維摩経 / 見阿閦佛品第十二(4)
爾時釋迦牟尼佛告諸大眾。汝等且觀妙喜世界無動如來其國嚴飾。菩薩行淨弟子清白。皆曰。唯然已見。佛言。若菩薩欲得如是清淨佛土。當學無動如來所行之道。現此妙喜國時。娑婆世界十四那由他人發阿耨多羅三藐三菩提心。皆願生於妙喜佛土。釋迦牟尼佛即記之曰。當生彼國。時妙喜世界於此國土。所應饒益其事訖已。還復本處舉眾皆見。佛告舍利弗。汝見此妙喜世界及無動佛不。唯然已見。世尊。願使一切眾生得清淨土如無動佛。獲神通力如維摩詰。世尊。我等快得善利。得見是人親近供養。其諸眾生若今現在若佛滅後。聞此經者亦得善利。況復聞已信解受持讀誦解說如法修行。若有手得是經典者。便為已得法寶之藏。若有讀誦解釋其義如說修行。即為諸佛之所護念。其有供養如是人者。當知即為供養於佛。其有書持此經卷者。當知其室即有如來。若聞是經能隨喜者。斯人即為取一切智。若能信解此經乃至一四句偈為他說者。當知此人即是受阿耨多羅三藐三菩提記。
新字:爾時釈迦牟尼仏告諸大衆。汝等且観妙喜世界無動如来其国厳飾。菩薩行浄弟子清白。皆曰。唯然已見。仏言。若菩薩欲得如是清浄仏土。当学無動如来所行之道。現此妙喜国時。娑婆世界十四那由他人発阿耨多羅三藐三菩提心。皆願生於妙喜仏土。釈迦牟尼仏即記之曰。当生彼国。時妙喜世界於此国土。所応饒益其事訖已。還復本処舉衆皆見。仏告舎利弗。汝見此妙喜世界及無動仏不。唯然已見。世尊。願使一切衆生得清浄土如無動仏。獲神通力如維摩詰。世尊。我等快得善利。得見是人親近供養。其諸衆生若今現在若仏滅後。聞此経者亦得善利。況復聞已信解受持読誦解説如法修行。若有手得是経典者。便為已得法宝之蔵。若有読誦解釈其義如説修行。即為諸仏之所護念。其有供養如是人者。当知即為供養於仏。其有書持此経巻者。当知其室即有如来。若聞是経能随喜者。斯人即為取一切智。若能信解此経乃至一四句偈為他説者。当知此人即是受阿耨多羅三藐三菩提記。
書き下し
爾の時、釈迦牟尼仏、諸の大衆に告げたまわく、汝等、且く妙喜世界の無動如来を観よ。其の国の厳飾、菩薩の行の浄き、弟子の清白なることを。皆曰く、唯然り、已に見たり。仏の言わく、若し菩薩、是くの如き清浄の仏土を得んと欲せば、当に無動如来の所行の道を学ぶべし。此の妙喜国を現ずる時、娑婆世界の十四那由他の人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、皆願わくは妙喜の仏土に生ぜん。釈迦牟尼仏、即ち之に記して曰く、当に彼の国に生ずべし。時に妙喜世界、此の国土に於いて、応に饒益すべき所の其の事訖り已りて、還た本の処に復し、挙衆皆見る。仏、舎利弗に告げたまわく、汝、此の妙喜世界及び無動仏を見るや不や。唯然り、已に見たり。世尊、願わくは一切の衆生をして清浄土を得ること無動仏の如くならしめ、神通力を獲ること維摩詰の如くならしめん。世尊、我等、快く善利を得たり。是の人を見て親近し供養することを得たり。其の諸の衆生、若しは今現在、若しは仏滅後に、此の経を聞かば、亦善利を得ん。況んや復た聞き已りて信解し受持し読誦し解説して如法に修行せんをや。若し手に是の経典を得ること有らば、便ち已に法宝の蔵を得たりと為す。若し読誦し、其の義を解釈し、説の如く修行すること有らば、即ち諸仏の護念する所と為る。其れ是くの如き人を供養すること有らば、当に知るべし、即ち仏を供養すと為す。其れ此の経巻を書持すること有らば、当に知るべし、其の室に即ち如来有り。若し是の経を聞きて能く随喜せば、斯の人は即ち一切智を取ると為す。若し能く此の経を信解し、乃至、一四句偈をも他の為に説かば、当に知るべし、此の人は即ち是れ阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるなり。
現代語訳
そのとき、釈迦牟尼仏は大衆に告げました。「あなたがたは、しばらく妙喜世界の無動如来を観なさい。その国の美しい荘厳、菩薩の行いの清らかさ、弟子たちの清く潔白なことを。」人々はみな言いました。「はい、すでに見ました。」仏は言いました。「もし菩薩がこのような清らかな仏の国を得ようと望むなら、無動如来の行った道を学ぶべきである。」この妙喜国が現れたとき、娑婆世界の十四那由他の人々が阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こし、みな妙喜の仏の国に生まれることを願いました。釈迦牟尼仏はすぐに、「あなたがたはその国に生まれるであろう」と予言しました。そのとき、妙喜世界は、この国土で利益を与えるべき事を終えて、もとの場所に戻り、すべての人がそれを見ました。仏は舎利弗に言いました。「あなたは、この妙喜世界と無動仏を見たか。」「はい、すでに見ました。世尊、どうかすべての衆生が、無動仏のように清らかな国を得て、維摩詰のように神通の力を得ることができますように。世尊、私たちは幸いにも善い利益を得ました。この人を見て、近づいて供養することができました。今現在の衆生も、仏の滅後の衆生も、この経を聞けば、やはり善い利益を得るでしょう。まして、聞いてから信じ理解し、受け持ち、読み誦え、解き明かして、法のとおりに実践する人はなおさらです。この経典を手に得る人は、法の宝の蔵をすでに得たことになります。読み誦え、その意味を解き明かし、説かれたとおりに実践するなら、諸仏に守り念じられる人となります。そのような人を供養すれば、仏を供養したことになると知りなさい。この経巻を書き持つなら、その部屋にはまさに如来がおられると知りなさい。この経を聞いて喜ぶことができるなら、その人は一切智を取ったことになります。この経を信じ理解し、わずか四句の偈でも他の人のために説くなら、その人は阿耨多羅三藐三菩提の予言を受けた人だと知りなさい。」
解説

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