維摩経 / 菩薩行品第十一(5)
善別諸根斷眾生疑。以樂說辯演法無礙。淨十善道受天人福。修四無量開梵天道。勸請說法隨喜讚善。得佛音聲身口意善。得佛威儀深修善法所行轉勝。以大乘教成菩薩僧。心無放逸不失眾善。行如此法。是名菩薩不盡有為。何謂菩薩不住無為。謂修學空不以空為證。修學無相無作。不以無相無作為證。修學無起不以無起為證。觀於無常而不厭善本。觀世間苦而不惡生死。觀於無我而誨人不倦。觀於寂滅而不永滅。觀於遠離而身心修善。觀無所歸而歸趣善法。觀於無生而以生法荷負一切。觀於無漏而不斷諸漏。觀無所行而以行法教化眾生。觀於空無而不捨大悲。觀正法位而不隨小乘。觀諸法虛妄無牢無人無主無相。本願未滿而不虛福德禪定智慧。修如此法。是名菩薩不住無為。又具福德故不住無為。具智慧故不盡有為。大慈悲故不住無為。滿本願故不盡有為。集法藥故不住無為。隨授藥故不盡有為。知眾生病故不住無為。滅眾生病故不盡有為。諸正士菩薩以修此法。不盡有為不住無為。是名盡無盡解脫法門。汝等當學。爾時彼諸菩薩聞說是法皆大歡喜。以眾妙華若干種色若干種香。散遍三千大千世界。供養於佛及此經法并諸菩薩已。稽首佛足歎未曾有言。釋迦牟尼佛。乃能於此善行方便。言已忽然不現還到彼國。
新字:善別諸根断衆生疑。以楽説弁演法無礙。浄十善道受天人福。修四無量開梵天道。勧請説法随喜讃善。得仏音声身口意善。得仏威儀深修善法所行転勝。以大乗教成菩薩僧。心無放逸不失衆善。行如此法。是名菩薩不尽有為。何謂菩薩不住無為。謂修学空不以空為証。修学無相無作。不以無相無作為証。修学無起不以無起為証。観於無常而不厭善本。観世間苦而不悪生死。観於無我而誨人不倦。観於寂滅而不永滅。観於遠離而身心修善。観無所帰而帰趣善法。観於無生而以生法荷負一切。観於無漏而不断諸漏。観無所行而以行法教化衆生。観於空無而不捨大悲。観正法位而不随小乗。観諸法虚妄無牢無人無主無相。本願未満而不虚福徳禅定智慧。修如此法。是名菩薩不住無為。又具福徳故不住無為。具智慧故不尽有為。大慈悲故不住無為。満本願故不尽有為。集法薬故不住無為。随授薬故不尽有為。知衆生病故不住無為。滅衆生病故不尽有為。諸正士菩薩以修此法。不尽有為不住無為。是名尽無尽解脱法門。汝等当学。爾時彼諸菩薩聞説是法皆大歓喜。以衆妙華若干種色若干種香。散遍三千大千世界。供養於仏及此経法并諸菩薩已。稽首仏足嘆未曽有言。釈迦牟尼仏。乃能於此善行方便。言已忽然不現還到彼国。
書き下し
善く諸根を別ちて衆生の疑いを断ち、楽説の弁を以て法を演べて無礙なり。十善道を浄めて天人の福を受け、四無量を修して梵天の道を開き、説法を勧請し、随喜し讃善して、仏の音声を得、身口意の善なること仏の威儀を得、深く善法を修して行ずる所転た勝れ、大乗の教えを以て菩薩の僧を成じ、心に放逸無くして衆善を失わず。此くの如き法を行ずる、是を菩薩は有為を尽くさずと名づく。何をか菩薩は無為に住せずと謂う。謂わく、空を修学して空を以て証と為さず、無相・無作を修学して無相・無作を以て証と為さず、無起を修学して無起を以て証と為さず。無常を観じて而も善本を厭わず、世間の苦を観じて而も生死を悪まず、無我を観じて而も人を誨えて倦まず、寂滅を観じて而も永滅せず、遠離を観じて而も身心に善を修め、帰する所無きを観じて而も善法に帰趣し、無生を観じて而も生法を以て一切を荷負し、無漏を観じて而も諸漏を断ぜず、行ずる所無きを観じて而も行法を以て衆生を教化し、空無を観じて而も大悲を捨てず、正法位を観じて而も小乗に随わず、諸法の虚妄にして牢無く人無く主無く相無きを観じ、本願未だ満たざれば而も福徳・禅定・智慧を虚しくせず。此くの如き法を修する、是を菩薩は無為に住せずと名づく。又、福徳を具するが故に無為に住せず、智慧を具するが故に有為を尽くさず、大慈悲の故に無為に住せず、本願を満たすが故に有為を尽くさず、法薬を集むるが故に無為に住せず、随って薬を授くるが故に有為を尽くさず、衆生の病を知るが故に無為に住せず、衆生の病を滅するが故に有為を尽くさず。諸の正士菩薩、此の法を修するを以て、有為を尽くさず、無為に住せず。是を有尽無尽解脱法門と名づく。汝等、当に学ぶべし。爾の時、彼の諸の菩薩、是の法を説くを聞きて皆大いに歓喜し、衆妙の華、若干種の色、若干種の香を以て、三千大千世界に散遍し、仏及び此の経法并びに諸の菩薩を供養し已りて、仏足に稽首し、未曾有なりと歎じて言わく、釈迦牟尼仏、乃ち能く此に於いて善く方便を行じたまうと。言い已りて忽然として現ぜず、彼の国に還到せり。
現代語訳
