身を侵すべからず、と云ふて終に新宮を作らず、故殿に栖み給へり、
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『童子問』卷中問ふ。文帝は百金の費を惜しみて、敢へて露台を作らず。而るに文王は則ち台を為り沼を為る者は、何ぞや。曰く、先王の城を築き門を造り、台榭苑囿の類を創むるは、一は以て国の為にし、一は以て民の為にす。其の国の為にする者も亦民の為なるのみ。徒に遊観の為に敢へて興作するに非ざるなり。魯人長府を為る。閔子騫曰く、旧貫に仍らば之を如何。何ぞ必ずしも改め作らん、と。春秋に一土木の興りも必ず書する者は、民力を重んずればなり。夫れ広堂大厦は、倉廩の積に起こる。倉廩の積は、民の耒耜に出づ。耒耜の微、積みて斗升の粟と為る。斗升の粟、積みて倉廩に充つ。倉廩の積、溢れて広堂大厦と為る。人皆広堂大厦の成るは倉廩に起こることを知りて、本耒耜の微に出づることを知らざるなり。聶夷中の詩に曰く、禾を鋤きて日午に当たる、汗は滴る禾下の土。誰か識らん盤中の餐、粒粒皆辛苦なるを、と。其の国の為民の為に非ずして、漫りに興作する者は、邦本を固むる所以を知らざるなり。夫の文王の台沼を為るがごときは、民と楽しみを同じくするの至りにして、庶民子のごとく来たり、日ならずして之を成す。槩して之を論ずべからざるなり。
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