晏子春秋 / 雑上・景公使晏子予魯地而魯使不盡受
景公予魯君地,山陰數百社,使晏子致之。魯使子叔昭伯受地,不盡受地。晏子曰:「寡君獻地,忠廉也,曷為不盡受?」于叔昭伯曰:「臣受命於君曰:『諸侯相見,交讓,爭處其卑,禮之文也;交委,多爭受少,行之實也。禮成文于前,行成章於後,交之所以長久也。且吾聞君子不盡人之歡,不竭人之忠,吾是以不盡受也。」晏子歸,報公,公喜,笑曰:「魯君猶若是乎!」晏子曰:「臣聞大國貪於名,小國貪於實,此諸侯之通患也。今魯處卑而不貪乎尊,辭實而不貪乎多,行廉而不為苟得,道義不為苟合,不盡人之歡,不竭人之忠,以全其交。君之道義,殊于世俗,國免於公患。」公曰:「寡人說魯君,故予之地。今行果若此,吾將使人賀之。」晏子曰:「不。君以歡予之地而賀其辭,則交不親而地不為德矣。」公曰:「善。」於是重魯之幣毋比諸侯,厚其禮毋比賓客,君子于魯,而後明行廉辭地之可為重名也。
新字:景公予魯君地,山陰数百社,使晏子致之。魯使子叔昭伯受地,不尽受地。晏子曰:「寡君献地,忠廉也,曷為不尽受?」于叔昭伯曰:「臣受命於君曰:『諸侯相見,交譲,争処其卑,礼之文也;交委,多争受少,行之実也。礼成文于前,行成章於後,交之所以長久也。且吾聞君子不尽人之歓,不竭人之忠,吾是以不尽受也。」晏子帰,報公,公喜,笑曰:「魯君猶若是乎!」晏子曰:「臣聞大国貪於名,小国貪於実,此諸侯之通患也。今魯処卑而不貪乎尊,辞実而不貪乎多,行廉而不為苟得,道義不為苟合,不尽人之歓,不竭人之忠,以全其交。君之道義,殊于世俗,国免於公患。」公曰:「寡人説魯君,故予之地。今行果若此,吾将使人賀之。」晏子曰:「不。君以歓予之地而賀其辞,則交不親而地不為徳矣。」公曰:「善。」於是重魯之幣毋比諸侯,厚其礼毋比賓客,君子于魯,而後明行廉辞地之可為重名也。
書き下し
景公、魯君に地を予う。山陰の数百社、晏子をして之を致さしむ。魯、子叔昭伯をして地を受けしむるも、尽くは受けず。晏子曰く、「寡君地を献ずるは、忠廉なり。曷為れぞ尽くは受けざる」と。叔昭伯に曰く、「臣命を君より受く、曰く、『諸侯相見るに、交ごも譲り、其の卑きに処るを争うは、礼の文なり。交ごも委ね、多きを争いて少なきを受くるは、行の実なり。礼は文を前に成し、行は章を後に成すは、交わりの長久なる所以なり。且つ吾聞く、君子は人の歓を尽くさず、人の忠を竭くさず、と。吾是を以て尽くは受けざるなり』と。晏子帰りて公に報ず。公喜びて笑いて曰く、「魯君猶お是くのごときか」と。晏子曰く、「臣聞く、大国は名に貪り、小国は実に貪る、此れ諸侯の通患なり。今魯は卑きに処りて尊きに貪らず、実を辞して多きに貪らず、廉を行いて苟くも得ることを為さず、道義は苟くも合うことを為さず、人の歓を尽くさず、人の忠を竭くさず、以て其の交わりを全うす。君の道義は世俗に殊なり、国は公患を免る」と。公曰く、「寡人魯君を説ぶ、故に之に地を予う。今行い果たして此くのごとし、吾将に人をして之を賀せしめんとす」と。晏子曰く、「不なり。君歓を以て之に地を予えて其の辞を賀すれば、則ち交わり親しからずして、地は徳と為らず」と。公曰く、「善し」と。是に於て魯の幣を重んじて諸侯に比する毋く、其の礼を厚くして賓客に比する毋く、君子魯に于て、而る後に廉を行い地を辞するの以て名を重んず可きを明らかにするなり。
現代語訳
景公は魯の君に、山陰の数百社の土地を与えることにし、晏子に届けさせました。魯は子叔昭伯に受け取らせましたが、全部は受け取りませんでした。晏子が「わが君が土地を献じるのは誠意と清らかさからです。どうして全部お受けにならないのですか」と言うと、叔昭伯は答えました。「私は主君からこう命じられています。『諸侯が会うときは互いに譲り合い、へりくだった位置を争うのが礼の形である。互いに差し出し合い、多くを譲って少なく受けるのが行いの中身である。礼の形が先に整い、行いの飾りが後に整うことが、交わりを長続きさせる理由だ。それに、君子は相手の喜びを尽くさせず、相手の誠意を出し尽くさせないものだと聞く』。だから全部は受けないのです」。晏子は帰って景公に報告しました。景公は喜び、笑って言いました。「魯の君はそのようなお方なのか」。晏子は言いました。「私は、大国は名に貪欲で、小国は実利に貪欲だと聞いています。これは諸侯に共通する病です。ところが今、魯は低い位置にいながら高い位を求めず、実利を辞退して多さを求めず、清廉に行って不当に得ず、道義は安易に合わせず、相手の喜びも誠意も尽くさせないことで、交わりを全うしています。わが君の道義は世俗と違い、国は諸侯共通の病を免れました」。景公は言いました。「私は魯の君が気に入ったから土地を与えた。行いがその通りなら、使者を出して祝おう」。晏子は言いました。「いけません。喜びで土地を与え、その辞退を祝えば、交わりは親しくならず、土地も恩とはなりません」。景公は「よろしい」と言いました。こうして魯への贈り物を諸侯と比べ物にならないほど重くし、礼も賓客と比べ物にならないほど厚くしました。君子は魯のことで、清廉を行い土地を辞退することが名を重くすると、はじめてはっきり知ったのです。
解説
この章句が説くこと
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。
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