晏子春秋 / 諫上・景公欲廢適子陽生而立荼晏子諫
淳于人納女于景公,生孺子荼,景公愛之。諸臣謀欲廢公子陽生而立荼,公以告晏子。晏子曰:「不可。夫以賤匹貴,國之害也;置大立少,亂之本也。夫陽生長而國人戴之,君其勿易!夫服位有等,故賤不陵貴;立子有禮,故孽不亂宗。願君教荼以禮而勿陷於邪,導之以義而勿湛於利。長少行其道,宗孽得其倫。夫陽生敢毋使荼饜粱肉之味,玩金石之聲,而有患乎?廢長立少,不可以教下;尊孽卑宗,不可以利所愛。長少無等,宗孽無別,是設賊樹奸之本也,君其圖之。古之明君,非不知繁樂也,以為樂淫則哀;非不知立愛也,以為義失則憂。是故制樂以節,立子以道。若夫恃讒諛以事君者,不足以責信。今君用讒人之謀,聽亂夫之言也,廢長立少,臣恐後人之有因君之過以資其邪,廢少而立長以成其利者。君其圖之。」公不聽。景公沒,田氏殺君荼,立陽生;殺陽生,立簡公;殺簡公而取齊國。
新字:淳于人納女于景公,生孺子荼,景公愛之。諸臣謀欲廃公子陽生而立荼,公以告晏子。晏子曰:「不可。夫以賤匹貴,国之害也;置大立少,乱之本也。夫陽生長而国人戴之,君其勿易!夫服位有等,故賤不陵貴;立子有礼,故孽不乱宗。願君教荼以礼而勿陥於邪,導之以義而勿湛於利。長少行其道,宗孽得其倫。夫陽生敢毋使荼饜粱肉之味,玩金石之声,而有患乎?廃長立少,不可以教下;尊孽卑宗,不可以利所愛。長少無等,宗孽無別,是設賊樹奸之本也,君其図之。古之明君,非不知繁楽也,以為楽淫則哀;非不知立愛也,以為義失則憂。是故制楽以節,立子以道。若夫恃讒諛以事君者,不足以責信。今君用讒人之謀,聴乱夫之言也,廃長立少,臣恐後人之有因君之過以資其邪,廃少而立長以成其利者。君其図之。」公不聴。景公没,田氏殺君荼,立陽生;殺陽生,立簡公;殺簡公而取斉国。
書き下し
淳于の人女を景公に納れ、孺子荼を生む。景公之を愛す。諸臣公子陽生を廃して荼を立てんと謀り、公以て晏子に告ぐ。晏子曰く、「不可なり。夫れ賤を以て貴に匹するは、国の害なり。大を置きて少を立つるは、乱の本なり。夫れ陽生は長じて国人之を戴く、君其れ易うる勿れ。夫れ服位に等有り、故に賤は貴を陵がず。子を立つるに礼有り、故に孽は宗を乱さず。願わくは君荼に教うるに礼を以てして邪に陥らしむる勿れ、導くに義を以てして利に湛らしむる勿れ。長少其の道を行い、宗孽其の倫を得ん。夫れ陽生敢えて荼をして粱肉の味に饜き、金石の声を玩び、而して患い有らしめざらんや。長を廃して少を立つるは、以て下に教うる可からず、孽を尊び宗を卑しむるは、以て愛する所を利す可からず。長少に等無く、宗孽に別無きは、是れ賊を設け奸を樹つるの本なり。君其れ之を図れ。古の明君は、繁楽を知らざるに非ざるなり、以為えらく、楽しみ淫なれば則ち哀しと。愛を立つるを知らざるに非ざるなり、以為えらく、義失えば則ち憂うと。是の故に楽を制するに節を以てし、子を立つるに道を以てす。夫の讒諛を恃みて以て君に事うる者の若きは、以て信を責むるに足らず。今君は讒人の謀を用い、乱夫の言を聴く。長を廃して少を立つるは、臣は後人の君の過ちに因りて以て其の邪を資け、少を廃して長を立てて以て其の利を成す者有らんことを恐る。君其れ之を図れ」と。公聴かず。景公沒するや、田氏君荼を殺し、陽生を立つ。陽生を殺して、簡公を立つ。簡公を殺して斉国を取る。
現代語訳
