晏子春秋 / 諫上・景公敕五子之傅而失言晏子諫
景公有男子五人,所使傅之者,皆有車百乘者也,晏子為一焉。公召其傅曰:「勉之,將以而所傅者為子。」及晏子,晏子辭曰:「君命其臣,據其肩以盡其力,臣敢不勉平。今有車百乘之家,此一國之權臣也,人人以君命命之曰:『將以而所傅為子。』此離樹別党,傾國之道也,嬰不敢受命,願君圖之。」
新字:景公有男子五人,所使傅之者,皆有車百乗者也,晏子為一焉。公召其傅曰:「勉之,将以而所傅者為子。」及晏子,晏子辞曰:「君命其臣,拠其肩以尽其力,臣敢不勉平。今有車百乗之家,此一国之権臣也,人人以君命命之曰:『将以而所傅為子。』此離樹別党,傾国之道也,嬰不敢受命,願君図之。」
書き下し
景公に男子五人有り、之に傅たらしむる所の者は、皆車百乗有る者なり。晏子も一たり。公其の傅を召して曰く、「勉めよ。将に而の傅たる所の者を以て子と為さん」と。晏子に及びて、晏子辞して曰く、「君其の臣に命じ、其の肩を拠えて以て其の力を尽くさしむ、臣は敢えて勉めざらんや。今車百乗有るの家は、此れ一国の権臣なり。人人君命を以て之に命じて曰く、『将に而の傅たる所を以て子と為さん』と。此れ樹を離れ党を別つ、国を傾くるの道なり。嬰は敢えて命を受けず、願わくは君之を図れ」と。
現代語訳
景公には五人の男子がいて、それぞれの傅役に任じた者は、皆、百乗の車を持つ家の者でした。晏子もその一人でした。公はその傅役たちを召して言いました。「励め。お前たちが傅役を務める子を、後継ぎにしよう。」晏子の番になると、晏子は辞して言いました。「君がその臣に命じ、その肩をつかんで力を尽くさせようとなさる。私が励まないはずがありません。しかし今、車百乗を持つ家は、一国の権力ある臣です。その一人ひとりに君命として、『お前が傅役を務める子を後継ぎにしよう』とお命じになれば、これは木を離れ党を分けることになり、国を傾ける道です。私は敢えてご命令をお受けしません。どうかお考え直しください。」
解説
この章句が説くこと
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