晏子春秋 / 雑下・子尾疑晏子不受慶氏之邑晏子謂足欲則亡
慶氏亡,分其邑,與晏子邶殿,其鄙六十,晏子勿受。子尾曰:「富者人之所欲也,何獨弗欲?」晏子對曰:「慶氏之邑足欲,故亡。吾邑不足欲也,益之以邶殿,乃足欲,足欲,亡無日矣,在外不得宰吾一邑。不要邶殿,非惡富也,恐失富也。且夫富,猶布帛之有幅焉、為之制度使無遷也。夫民生厚而用利,於是乎正德以幅之,使無黜慢,謂之幅利。利過則為敗,吾不敢貪多,所謂幅也。」
新字:慶氏亡,分其邑,与晏子邶殿,其鄙六十,晏子勿受。子尾曰:「富者人之所欲也,何独弗欲?」晏子対曰:「慶氏之邑足欲,故亡。吾邑不足欲也,益之以邶殿,乃足欲,足欲,亡無日矣,在外不得宰吾一邑。不要邶殿,非悪富也,恐失富也。且夫富,猶布帛之有幅焉、為之制度使無遷也。夫民生厚而用利,於是乎正徳以幅之,使無黜慢,謂之幅利。利過則為敗,吾不敢貪多,所謂幅也。」
書き下し
慶氏亡び、其の邑を分かつ。晏子に邶殿を与う。其の鄙六十。晏子受けず。子尾曰く、「富は人の欲する所なり。何ぞ独り欲せざる」と。晏子対えて曰く、「慶氏の邑は欲を足せり。故に亡ぶ。吾が邑は欲を足さざるなり。之に邶殿を益せば、乃ち欲を足す。欲を足せば、亡ぶること日無けん。外に在りては吾が一邑を宰むるを得ず。邶殿を要めざるは、富を悪むに非ず、富を失わんことを恐るるなり。且つ夫れ富は、猶お布帛の幅有るがごとし。之が制度を為して遷ること無からしむ。夫れ民生厚くして用利す。是に於いて徳を正して以て之を幅し、黜慢無からしむ。之を幅利と謂う。利過ぐれば則ち敗れと為る。吾敢えて多きを貪らず。所謂幅なり」と。
現代語訳
慶氏が滅び、その領地が分けられました。晏子には邶殿が与えられ、その村は六十ありました。晏子は受けませんでした。子尾が「富は人が欲しがるものです。あなたはなぜ一人だけ欲しがらないのですか」と言うと、晏子は答えました。「慶氏の領地は欲を満たすほど大きかった。だから滅びたのです。私の領地は欲を満たすほどではありません。そこに邶殿を足せば、欲を満たすことになります。欲を満たせば、滅びるのは時間の問題です。外に出れば自分の一つの邑さえ治められなくなるでしょう。邶殿を求めないのは、富を嫌うからではなく、富を失うことを恐れるからです。しかも富は、布や絹に幅があるようなものです。定まった制度を設けて、はみ出さないようにします。民の暮らしが豊かになり、道具も便利になれば、そこで徳を正して幅を決め、傲慢に陥らないようにします。これを幅利と言います。利が過ぎれば失敗のもとになります。私は多くを貪りません。これがいわゆる幅です。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『家道訓』巻之四・用財上一人もし富貴にして、たからを多く貯へもたば、是天より我一人にあつくし給ふにあらず、多く人をすくはしめんために、我にさづけたまふとおもひて、天命にしたがひて、つねに仁愛の心をもちて、貧苦なる人をめぐみ、飢饉する者をすくひて、善を行ふを以て楽とすべし。是天の御心にそむかざるなり。斯くのごとくならば、富貴なるかひありて、大なる楽なるべし。財を多くもちても、我が身ひとりの俸養におごり、人にほどこさずして善を行はざるは、無用の物なり。石瓦を多くもてるに同じ。かかる人を守銭虜と古人の云ひけんもむべなり。財をもてるかひなくして、貧賤の人と同じ。一財を用ふる道をしらで貧窮なれば、父母をやしなふにうすく、人に与ふべき物をあたへず、人を恵むことなりがたく、人のおひめをかへさず、廉恥の道行はれがたく、人の恵を受けてむくいず。官となりても、貧なれば民をむさぼりやすく、忠義をつとめがたし。礼義にそむき、心術に害あること、皆是困窮よりおこる。困窮は倹約ならざるよりおこれり。然る故に、倹約は家ををさむる要道なり。
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論語・述而篇子曰く、富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従わん。
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論語・季氏篇斉の景公、馬千駟有り。死するの日、民徳として称する無し。伯夷・叔斉、首陽の下に餓う。民今に到るまで之を称す。其れ斯を之謂うか。
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『武士道』第七章 至誠信實・富の道は名誉の道に非ず然るに聞く、米国の如き実業国に於てすら、実業家中、十の八は破産せざるなしと。されば士族の商業の能く成功したるもの、百人にして一人を算ふるも、亦た敢て驚くに足らず。要するに武士道の道義を商業に施さんと欲して、為に蕩尽したる財産の数量は、殆ど計るべからざるものあらん。識見ある士人の、直ちに富の道は名誉の道に非ざるを認めたるも、亦た宜なりと謂ふべし。この二者の道の由つて岐るる処は、果していづれにありや。レッキーがかつて誠実の誘因として挙げたる実業、政治、哲学の三者中、其一は武士道全く之を欠き、其二は封建制度の政治社会に在りて、殆ど此れが発達を見ること能はざりき。而して誠実信義の徳の、士林の道徳範囲に於て其重きをなすに至りたる所以は、其哲学的誘因に由れるものにして、即ちレッキーの所謂、至高の形態に於て発達したるものなり。
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『都鄙問答』卷之一・商人ノ道ヲ問ノ段且つ天下の財宝を通用して、万民の心をやすむるなれば、天地四時流行し、万物育はるると同じく相合はん。此の如くして、富山の如くに至るとも、欲心とはいふべからず。欲心なくして、一銭の費えを惜しみ、青砥左衛門が、五十銭を散じて、十銭を、天下の為に惜しまれし心を味はふべし。此の如くならば、天下公の倹約にもかなひ、天命に合うて福を得べし。福を得て、万民の心を安んずるなれば、天下の百姓といふものにて、常に天下大平を祈るに同じ。且つ御法を守り、我が身を敬むべし。商人といふとも、聖人の道を知らずば、同じ金銀を設けながら、不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて栄ゆることを致すべし。
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