維摩経 / 法供養品第十三(4)
陀羅尼印印之。至不退轉成就六度。善分別義順菩提法。眾經之上入大慈悲。離眾魔事及諸邪見。順因緣法。無我無人無眾生無壽命。空無相無作無起。能令眾生坐於道場而轉法輪。諸天龍神乾闥婆等所共歎譽。能令眾生入佛法藏攝諸賢聖一切智慧。說眾菩薩所行之道。依於諸法實相之義。明宣無常苦空無我寂滅之法。能救一切毀禁眾生。諸魔外道及貪著者能使怖畏。諸佛賢聖所共稱歎。背生死苦示涅槃樂。十方三世諸佛所說。若聞如是等經。信解受持讀誦。以方便力為諸眾生分別解說顯示分明。守護法故。是名法之供養。又於諸法如說修行。隨順十二因緣。離諸邪見得無生忍。決定無我無有眾生。而於因緣果報。無違無諍離諸我所。依於義不依語。依於智不依識。依了義經不依不了義經。依於法不依人。隨順法相無所入無所歸。無明畢竟滅故。諸行亦畢竟滅。乃至生畢竟滅故。老死亦畢竟滅。作如是觀。十二因緣無有盡相。不復起見。是名最上法之供養。
新字:陀羅尼印印之。至不退転成就六度。善分別義順菩提法。衆経之上入大慈悲。離衆魔事及諸邪見。順因縁法。無我無人無衆生無寿命。空無相無作無起。能令衆生坐於道場而転法輪。諸天竜神乾闥婆等所共嘆誉。能令衆生入仏法蔵摂諸賢聖一切智慧。説衆菩薩所行之道。依於諸法実相之義。明宣無常苦空無我寂滅之法。能救一切毀禁衆生。諸魔外道及貪著者能使怖畏。諸仏賢聖所共称嘆。背生死苦示涅槃楽。十方三世諸仏所説。若聞如是等経。信解受持読誦。以方便力為諸衆生分別解説顕示分明。守護法故。是名法之供養。又於諸法如説修行。随順十二因縁。離諸邪見得無生忍。決定無我無有衆生。而於因縁果報。無違無諍離諸我所。依於義不依語。依於智不依識。依了義経不依不了義経。依於法不依人。随順法相無所入無所帰。無明畢竟滅故。諸行亦畢竟滅。乃至生畢竟滅故。老死亦畢竟滅。作如是観。十二因縁無有尽相。不復起見。是名最上法之供養。
書き下し
陀羅尼印もて之に印し、不退転に至り、六度を成就し、善く義を分別して菩提の法に順ず。衆経の上にして大慈悲に入り、衆魔の事及び諸の邪見を離れ、因縁の法に順ず。無我・無人・無衆生・無寿命、空・無相・無作・無起にして、能く衆生をして道場に坐して法輪を転ぜしむ。諸の天龍神・乾闥婆等の共に歎誉する所なり。能く衆生をして仏の法蔵に入り、諸の賢聖の一切の智慧を摂せしむ。衆菩薩の所行の道を説き、諸法実相の義に依り、無常・苦・空・無我・寂滅の法を明宣す。能く一切の毀禁の衆生を救い、諸魔・外道及び貪著する者をば能く怖畏せしむ。諸仏・賢聖の共に称歎する所なり。生死の苦に背き、涅槃の楽を示す。十方三世の諸仏の説く所なり。若し是くの如き等の経を聞き、信解し受持し読誦し、方便力を以て諸の衆生の為に分別し解説し、顕示して分明にし、法を守護するが故に、是を法の供養と名づく。又、諸法に於いて説の如く修行し、十二因縁に随順し、諸の邪見を離れて無生忍を得、決定して無我、有衆生無くして、而も因縁・果報に於いて違うこと無く諍うこと無く、諸の我所を離る。義に依りて語に依らず、智に依りて識に依らず、了義経に依りて不了義経に依らず、法に依りて人に依らず。法相に随順して、入る所無く帰する所無し。無明畢竟滅するが故に、諸行も亦畢竟滅す。乃至、生畢竟滅するが故に、老死も亦畢竟滅す。是くの如き観を作せば、十二因縁に尽相無く、復た見を起こさず。是を最上の法の供養と名づく。
現代語訳
陀羅尼の印で印され、不退転に至り、六波羅蜜を成就し、意味をよく分別して悟りの法に従うものである。あらゆる経の上にあって大慈悲に入り、魔のしわざやもろもろの誤った見解を離れ、因縁の法に従う。我もなく、人もなく、衆生もなく、寿者もなく、空であり、相がなく、作ることもなく、起こることもなく、衆生を道場に座らせて法輪を転じさせることができる。天、龍、神、乾闥婆たちがみなほめたたえるものである。衆生を仏の法の蔵に入らせ、賢者や聖者のあらゆる智慧を収め取らせる。菩薩たちが行う道を説き、あらゆる法の真実のありさまの意味に基づいて、無常、苦、空、無我、寂滅の教えを明らかに宣べる。戒を破るすべての衆生を救い、魔や外道、貪り執着する者には恐れを抱かせる。諸仏と賢聖がともにほめたたえるものである。生死の苦に背を向け、涅槃の楽を示す。十方三世の諸仏が説かれたものである。もしこのような経を聞き、信じ理解し、受け持ち、読み誦え、方便の力で衆生のために分けて解き明かし、はっきりと示し、法を守り護るならば、これを法の供養と名づける。また、あらゆる法について説かれたとおりに修行し、十二因縁に従い、誤った見解を離れて無生忍を得、確かに我がなく、衆生という実体もないと見極め、しかも因縁と果報について、違うこともなく争うこともなく、自分のものという思いを離れる。意味に依って言葉に依らず、智慧に依って分別知に依らず、完全な意味の経に依って不完全な意味の経に依らず、法に依って人に依らない。法のありさまに従い、入るところもなく帰するところもない。無明が究極に滅するから、諸々の行もまた究極に滅する。ひいては、生が究極に滅するから、老いと死もまた究極に滅する。このように観ると、十二因縁には尽きる相がなく、もはや見解を起こさない。これを最上の法の供養と名づける。
解説

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