晏子春秋 / 外篇上・景公見道殣自慚無德晏子諫
景公賞賜及後宮,文繡被台榭,菽粟食鳧雁。出而見殣,謂晏子曰:「此何為而死?」晏子對曰:「此餧而死。」公曰:「嘻!寡人之無德也甚矣。」對曰:「君之德著而彰,何為無德也。」景公曰:「何謂也?」對曰:「君之德及後宮與台榭;君之玩物,衣以文繡;君之鳧雁,食以菽粟。君之營內自樂,延及後宮之族,何為其無德?顧臣願有請於君,由君之意,自樂之心,推而與百姓同之,則何殣之有?君不推此,而苟營內好私使財貨,偏有所聚。菽粟幣帛,腐於囷府,惠不遍加于百姓,公心不周乎萬國,則桀紂之所以亡也。夫士民之所以叛,由偏之也。君如察臣嬰之言,推君之盛德,公佈之於天下,則湯武可為也,一殣何足恤哉!」
新字:景公賞賜及後宮,文繍被台榭,菽粟食鳧雁。出而見殣,謂晏子曰:「此何為而死?」晏子対曰:「此餧而死。」公曰:「嘻!寡人之無徳也甚矣。」対曰:「君之徳著而彰,何為無徳也。」景公曰:「何謂也?」対曰:「君之徳及後宮与台榭;君之玩物,衣以文繍;君之鳧雁,食以菽粟。君之営内自楽,延及後宮之族,何為其無徳?顧臣願有請於君,由君之意,自楽之心,推而与百姓同之,則何殣之有?君不推此,而苟営内好私使財貨,偏有所聚。菽粟幣帛,腐於囷府,恵不遍加于百姓,公心不周乎万国,則桀紂之所以亡也。夫士民之所以叛,由偏之也。君如察臣嬰之言,推君之盛徳,公佈之於天下,則湯武可為也,一殣何足恤哉!」
書き下し
景公賞賜は後宮に及び、文繡は台榭を被い、菽粟は鳧雁に食わす。出でて殣を見、晏子に謂いて曰く、「此れ何為れぞ死せる」と。晏子対えて曰く、「此れ餧えて死せり」と。公曰く、「嘻、寡人の無徳なること甚だし」と。対えて曰く、「君の徳著れて彰らかなり。何為れぞ無徳ならん」と。景公曰く、「何の謂ぞや」と。対えて曰く、「君の徳は後宮と台榭とに及ぶ。君の玩物は、衣するに文繡を以てし、君の鳧雁は、食わすに菽粟を以てす。君の内を営み自ら楽しむこと、後宮の族に延及す。何為れぞ其れ無徳ならん。顧うに臣願わくは君に請う有り。君の意に由り、自ら楽しむの心を、推して百姓と之を同じくせば、則ち何の殣か之れ有らん。君此れを推さずして、苟くも内を営み私を好み財貨を使い、偏えに聚むる所有り。菽粟幣帛は、囷府に腐れ、恵みは遍く百姓に加わらず、公心は万国に周からざれば、則ち桀紂の亡びし所以なり。夫れ士民の叛く所以は、之を偏にするに由る。君如し臣嬰の言を察し、君の盛徳を推し、公に之を天下に布かば、則ち湯武も為す可きなり。一殣何ぞ恤うるに足らんや」と。
現代語訳
景公は後宮に賞賜を与え、刺繍の布を高殿や台に掛け、豆や粟を鴨や雁に食べさせていました。外出して行き倒れの死体を見かけ、晏子に言いました。「この者は何で死んだのか」。晏子は答えました。「飢えて死んだのです」。公は言いました。「ああ、私は徳がなさすぎる」。晏子は答えました。「君の徳は著しく明らかです。どうして無徳でしょう」。景公は言いました。「それはどういうことか」。答えました。「君の徳は後宮と高殿に及んでいます。君の愛玩の物には模様のある刺繍の服を着せ、君の鴨や雁には豆や粟を食べさせています。君が内を整えて自ら楽しむことは、後宮の一族にまで及んでいます。どうして無徳でしょう。ただ、私が君にお願いしたいことがあります。君の心にあるその楽しむ心を、推し広げて民と同じにすれば、行き倒れなどあるはずがありません。君がこれを推し広げず、ただ内を営んで私を好み、財貨を使い、偏って集める所があり、豆や粟、織物が倉で腐り、恵みが民に行き渡らず、公の心が諸国に及ばないなら、それは桀や紂が亡びた理由です。士や民が背くのは、偏りが原因です。君がもし私の言葉を察して、君の盛んな徳を推し広げ、公然と天下に布かれるなら、湯王や武王にもなれます。行き倒れ一人など、心配するに足りましょうか」。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之二造化の人に於けるや、富貴爵禄を靳しまずして、独り徳を靳しむ。此れ造化靳惜に心有るに非ず、自然にして然り。故に富貴なる者は、古今常に多く、賢哲なる者は、古今常に少なし。蓋し徳は是れ天地神秀の気、純粋精美の理にして、鍾会して人身に附与する者なり。夫れ陰陽の気は、霄壌の間に充塞すと雖も、然れども清明粋美なる者は少なし。故に人の生まるる、其の清粋の気を禀受する者甚だ寡し。亦た宜ならずや。此れ君子の常に寡く、小人の常に衆き所以なり。天の命を降すや、人をして徳有りて道を知らしむる者は、是れ天の独り君子を寵異する所にして、富貴爵禄の其の生を厚くする者に百倍す。此れ君子の以て至楽と為して、富貴爵禄を願はざる所以なり。然らば則ち学者は当に貧賤不遇を憂へずして、特に学の講ぜざる、徳の修まらざるを憂ふべきのみ。
