晏子春秋 / 諫下・景公以摶治之兵未成功將殺之晏子諫
景公令兵摶治,當臈,冰月之間而寒,民多凍餒,而功不成。公怒曰:「為我殺兵二人。」晏子曰:「諾。」少為間,晏子曰:「昔者先君莊公之伐于晉也,其役殺兵四人,今令而殺兵二人,是殺師之半也。」公曰:「諾,是寡人之過也。」令止之。
新字:景公令兵摶治,当臈,冰月之間而寒,民多凍餒,而功不成。公怒曰:「為我殺兵二人。」晏子曰:「諾。」少為間,晏子曰:「昔者先君荘公之伐于晋也,其役殺兵四人,今令而殺兵二人,是殺師之半也。」公曰:「諾,是寡人之過也。」令止之。
書き下し
景公、兵をして摶治せしむ。臈に当たり、冰月の間にして寒く、民多く凍え餒え、而して功成らず。公怒りて曰く、「我が為に兵二人を殺せ」と。晏子曰く、「諾」と。少し間を為して、晏子曰く、「昔者、先君荘公の晋を伐つや、其の役に兵四人を殺せり。今、令して兵二人を殺さしむ。是れ師の半ばを殺すなり」と。公曰く、「諾。是れ寡人の過ちなり」と。令して之を止めしむ。
現代語訳
景公は兵に武具を鍛え作らせていました。ちょうど臘の祭りの頃で、氷の張る月の寒さのため、民の多くは凍えて飢え、仕事ははかどりませんでした。公は怒って言いました。「私のために兵を二人殺せ」。晏子は「かしこまりました」と答えました。少し間をおいて、晏子は言いました。「昔、先君の荘公が晋を討たれたとき、その戦役で兵を四人殺しました。いま、令により兵を二人殺せば、それは(先君の)半分を殺すことになります」。公は言いました。「そうだ、これは私の過ちだ」。命じて止めさせました。
解説
冬の寒さで民が凍え、仕事が進まないことに腹を立てた景公は、見せしめに兵二人を殺せと命じます。晏子は反論せず「かしこまりました」と受け、少し間を置いてから、先君荘公の晋への戦役でも殺した兵は四人だったと数字で持ち出しました。二人でも荘公の半分にあたるというのは、戦の規模と今回の仕事を比べて、罰の釣り合いのおかしさを伝える言い方です。正面から反対しなくても、事実と比較を出すだけで、公は自分の過剰さに気づきました。感情的な指示に対して、一度受けてから間を取り、基準を示す。この間の取り方は、上司の怒りに接する場面で参考になります。
この章句が説くこと
釣り合い間比較罰諫言晏子春秋
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