説苑 / 奉使
趙王遣使者之楚,方鼓瑟而遣之,誡之曰:「必如吾言。」使者曰:「王之鼓瑟,未嘗悲若此也!」王曰:「宮商固方調矣!」使者曰:「調則何不書其柱耶?」王曰:「天有燥濕,絃有緩急,宮商移徙不可知,是以不書。」使者曰:「明君之使人也,任之以事,不制以辭,遇吉則賀之,凶則弔之。今楚、趙相去,千有餘里,吉凶憂患,不可豫知,猶柱之不可書也。詩云:『莘莘征夫,每懷靡及。』」
新字:趙王遣使者之楚,方鼓瑟而遣之,誡之曰:「必如吾言。」使者曰:「王之鼓瑟,未嘗悲若此也!」王曰:「宮商固方調矣!」使者曰:「調則何不書其柱耶?」王曰:「天有燥湿,絃有緩急,宮商移徙不可知,是以不書。」使者曰:「明君之使人也,任之以事,不制以辞,遇吉則賀之,凶則弔之。今楚、趙相去,千有余里,吉凶憂患,不可予知,猶柱之不可書也。詩云:『莘莘征夫,毎懐靡及。』」
書き下し
趙王使者を楚に遣わす。方に瑟を鼓して之を遣わし、之を誡めて曰く、「必ず吾が言の如くせよ。」使者曰く、「王の瑟を鼓するや、未だ嘗て此くの如く悲しからざりき。」王曰く、「宮商固より方に調えり。」使者曰く、「調うれば則ち何ぞ其の柱に書さざるか。」王曰く、「天に燥濕有り、絃に緩急有り、宮商の移徙知るべからず、是を以て書さず。」使者曰く、「明君の人を使うや、之に任ずるに事を以てし、制するに辭を以てせず。吉に遇えば則ち之を賀し、凶には則ち之を弔う。今楚と趙と相去ること千有餘里、吉凶憂患、豫め知るべからざること、猶お柱の書すべからざるがごとし。詩に云う、『莘莘たる征夫、每に懷えども及ぶこと靡し。』」
現代語訳
趙王は使者を楚へ派遣した。ちょうど瑟(琴の一種)を弾いているところで、その音色を聞かせながら使者を送り出し、戒めて言った。『必ず私の言った通りにせよ。』使者は言った。『王様の瑟の演奏は、これほど悲しげに聞こえたことはございません。』王は言った。『調べはもとよりちょうど整っているところだ。』使者は言った。『調子が整っているなら、なぜその柱(琴柱、音の高さを決める部品)の位置に印をつけておかないのですか。』王は言った。『天候には乾湿があり、弦にはそれに応じて緩みや張りが生じる。宮・商(音階)の変化はあらかじめ知ることができない。だから印をつけないのだ。』使者は言った。『明君が人を使うときも同じです。事を任せるのであって、あらかじめ細かい言葉で縛るのではありません。吉事に遭えばそれを祝い、凶事に遭えばそれを弔うのです。今、楚と趙は千里以上も離れており、吉凶や憂患をあらかじめ知ることはできません。それはちょうど琴柱の位置に印をつけられないのと同じです。詩経にも「多くの旅路を行く使者たちは、いつも思いをめぐらせても、なかなか行き届かないものだ」とあります。』
解説

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『晏子春秋』諫上・景公從畋十八日不返國晏子諫景公、署梁に畋し、十有八日にして返らず。晏子、国より往きて公に見ゆ。至るに比び、衣冠正しからず。衣冠を革めず、遊を望みて馳す。公、晏子を望み見、車を下りて逆え労いて曰く、「夫子、何ぞ遽かなる。国家に故有ること無きか」と。晏子対えて曰く、「亦急ならずや。然りと雖も、嬰、復すること有らんことを願う。国人皆君を以て野に安んじて国に安んぜず、獣を好みて民を悪むと為す。乃ち不可ならざらんや」と。公曰く、「何ぞや。吾、夫婦の獄訟の正しからざるが為ならば、則ち泰士子牛存せり。社稷宗廟の享けざるが為ならば、則ち泰祝子遊存せり。諸侯賓客の之に応ずる莫きが為ならば、則ち行人子羽存せり。田野の辟かれず、倉庫の実たざるが為ならば、則ち申田存せり。国家の余り有り不足あるを聘うが為ならば、則ち吾が子存せり。寡人の五子有るは、猶お心の四支有るがごとし。心に四支有り、故に心は佚を得たり。今、寡人に五子有り、故に寡人は佚を得たり。豈に不可ならんや」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、君の言とは異なり。若し乃ち心に四支有りて、心は佚を得ば、則ち可なり。四支をして心無からしめて、十有八日、亦久しからずや」と。公、是に於いて畋を罷めて帰る。
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史記 楚世家対へて曰く、「小臣の好んで鶀鴈・羅鸗を射るは、小矢の発なり。何ぞ大王の為に道ふに足らん。且つ楚の大を称し、大王の賢に因らば、弋する所は直だ此のみに非ざるなり。昔者三王は弋を以て道徳し、五覇は弋を以て戦国す。故に秦・魏・燕・趙は、鶀鴈なり。斉・魯・韓・衛は、青首なり。騶・費・郯・邳は、羅鸗なり。外の其の余は則ち射るに足らざる者なり。鳥の六双を見る。王を以て何をか取らん。王何ぞ聖人を以て弓と為し、勇士を以て繳と為し、時に張りて之を射ざる。此の六双の者は、得て囊載すべきなり。其の楽しみは特だ朝昔の楽しみのみに非ず。其の獲は特だ鳧鴈の実のみに非ざるなり。王朝に弓を張りて魏の大梁の南を射、其の右臂に加へて径ちに之を韓に属せば、則ち中国の路絶えて上蔡の郡壊れん。