晏子春秋 / 外篇上・景公問古而無死其樂若何晏子諫/景公謂梁丘據與己和晏子諫
景公飲酒,樂。公曰:「古而無死,其樂若何?」晏子對曰:「古而無死,則古之樂也,君何得焉?昔爽鳩氏始居此地,季萴因之,有逢伯陵因之,蒲姑氏因之,而後太公因之。古若無死,爽鳩氏之樂,非君所願也。」景公至自畋,晏子侍於遄合,梁丘據造焉。公曰:「維據與我和夫!」晏子對曰:「據亦同也,焉得為和?」公曰,「和與同異乎?」對曰:「異。和如羹焉。水、火、醯、醢、鹽、梅,以烹魚肉,燀之以薪,宰夫和之,齊之以味,濟其不及,以泄其過,君子食之,以平其心。君臣亦然,君所謂可,而有否焉,臣獻其否,以成其可;君所謂否,而有可焉,臣獻其可,以去其否,是以政平而不幹,民無爭心。故詩曰:『亦有和羹,既戒且平,鬷嘏無言,時靡有爭。』先王之濟五味,和五聲也,以平其心,成其政也。
新字:景公飲酒,楽。公曰:「古而無死,其楽若何?」晏子対曰:「古而無死,則古之楽也,君何得焉?昔爽鳩氏始居此地,季萴因之,有逢伯陵因之,蒲姑氏因之,而後太公因之。古若無死,爽鳩氏之楽,非君所願也。」景公至自畋,晏子侍於遄合,梁丘拠造焉。公曰:「維拠与我和夫!」晏子対曰:「拠亦同也,焉得為和?」公曰,「和与同異乎?」対曰:「異。和如羹焉。水、火、醯、醢、塩、梅,以烹魚肉,燀之以薪,宰夫和之,斉之以味,済其不及,以泄其過,君子食之,以平其心。君臣亦然,君所謂可,而有否焉,臣献其否,以成其可;君所謂否,而有可焉,臣献其可,以去其否,是以政平而不幹,民無争心。故詩曰:『亦有和羹,既戒且平,鬷嘏無言,時靡有争。』先王之済五味,和五声也,以平其心,成其政也。
書き下し
景公酒を飲み、楽しむ。公曰く、「古にして死無くんば、其の楽しみ若何」と。晏子対えて曰く、「古にして死無くんば、則ち古の楽しみなり、君何ぞ得ん。昔爽鳩氏始めて此の地に居り、季萴之に因り、有逢伯陵之に因り、蒲姑氏之に因り、而る後に太公之に因る。古若し死無くんば、爽鳩氏の楽しみにして、君の願う所に非ず」と。景公畋より至り、晏子遄合に侍す。梁丘据造る。公曰く、「維れ据のみ我と和するかな」と。晏子対えて曰く、「据は亦同なり。焉んぞ和と為すを得ん」と。公曰く、「和と同とは異なるか」と。対えて曰く、「異なり。和は羹の如し。水・火・醯・醢・塩・梅、以て魚肉を烹る。之を燀くに薪を以てし、宰夫之を和し、之を斉うるに味を以てし、其の及ばざるを済い、以て其の過ぎたるを泄らし、君子之を食らいて、以て其の心を平らかにす。君臣も亦然り。君の可と謂う所にして否有れば、臣其の否を献じ、以て其の可を成す。君の否と謂う所にして可有れば、臣其の可を献じ、以て其の否を去る。是を以て政平らかにして干さず、民に争う心無し。故に詩に曰く、『亦た和羹有り、既に戒め且つ平らかなり。鬷嘏言う無く、時に争い靡し』と。先王の五味を済え、五声を和するは、以て其の心を平らかにし、其の政を成せばなり。
現代語訳
景公は酒を飲んで楽しんでいました。公は言いました。「昔から人が死ななかったとしたら、その楽しみはどんなだろう」。晏子は答えました。「昔から人が死ななかったなら、それは昔の人の楽しみであって、君が何を得られましょう。昔、爽鳩氏がはじめてこの地に住み、季萴がそれを受け継ぎ、有逢伯陵、蒲姑氏が受け継ぎ、その後で太公が受け継ぎました。昔の人が死ななかったなら、それは爽鳩氏の楽しみで、君が望まれることではありません」。景公が狩りから帰り、晏子は遄合で侍していました。そこへ梁丘据が来ました。公は言いました。「ただ据だけが、私と和しているなあ」。晏子は答えました。「据は同じなだけです。どうして和と言えましょう」。公は言いました。「和と同は違うのか」。答えて言いました。「違います。和は吸い物のようなものです。水、火、酢、肉醤、塩、梅で魚や肉を煮ます。薪で煮炊きし、料理人がこれを調え、味で整え、足りないところを補い、多すぎるところを抜いて、君子がこれを食べ、心を平らかにします。君臣も同じです。君が良しとするものに否の面があれば、臣がその否を申し上げて良しとすることを成し遂げ、君が否とするものに可の面があれば、臣がその可を申し上げて否を取り除きます。