晏子春秋 / 諫下・景公養勇士三人無君臣之義晏子諫
公孫接、田開疆、古冶子事景公,以勇力搏虎聞。晏子過而趨,三子者不起。晏子入見公曰:「臣聞明君之蓄勇力之士也,上有君臣之義,下有長率之倫,內可以禁暴,外可以威敵,上利其功,下服其勇,故尊其位,重其祿。今君之蓄勇力之士也,上無君臣之義,下無長率之倫,內不可以禁暴,外不可以威敵,此危國之器也,不若去之。」公曰:「三子者,搏之恐不得,刺之恐不中也。」晏子曰:「此皆力攻勍敵之人也,無長幼之禮。」因請公使人少饋之二桃,曰:「三子何不計功而食桃。」公孫接仰天而歎曰:「晏子,智人也。夫使公之計吾功者,不受桃,是無勇也。士眾而桃寡,何不計功而食桃矣。接一搏特豜,再搏乳虎,若接之功,可以食桃,而無與人同矣。援桃而起。
新字:公孫接、田開疆、古冶子事景公,以勇力搏虎聞。晏子過而趨,三子者不起。晏子入見公曰:「臣聞明君之蓄勇力之士也,上有君臣之義,下有長率之倫,内可以禁暴,外可以威敵,上利其功,下服其勇,故尊其位,重其禄。今君之蓄勇力之士也,上無君臣之義,下無長率之倫,内不可以禁暴,外不可以威敵,此危国之器也,不若去之。」公曰:「三子者,搏之恐不得,刺之恐不中也。」晏子曰:「此皆力攻勍敵之人也,無長幼之礼。」因請公使人少饋之二桃,曰:「三子何不計功而食桃。」公孫接仰天而嘆曰:「晏子,智人也。夫使公之計吾功者,不受桃,是無勇也。士衆而桃寡,何不計功而食桃矣。接一搏特豜,再搏乳虎,若接之功,可以食桃,而無与人同矣。援桃而起。
書き下し
公孫接・田開疆・古冶子、景公に事え、勇力を以て虎を搏つを聞こゆ。晏子過ぎて趨るに、三子者起たず。晏子入りて公に見えて曰く、「臣聞く、明君の勇力の士を蓄うるや、上は君臣の義有り、下は長率の倫有り、内は以て暴を禁ずべく、外は以て敵を威すべし、上は其の功を利とし、下は其の勇に服す、故に其の位を尊くし、其の禄を重くす。今君の勇力の士を蓄うるや、上に君臣の義無く、下に長率の倫無く、内は以て暴を禁ずべからず、外は以て敵を威すべからず、此れ国を危うくするの器なり、去るに若かず」と。公曰く、「三子者は、之を搏たんとするも得ざるを恐れ、之を刺さんとするも中らざるを恐る」と。晏子曰く、「此れ皆力もて勍敵を攻むるの人なり、長幼の礼無し」と。因りて公に請い、人をして少く之に二桃を饋らしめ、曰く、「三子何ぞ功を計りて桃を食わざる」と。公孫接天を仰ぎて歎じて曰く、「晏子は、智人なり。夫れ公をして吾が功を計らしむるに、桃を受けざれば、是れ勇無きなり。士は衆く桃は寡し、何ぞ功を計りて桃を食わざらんや。接一たび特豜を搏ち、再び乳虎を搏つ、接の功の若きは、以て桃を食うべくして、人と同じくする無し」と。桃を援りて起つ。
現代語訳
公孫接・田開疆・古冶子の三人は景公に仕え、素手で虎を打ち倒す勇力で知られていました。晏子が通りかかって小走りに進んでも、三人は席を立ちませんでした。晏子は宮中に入って景公に申し上げました。「私が聞くところでは、名君が勇力の士を養うときは、上に君臣の義があり、下に年長者と年少者の序があって、内では乱暴を抑え、外では敵を威圧できます。君主はその功を利とし、家臣はその勇に従うので、地位を尊くし、禄を厚くするのです。いま君が養っている勇力の士には、上に君臣の義がなく、下に長幼の序もなく、内では乱暴を抑えられず、外では敵を威圧できません。これは国を危うくする道具ですから、取り除くのがよいでしょう」。景公は言いました。「三人は、討ち取ろうとしても取れないのではないか、刺そうとしても当たらないのではないかと心配だ」。晏子は言いました。「彼らは力ずくで強敵を攻める者たちで、長幼の礼がありません」。そこで景公に願い出て、人に二つの桃を贈らせ、こう言わせました。「三人の方々、功を比べて桃を召し上がってはいかがでしょう」。公孫接は天を仰いで嘆いて言いました。「晏子は知恵のある人だ。君に私たちの功を計らせ、桃を受け取らなければ、勇がないことになる。人は多く桃は少ない、功を計って桃を食べよう。私は一度は大きな猪を打ち、二度は子連れの虎を打った。私ほどの功ならば桃を食べてよく、他の者と同じ扱いはされない」。そう言って桃を手に取って立ちました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
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