還りて圉の東を射、魏の左肘を解きて外に定陶を撃たば、則ち魏の東外棄てられて大宋・方与の二郡挙がらん。且つ魏二臂を断たば、顛越せん。膺に郯国を撃たば、大梁得て有つべきなり。王繳を蘭台に綪(まと)ひ、馬に西河に飲ましめ、魏の大梁を定む。此れ一発の楽しみなり。若し王の弋に於けるや誠に好みて厭かずんば、則ち宝弓を出だし、新繳を碆(はさ)み、噣鳥を東海に射、還りて長城を蓋ひて以て防と為し、朝に東莒を射、夕に浿丘を発し、夜即墨に加へ、顧みて午道に拠らば、則ち長城の東収まりて太山の北挙がらん。西のかた境を趙に結びて北のかた燕に達し、三国鶴を布かば、則ち従は約を待たずして成るべきなり。北のかた目を燕の遼東に遊ばしめて南のかた登りて越の会稽を望む。此れ再発の楽しみなり。若し夫れ泗上の十二諸侯は、左に縈ひ右に払ひて、一旦にして尽くすべきなり。
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戦国策・謂公叔曰乘舟公叔に謂いて曰く、「舟に乘るに、舟漏れて塞がざれば、則ち舟沈まん。漏舟を塞ぎて、陽侯の波を輕んずれば、則ち舟覆らん。今公自ら薛公に辯ずるを以て秦を輕んずるは、是れ漏舟を塞ぎて陽侯の波を輕んずるなり、願わくは公之を察せよ。」
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史記 田敬仲完世家淳于髡曰く、「弓膠昔干は、合を為す所以なり。然れども疎罅を傅合すること能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで自ら万民に附かん」と。淳于髡曰く、「狐裘は敝ると雖も、補ふに黄狗の皮を以てすべからず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで君子を択び、小人を其の閒に雑ふる毋からん」と。淳于髡曰く、「大車も較せずんば、其の常任を載すること能はず。琴瑟も較せずんば、其の五音を成すこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで法律を修めて姦吏を督さん」と。淳于髡説き畢はり、趨りて出で、門に至りて、其の仆に面して曰く、「是の人は、吾之に微言五を語る。其の我に応ずること響の声に応ずるが若し。是の人必ず封ぜらるること久しからざらん」と。朞に居りて、封ずるに下邳を以てし、号して成侯と曰ふ。威王二十三年、趙王と平陸に会す。二十四年、魏王と郊に会して田す。
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人物志・九徵猶ほ火日の外を照らして、內を見る能はず、金水の內に映じて、外に光る能はざるがごとし。
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史記 田敬仲完世家諸侯之を聞き、敢へて兵を斉に致すもの莫きこと二十余年。騶忌子琴を鼓するを以て威王に見ゆ。威王説びて之を右室に舎らしむ。須臾にして、王琴を鼓す。騶忌子戸を推して入りて曰く、「善いかな琴を鼓すること」と。王勃然として説ばず、琴を去りて剣を按じて曰く、「夫子容を見て未だ察せず。何を以てか其の善きを知る」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深く、之を醳つこと愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。吾是を以て其の善きを知る」と。王曰く、「善く音を語る」と。騶忌子曰く、「何ぞ独り音を語るのみならん。夫れ国家を治めて人民を弭むること皆其の中に在り」と。王又勃然として説ばずして曰く、「夫の五音の紀を語るが若きは、信に未だ夫子の如き者有らざるなり。夫の国家を治めて人民を弭むるが若きは、又何為れぞ糸桐の閒に乎てせん」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深くして之を捨つること愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。夫れ復して乱れざる者は、治昌なる所以なり。連なりて径なる者は、亡を存する所以なり。故に曰く琴音調ひて天下治まると。夫れ国家を治めて人民を弭むる者は、五音に若くは無し」と。王曰く、「善し」と。騶忌子見えて三月にして相印を受く。淳于髡之に見えて曰く、「善く説くかな。髡に愚志有り、願はくは諸を前に陳べん」と。騶忌子曰く、「謹んで教へを受けん」と。淳于髡曰く、「全きを得れば全く昌え、全きを失へば全く亡ぶ」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで前を離るる毋からん」と。淳于髡曰く、「狶膏棘軸は、滑らかと為す所以なり。然れども方穿を運らすこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで左右に事へん」と。