そうして政は平らかになって乱れず、民に争う心がなくなります。だから詩にこうあります。『また調えた吸い物があり、すでに戒めてかつ平らかである。祭りの中で言葉もなく、このとき争いもない』。先王が五味を整え、五声を和したのは、心を平らかにし、政を成すためでした。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公二十年 寛猛相済う鄭の子產疾有り。子大叔に謂ひて曰く、「我死せば、子必ず政を為さん。唯だ德有る者のみ、能く寬を以って民を服す。其の次は猛に如くは莫し。夫れ火は烈し、民望みて之を畏る、故に焉に死すること鮮し。水は懦弱なり、民狎れて之を翫ぶ、則ち焉に死すること多し。故に寬は難し」と。疾むこと數月にして卒す。大叔政を為し、猛にするに忍びずして寬にす。鄭國盜多く、人を萑苻の澤に取る。大叔之を悔いて曰く、「吾早く夫子に從はば、此に及ばざりしならん」と。徒兵を興して以って萑苻の盜を攻め、盡く之を殺す。盜少しく止む。仲尼曰く、「善いかな。政寬なれば則ち民慢る。慢れば則ち之を糾すに猛を以ってす。猛なれば則ち民殘はる。殘はるれば則ち之に施すに寬を以ってす。寬以って猛を濟ひ、猛以って寬を濟ふ。政是を以って和す。詩に曰く、『民も亦た勞せり、汔(こひねが)はくは小しく康んず可し。此の中國を惠みて、以って四方を綏んぜよ』と。之に施すに寬を以ってするなり。『詭隨に從ふこと毋く、以って無良を謹しましめよ。式(もち)ゐて寇虐の、慘として明を畏れざるを遏めよ』と。之を糾すに猛を以ってするなり。『遠きを柔らげ邇きを能くし、以って我が王を定めよ』と。之を平らぐるに和を以ってするなり。又曰く、『競はず絿(きふ)ならず、剛ならず柔ならず。政を布くこと優優として、百祿是れ遒(あつ)まる』と。和の至りなり」と。子產卒するに及び、仲尼之を聞き、涕を出だして曰く、「古の遺愛なり」と。
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『慎思録』巻之二政を為すの道は、教養の二者、闕くべからず。二者は養を先と為し、教之に次ぐ。是れ先づ養ひて而る後に教ふるなり。舜は先づ后稷をして民に稼穡を教へしめ、五穀熟して民人育す。而る後に契をして司徒と為し、教ふるに人倫を以てせしむ。此れ養ひて而る後に教ふるなり。既に之を養ひ又之を教へて、民従はず。所以に刑有りて其の罪を正し、民をして教へに従はしむるなり。是を以て舜又皐陶に命じ、士と為りて五刑を司らしむ。其の序の紊るべからざること此くの如し。夫れ後世の政にも、亦た刑法有り。既に刑法有れば、則ち復た先づ教へ無かるべからず。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。此れ以て聖人の政は、養を先にし中ごろ教へ刑を後にす。蓋し既に養ひ且つ教へて、苟も従はざる者有らば、已むを得ずして刑を用ゐるのみ。
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論語・為政篇或るひと孔子に謂いて曰く、「子奚ぞ政を為さざる。」子曰く、「書に云う、『孝なるかな惟れ孝、兄弟に友なり。』有政に施すと。是れも亦た政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すことのみを為さんや。」
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『学問のすゝめ』初編・愚民の上に苛き政府ありかかる愚民を支配するには、とても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においても、この人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えて、なお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
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