晏子春秋 / 雑上・景公問東門無澤年穀而對以冰晏子請罷伐魯
景公伐魯傅許,得東門無澤,公問焉:「魯之年穀何如?」對曰:「陰冰凝,陽冰厚五寸。」公不知,以告晏子。晏子對曰:「君子也。問年穀而對以冰,禮也。陰冰凝,陽冰厚五寸者,寒溫節,節則刑政平,平則上下和,和則年穀熟。年充眾和而伐之,臣恐罷民弊兵,不成君之意,請禮魯以息吾怨,遣其執以明吾德。」公曰:「善。」乃不伐魯。
新字:景公伐魯傅許,得東門無沢,公問焉:「魯之年穀何如?」対曰:「陰冰凝,陽冰厚五寸。」公不知,以告晏子。晏子対曰:「君子也。問年穀而対以冰,礼也。陰冰凝,陽冰厚五寸者,寒温節,節則刑政平,平則上下和,和則年穀熟。年充衆和而伐之,臣恐罷民弊兵,不成君之意,請礼魯以息吾怨,遣其執以明吾徳。」公曰:「善。」乃不伐魯。
書き下し
景公魯を伐ち許に傅き、東門無沢を得たり。公焉に問う、「魯の年穀は何如」と。対えて曰く、「陰氷凝り、陽氷厚さ五寸」と。公知らず、以て晏子に告ぐ。晏子対えて曰く、「君子なり。年穀を問われて対うるに氷を以てするは、礼なり。陰氷凝り、陽氷厚さ五寸とは、寒温節あるなり。節あれば則ち刑政平らかに、平らかなれば則ち上下和し、和すれば則ち年穀熟す。年充ち衆和するに而して之を伐たば、臣は民を罷れしめ兵を弊らせ、君の意を成さざるを恐る。請う、魯を礼して以て吾が怨みを息め、其の執を遣して以て吾が徳を明らかにせん」と。公曰く、「善し」と。乃ち魯を伐たず。
現代語訳
景公は魯を討ち、許に迫って、東門無沢を捕らえました。公は彼に尋ねました。「魯の穀物の出来はどうか」。無沢は答えました。「陰の氷は固まり、陽の氷は厚さ五寸です」。公はわからず、晏子に告げました。晏子は答えました。「この人は君子です。穀物の出来を問われて氷で答えるのは、礼にかなっています。陰の氷が固まり、陽の氷が厚さ五寸というのは、寒さと暖かさに節度があるということです。節度があれば刑罰と政治が平らかになり、平らかなら上下が和し、和すれば穀物が実ります。年が実り、人々が和しているときに魯を討てば、私は民を疲れさせ、兵を傷つけ、君のお考えを遂げられないことを恐れます。どうか魯に礼を尽くして私たちの恨みを鎮め、その捕虜を帰して私たちの徳を明らかにしてください」。公は言いました。「よい」。こうして魯を討ちませんでした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・為政篇子曰く、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る。
-
『山鹿語類』士道・明衣服之制次に男女の服制のことあり。女の服王后より士庶人の妻に至るまで尤其制あり。周礼に追師の官あつて、王公の首服を司どり、内司服あつて王后の六服を司。其制詳に周礼に出で、歴代の制法皆文献通考に出せり。其形三才図会にのす。是を以可考。本朝の制衣服令に出で、唐の制に准す。是又徳を表し威儀をしめして、色容の飾とすべからず。二儀実禄曰。爰自黄帝為冠冕。而婦人之首飾無文。至周亦不過副笄而已。漢宮掖承恩者。始賜碧或緋美容冠子。則其物自漢始也。又曰。燧人氏婦人始束髪為髻。至周王后首飾為副編。鄭云。三輔謂之仮髪。又曰。燧人始為髻。女以荆杖及竹為笄。以貫髪。至堯以銅為之。且横貫之。舜雑以象牙玳瑁。郭憲洞冥記曰。漢武帝元鼎元年。有神女。留玉釵与帝。故宮人作玉釵と也。女の髪の飾さま〴〵多く、容色に白粉紅臙をぬること、皆古来三代の制にあらず。燕脂起自紂。以紅藍花汁凝作之。調脂飾女面。産於燕地。故曰燕脂といへり。白土粉水銀粉を用て面に抹すること、猶古の制にあらず。唯色に耽るがゆゑに其かざりを専とするになれり。尤可嘆息也。
-
司馬法・天子之義礼を以て固と為し、仁を以て勝と為す。
-
『学則』答屈景山書夫れ学問なる者は君子の事なり。君子は争ふ所無し。争へば斯ち徳を害す。問ふ者は弟子の事なり。弟子の礼を秉りて訟ふる者の鬩ぎを用ふ。鬩げば斯ち礼を害す。徳と礼とを害する者は、君子由らざるなり。孟子の弁を好みて楊墨を闢けしより、其の時の已むを得ざるに由ると雖も、亦た古の道に非ざるなり。不佞窃かに焉を惜しむ。爾後、稷下の市学、田巴一日に千人を服す。流風の扇ぐ所、是非蜂涌し、百世に紛呶たり。悲しいかな。彼の浮屠の勘弁有るが若きは、則ち亦た訟へを聴く者の道なり。儒の黠き者、陰かに其の術を操り、以て人を窺ひて自ら憙ぶ。乃ち名教の罪人なり。
-
『弁名』義「徳義の経」と曰ふ者有り。徳は人を以て之を言ひ、義は事を以て之を言ふ。故に古に是の言有り。「徳の則、義の府」の如きも、亦た徳義を以て対言す。「天の経、地の義なり」と曰ふ者有り。礼を賛するの言なり。経とは、礼の大なる者、能く衆義を持すること、経緯の経の如きを謂ふ。義とは、礼の細なる者、各〻其の宜しきを制するを謂ふ。之を天地と謂ふ所以は、賛辞のみ。
-
『春秋左氏伝』襄公四年 多く無礼を行えば必ず自ら及ぶ秋、定姒薨ず。廟に殯せず、櫬無く、虞せず。匠慶、季文子に謂ひて曰く、「子は正卿たり。而るに小君の喪成らず。君を終へざるなり。君長ぜば、誰か其の咎を受けん」と。初め、季孫、己の爲に六檟を蒲圃の東門の外に樹う。匠慶、木を請ふ。季孫曰く、「略(と)れ」と。匠慶、蒲圃の檟を用ゐる。季孫御(ふせ)がず。君子曰く、「志に所謂『多く無禮を行へば、必ず自ら及ぶ』とは、其れ是の謂ひか」と。冬、公、晉に如きて政を聽く。晉侯、公を享す。公、鄫を屬せんことを請ふ。晉侯許さず。孟獻子曰く、「寡君の仇讎に密邇するを以て、而も願ひて固く君に事へ、官命を失ふこと無からんとす。鄫は司馬に賦すること無し。執事の朝夕の命を敝邑に爲すに、敝邑は褊小なり。闕けば寡君の罪と爲る。寡君是を以て焉に助けを借らんことを願ふ」と。晉侯之を許す。楚人、頓をして陳を間(うかが)はしめ、之を侵伐す。故に陳人、頓を圍む。無終子嘉父、孟樂をして晉に如かしめ、魏莊子に因りて虎豹の皮を納れ、以て諸戎を和せんことを請ふ。晉侯曰く、「戎狄は親無くして貪る。之を伐つに如かず」と。魏絳曰く、「諸侯新たに服し、陳新たに來り和す。將に我を觀んとす。我德あらば則ち睦まん。否ならば則ち攜貳せん。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る