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呂氏春秋・精通③德なる者は、萬民の宰なり。月なる者は、群陰の本なり。月望なれば則ち蚌蛤實ち、群陰盈つ。月晦なれば則ち蚌蛤虚しく、群陰虧く。夫れ月、天に形われて、群陰、淵に化す。聖人、德を己に行いて、四方咸仁に飭し。
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『翁問答』上卷之末体充曰、儒門の心学をきはめずして、軍法に達し軍法をたてゝ、その名たかき大将、倭漢ともに古来多く候へば、心学のみがきなくても、軍法のまなびはなり申べく候、しかるにまづ儒門の心学をきはめてのちに軍法をまなびたるがよしと仰せられ候は不審に存候。師の曰、よきうたがひにて候、大将の才を逞じく生れたる人は、心学のみがきなくても、軍法に達し軍功をば立るといへども、その徳なきゆへに才のたくまじきに迷ひ、必ず人を殺す事を好み、不義無道のふるまひあれば、万民その毒にあたりなげき悲むによつて、終には天罰をかうぶり、其身もほろび国も必ず絶滅するものなり、その証拠はもろこしにても我朝にても、其徳なくて才のみ逞しき大将に、其身難なく子孫繁昌したる人まれなり倭漢の史書にて考へ見るべし、
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『山鹿語類』士道・勵忠孝出て君に仕ふるに徳を不以、入て父兄に仕へて其孝弟に誠あらざらんには、養気存心の用更にあらはれず。抑徳と云は、内に養ひ存する処を、外に用ひて其誠を尽して無不究理、是をなづけて徳とす。養気存心すと云とも、君父にをいて其誠たらずんば、何ぞ其下に及ばん。然れば所養所存、唯空談にして実なし。凡そ聖人の道は普く天下に施し、大小精粗ともに其用足りて、四海其化に及ぶにをいて、初めて道々たり。わづかに一己にてらし一身を清くせんことは、碌々たる小人、言必信じ行必果すの輩也。されば君父につかへ、其可致のつとめ聊不怠して、しかも其理にかなひ、四海安寧に、家内無事にして、常に変に更に滞る処なきときは、天地の覆て無外、のせて無棄にことならず。是大徳に非ずや。故に徳を練る事は、先づ忠孝を励まして其誠を尽し、君父に事る間、天性にしたがひ守て、更に不違を以て本とすべきなり。
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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『童子問』卷中問ふ、唯だ心学の名は、害無きに似たり。知らず以て如何と為す。曰く、心学の称も、亦禅学より来たる。禅家自ら其の法を以て心宗と名づく。性学の号も亦然り。蓋し理学者流、其の記誦詞章の学に非ざるを以て、斯の名を創建し、以て世に標榜す。然れども実は聖人の意に非ざるなり。禅者は本本然の徳を知らず、硬く己が心上に就いて功を用ふ。後世の儒者は本然の徳に由ることを知ると雖も、其の工夫は却つて亦一心上に就いて道を見る。遂に心学を以て之を称す。殊に知らず、人斯の形を具ふれば、則ち必ず斯の心有り、聖人より愚夫愚婦に至るまで、一なり。本貴きに非ず、亦賤しきに非ず。故に聖人は徳を言ひて心を言はず。其の千言万語、皆人をして本然の徳に由らしむる所以に非ざる莫きなり。孟子屡々心を言ふと雖も、亦皆仁義の良心を指して言ふ。所謂本心・恒心、是れなり。蓋し聖人は天下の上より道を見、仏者は一身の上より道を見る。天下の上より道を見る、故に天下の同じく然る所の理を見る。徳を貴びて心を貴ばざる所以なり。一身の上より道を見る、心を知りて徳を知らざる所以なり。故に其の学自ら霄壌にして、卒に人倫を離るるに至る。察せざるべけんや。
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