菩薩は、人それぞれの能力や性質を見分けて衆生の疑いを断ち、楽しんで説く弁舌によって、さまたげなく法を述べます。十の善い道を清めて天や人の福を受け、四無量心を修めて梵天の道を開き、説法を願い求め、他人の善を喜び、ほめたたえて、仏の声を得ます。身口意が善であるために仏の立ち居振る舞いを得て、深く善い法を修めて行いがますます勝れ、大乗の教えによって菩薩の僧団をつくり、心に放逸がなくて、もろもろの善を失いません。このような法を行うことを、菩薩は有為を尽くさないと名づけます。では、菩薩が無為にとどまらないとはどういうことか。空を修めても空を悟りの証とせず、相を離れた境地、願うことのない境地を修めても、それを証としません。起こることのない境地を修めても、それを証としません。無常を観じても善の根本を嫌わず、世間の苦を観じても生死を憎まず、無我を観じても人を教え諭して倦まず、寂滅を観じても永遠に滅し去ろうとせず、遠離を観じても身心に善を修め、帰るべきところがないと観じても善い法に帰り向かい、生じることがないと観じても生じる法によってすべてを背負い、煩悩のない境地を観じても煩悩を断ち切らず、為すことがないと観じても行いによって衆生を教え導き、空無を観じても大悲を捨てず、正法の位を観じても小乗に従わず、あらゆる法が虚妄であって堅固さも人も主もなく、定まった相もないと観じ、本願がまだ満たされないうちは、福徳と禅定と智慧を空しくしません。このような法を修めることを、菩薩は無為にとどまらないと名づけます。また、福徳を備えるために無為にとどまらず、智慧を備えるために有為を尽くさず、大慈悲のために無為にとどまらず、本願を満たすために有為を尽くさず、法の薬を集めるために無為にとどまらず、相手に応じて薬を授けるために有為を尽くさず、衆生の病を知るために無為にとどまらず、衆生の病を除くために有為を尽くさないのです。正しい志をもつ菩薩たちは、この法を修めることによって、有為を尽くさず無為にもとどまりません。これを有尽無尽の解脱の法門と名づけます。あなたがたは学ぶがよい。」そのとき、かの菩薩たちはこの教えを聞いて大いに喜び、さまざまな色と香りの妙なる華を三千大千世界に散らして、仏とこの経の教え、そして菩薩たちを供養しました。仏の足に礼をし、「かつてないことです、釈迦牟尼仏は、この世界で見事に方便を行っておられる」と讃えて言い終わると、たちまち姿を消し、自分たちの国へ帰りました。
解説

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維摩経・菩薩品第四(7)衆生の縛を解きて修行地を起こし、相好及び浄仏土を具うるを以て福徳の業を起こし、一切衆生の心念を知りて応ずるが如く法を説きて智業を起こし、一切法の取らず捨てざるを知りて一相門に入り慧業を起こし、一切の煩悩・一切の障礙・一切の不善法を断じて一切の善業を起こし、以て一切の智慧・一切の善法を得て、一切の仏道を助くる法を起こす。是の如し、善男子。是れを法施の会と為す。若し菩薩、是の法施の会に住せば、大施主と為り、亦一切世間の福田と為る」と。世尊、維摩詰の是の法を説きし時、婆羅門衆の中の二百人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。我れ時に心清浄を得て、未曾有なりと歎じ、維摩詰の足を稽首して礼し、即ち瓔珞の価直百千なるを解きて、以て之に上る。取ることを肯んぜず。我言わく、「居士、願わくは必ず納受して、意に随いて与うる所にせよ」と。維摩詰乃ち瓔珞を受け、分けて二分と作し、一分を持して此の会の中の一最下の乞人に施し、一分を持して彼の難勝如来に奉る。一切の衆会、皆光明国土の難勝如来を見る。又、珠瓔の彼の仏の上に在りて、変じて四柱の宝台と成り、四面に厳飾して相い障蔽せざるを見る。時に維摩詰、神変を現じ已りて是の言を作す、「若し施主等、心を等しくして一最下の乞人に施すこと、猶お如来の福田の相の如くして分別する所無く、大悲に等しくして果報を求めざれば、是れ則ち名づけて具足せる法施と曰う」と。城中の一最下の乞人、是の神力を見、其の説く所を聞きて、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。是の如く諸の菩薩、各各仏に向かいて其の本縁を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰わく、彼に詣りて疾を問うに任せず、と。
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