淳于の人が娘を景公に差し出し、幼い荼が生まれました。景公は荼を可愛がりました。家臣たちは公子の陽生を廃して荼を立てようと謀り、公はそれを晏子に告げました。晏子は言いました。「いけません。身分の低い者を身分の高い者と並べるのは、国の害です。年長の者を措いて幼い者を立てるのは、乱れの根本です。陽生は成長して国の人々に推戴されています。君はこれを変えないでください。衣服や地位に等級があるから、賤しい者は貴い者を侵しません。跡継ぎを立てるのに礼があるから、庶子は嫡流を乱しません。どうか君は荼に礼を教えて邪道に陥らせず、義で導いて利に溺れさせないでください。年長と年少がそれぞれの道を行い、嫡流と庶子がそれぞれの序列を得るようにしてください。陽生が荼に上等な食事を飽きるほど食べさせ、鐘や磬の音を楽しませて、憂いのないようにしないはずがありません。年長を廃して年少を立てれば、下の者に教えることができません。庶子を尊び嫡流を軽んじれば、愛する子を利することもできません。年長と年少に等級がなく、嫡流と庶子に区別がないのは、賊を設け奸を育てる根本です。どうかよくお考えください。古の明君は、にぎやかな楽しみを知らなかったわけではありません。楽しみが淫らになれば悲しみに変わると考えたのです。愛することを知らなかったわけではありません。義が失われれば憂いが生じると考えたのです。だから楽しみには節度をもって制し、跡継ぎを立てるのには道をもってしました。讒言やへつらいに頼って君主に仕える者は、信義を求めるに足りません。今、君は人を陥れる者の謀を用い、乱れた者の言を聴いています。年長を廃して年少を立てれば、後の人が君の過ちに乗じてその邪な企みを助け、年少を廃して年長を立てて自分の利を成そうとする者が現れることを私は恐れます。どうかよくお考えください。」公は聞き入れませんでした。景公が亡くなると、田氏が君主の荼を殺し、陽生を立てました。陽生を殺して、簡公を立てました。簡公を殺して、斉の国を奪いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中問ふ。何をか達孝と謂ふ。曰く、達孝なる者は、天下に通ずるの孝にして、一人の小孝に非ざるを謂ふなり。夫れ飲食供奉、左右就養する者は、人子の常職にして、以て孝と為すに足らず。惟善く人の志を継ぎ、善く人の事を述べ、身を立て道を行ひ、名を後世に揚げて、以て父母を顕して、而る後に孝と称するに足るなり。孔子曰く、孟荘子の孝や、其の他は能くすべきなり。其の父の臣と父の政とを改めざるは、是れ能くし難きなり、と。荘子の父献子は、魯の賢大夫にして、名を諸侯に顕す。其の臣は皆献子の挙ぐる所、其の政は皆献子の建つる所なり。人材紀綱、以て後嗣に遺すに足る。荘子皆能く之を用ひて改めず。故に夫子之を称す。言ふこころは、荘子の孝、其の能くし難き者固より多し。然れども此の二事の最も能くし難しと為るに如かざるなり。此に由りて之を観れば、其の先業を斁り、其の家声を堕す者は、他の美有りと雖も、不孝の甚だしきなり。孟懿子孝を問ふ。子曰く、生けるには之に事ふるに礼を以てし、死すれば之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす、と。蓋し懿子は魯の上卿にして、民の具に瞻る所なり。而して生事葬祭礼を以てすれば、則ち徒に能く其の家を治めて法有るのみに非ず、亦以て魯国を善くするに足る。君は以て忠と為し、民は以て帰と為し、以て孟氏の祀を永くすべし。故に夫子此を以て之に告ぐ。深いかな。
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『春秋左氏伝』昭公七年 其の父薪を析く晉侯間有り。子產に莒の二方鼎を賜ふ。子產豐施の為に州田を韓宣子に歸して曰く、「日(さき)に君夫の公孫段を以て、能く其の事に任ふと為して、之に州田を賜ふ。今祿無くして早世し、久しく君の德を享くるを獲ず。其の子敢へて有たず、敢へて以て君に聞せず、私かに諸を子に致す」と。宣子辭す。子產曰く、「古人言有りて曰く、『其の父薪を析くも、其の子負荷する克はず』と。施將に其の先人の祿に任ふる能はざるを懼る。其れ況んや能く大國の賜に任へんや。縱ひ吾子政を為して可なりとも、後の人若し屬(たまたま)疆埸の言有らば、敝邑戾を獲て、豐氏其の大討を受けん。吾子州を取らば、是れ敝邑を戾より免れしめて、豐氏を建置するなり。敢へて以て請ふと為す」と。宣子之を受け、以て晉侯に告ぐ。晉侯以て宣子に與ふ。宣子初言の為に、之を有つを病み、以て原縣を樂大心に易ふ。
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史記 伯夷列伝夫れ学ぶ者には載籍(書籍)極めて博きも、猶ほ信を六芸に考ふべし。詩・書は缺くると雖も、然れども虞・夏の文は知る可きなり。尭の将に位を遜らんとするや、虞舜に譲り、舜・禹の間は、岳牧咸な薦めて、乃ち之を位に試み、職を典ること数十年、功用既に興り、然る後に政を授く。天下は重器たる、王者の大統たる、天下を伝ふるの斯くの如く之れ難きを示せるなり。而るに説く者は曰く、尭、天下を許由に譲るも、許由は受けず、之を恥ぢて逃げ隠る。夏の時に及びて、卞随・務光なる者有り。此れ何を以てか称す。太史公曰く、余、箕山に登りしに、其の上に蓋し許由の冢有り、と云ふ。孔子、古の仁聖賢人を序列して、呉の太伯・伯夷の倫の如きは詳らかにす。余以へらく、聞く所の由・光の義は至高なるに、其の文辞の少しくも概見せざるは、何ぞや。
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史記 高祖功臣侯者年表太史公曰く、古者人臣の功に五品有り。徳を以て宗廟を立て社稷を定むるを勲と曰ひ、言を以てするを労と曰ひ、力を用ふるを功と曰ひ、其の等を明らかにするを伐と曰ひ、日を積むを閲と曰ふ。封爵の誓ひに曰く、「河をして帯の如く、泰山をして厲の若くならしむとも、国以て永く寧く、爰に苗裔に及ばん」と。始め未だ嘗て其の根本を固めんと欲せずんばあらず、而して枝葉稍く陵夷衰微す。余、高祖の侯功臣を読み、其の首封と、之を失ふ所以の者とを察して、曰く、異なるかな新たに聞く所と。書に曰く「万国を協和す」と、夏商に遷りて、或いは数千歳。蓋し周は八百を封じ、幽厲の後も春秋に見はる。尚書に唐虞の侯伯有り、三代を歴て千有余載、自ら全うして以て天子に蕃衛す、豈に仁義に篤く、上の法を奉ずるに非ずや。漢興りて、功臣の封を受くる者百有余人。天下初めて定まる、故に大城名都散亡し、戸口の得て数ふべき者十に二三、是を以て大侯も万家に過ぎず、小なる者は五六百戸。後数世、民咸郷里に帰り、戸益々息し、蕭・曹・絳・灌の属は或いは四万に至り、小侯も自ら倍し、富厚之の如し。子孫驕溢し、其の先を忘れ、淫嬖す。太初に至るまで百年の間、見侯五、余は皆法に坐して命を隕し国を亡ぼし、秏す。罔も亦少しく密なり、然れども皆身に当世の禁に兢兢たること無しと云ふ。今の世に居りて、古の道を志すは、自ら鏡みる所以なり、未だ必ずしも尽くは同じからず。帝王は各々礼を殊にし務めを異にす、要は成功を以て統紀と為す、豈に緄すべけんや。尊寵を得る所以及び廃辱せらるる所以を観れば、亦当世の得失の林なり、何ぞ必ずしも旧聞ならん。是に於いて其の終始を謹み、其の文を表し、頗る本末を尽くさざる所有り。其の明らかなるを著し、疑はしき者は之を闕く。後に君子有りて、推して之を列せんと欲すれば、以て覧るを得ん。
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