維摩経 / 佛國品第一(8)
即時三千大千世界若干百千珍寶嚴飾。譬如寶莊嚴佛無量功德寶莊嚴土。一切大眾歎未曾有。而皆自見坐寶蓮華。佛告舍利弗。汝且觀是佛土嚴淨。舍利弗言。唯然世尊。本所不見。本所不聞。今佛國土嚴淨悉現。佛語舍利弗。我佛國土常淨若此。為欲度斯下劣人故。示是眾惡不淨土耳。譬如諸天共寶器食隨其福德飯色有異。如是舍利弗。若人心淨便見此土功德莊嚴。當佛現此國土嚴淨之時。寶積所將五百長者子皆得無生法忍。八萬四千人皆發阿耨多羅三藐三菩提心。佛攝神足。於是世界還復如故。求聲聞乘三萬二千天及人。知有為法皆悉無常。遠塵離垢得法眼淨。八千比丘不受諸法漏盡意解。
新字:即時三千大千世界若干百千珍宝厳飾。譬如宝荘厳仏無量功徳宝荘厳土。一切大衆嘆未曽有。而皆自見坐宝蓮華。仏告舎利弗。汝且観是仏土厳浄。舎利弗言。唯然世尊。本所不見。本所不聞。今仏国土厳浄悉現。仏語舎利弗。我仏国土常浄若此。為欲度斯下劣人故。示是衆悪不浄土耳。譬如諸天共宝器食随其福徳飯色有異。如是舎利弗。若人心浄便見此土功徳荘厳。当仏現此国土厳浄之時。宝積所将五百長者子皆得無生法忍。八万四千人皆発阿耨多羅三藐三菩提心。仏摂神足。於是世界還復如故。求声聞乗三万二千天及人。知有為法皆悉無常。遠塵離垢得法眼浄。八千比丘不受諸法漏尽意解。
書き下し
即時に三千大千世界、若干百千の珍宝もて厳飾せらる。譬えば宝荘厳仏の無量功徳宝荘厳土の如し。一切の大衆、未曾有なりと歎じ、而も皆自ら宝蓮華に坐せるを見る。仏、舎利弗に告げたまわく、汝、且く是の仏土の厳浄なるを観よ。舎利弗の言わく、唯然り世尊。本より見ざる所、本より聞かざる所なり。今、仏の国土の厳浄、悉く現ぜり。仏、舎利弗に語りたまわく、我が仏国土は常に浄きこと此くの若し。斯の下劣の人を度せんと欲するが為の故に、是の衆悪不浄の土を示すのみ。譬えば諸天の宝器を共にして食するに、其の福徳に随いて飯の色に異なること有るが如し。是くの如し舎利弗、若し人の心浄ければ便ち此の土の功徳荘厳を見る。仏、此の国土の厳浄を現じたもう時、宝積の将いる所の五百の長者の子、皆無生法忍を得、八万四千人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発す。仏、神足を摂めたもう。是に於て世界、還た復た故の如し。声聞乗を求むる三万二千の天及び人、有為の法は皆悉く無常なりと知り、塵を遠ざけ垢を離れて法眼浄を得。八千の比丘は諸法を受けず、漏尽きて意解く。
現代語訳
そのとき、三千大千世界は、数百千もの珍宝で飾られて輝きました。それはちょうど、宝荘厳仏の、無量の功徳に満ちた宝荘厳の国土のようでした。大衆は皆、いまだかつてないことだと感嘆し、そして皆、自分が宝の蓮華に座っていることに気づきました。仏は舎利弗に言われました。あなたは、この仏土の荘厳と清らかさをよく見なさい。舎利弗は言いました。そのとおりです、世尊。これまで見たことも、聞いたこともありません。今、仏の国土の荘厳と清浄が、すべて現れました。仏は舎利弗に言われました。私の仏国土は、いつもこのように清らかなのだ。ただ、心の劣った人々を救おうとするので、このようなさまざまな悪のある不浄な国土を示しているにすぎない。たとえば、諸天が同じ宝の器で食事をしても、それぞれの福徳に応じて、ご飯の色が違って見えるようなものである。舎利弗よ、このように、人の心が清らかであれば、この国土の功徳の荘厳が見える。仏がこの国土の荘厳と清浄を現されたとき、宝積が連れてきた五百人の長者の子は皆、無生法忍を得ました。八万四千人は皆、阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こしました。仏が神足の力をおさめると、世界は元のようになりました。そこで、声聞乗を求める三万二千の天と人は、有為の法はすべて無常であると知り、塵を遠ざけ垢を離れて、法眼の清らかさを得ました。八千人の比丘は、諸法を受けず、煩悩が尽きて心が解き放たれました。
解説

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維摩経・佛國品第一(7)爾の時、舎利弗、仏の威神を承けて是の念を作さく、若し菩薩の心浄ければ則ち仏土浄しとならば、我が世尊、本菩薩たりし時、意豈に浄からざらんや。而るに是の仏土の不浄なること此くの若し、と。仏、其の念を知りて即ち之に告げて言わく、意に於て云何。日月は豈に浄からざらんや。而るに盲者は見ず。対えて曰さく、不なり、世尊。是れ盲者の過にして日月の咎に非ず。舎利弗、衆生の罪の故に如来の仏土の厳浄なるを見ず。如来の咎に非ず。舎利弗、我が此の土は浄きに、汝見ず。爾の時、螺髻梵王、舎利弗に語る、是の意を作すこと勿れ、此の仏土を謂いて以て不浄と為すこと。所以は何ん。我、釈迦牟尼仏の土の清浄なるを見ること、譬えば自在天宮の如し。舎利弗の言わく、我、此の土を見るに、丘陵・坑坎・荊棘・沙礫・土石・諸山、穢悪充満せり。螺髻の梵の言わく、仁者の心に高下有り。仏慧に依らざるが故に、此の土を見て不浄と為すのみ。舎利弗、菩薩は一切衆生に於て悉く皆平等にして、深心清浄なり。仏の智慧に依れば則ち能く此の仏土の清浄なるを見る。是に於て仏、足の指を以て地を按えたもう。
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維摩経・佛國品第一(5)爾の時、長者の子宝積、此の偈を説き已りて仏に白して言さく、世尊、是の五百の長者の子は、皆已に阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。仏国土の清浄なるを得んことを願い聞く。唯願わくは世尊、諸の菩薩の浄土の行を説きたまえ。仏の言わく、善いかな宝積、乃ち能く諸の菩薩の為に如来に浄土の行を問えり。諦かに聴け、諦かに聴け、善く之を思念せよ。当に汝が為に説くべし。是に於て宝積及び五百の長者の子、教えを受けて聴く。仏の言わく、宝積、衆生の類は是れ菩薩の仏土なり。所以は何ん。菩薩は化する所の衆生に随いて仏土を取り、調伏する所の衆生に随いて仏土を取り、諸の衆生の応に何れの国を以て仏の智慧に入るべきかに随いて仏土を取り、諸の衆生の応に何れの国を以て菩薩の根を起こすべきかに随いて仏土を取る。所以は何ん。菩薩の浄国を取るは、皆諸の衆生を饒益せんが為の故なり。譬えば人有りて空地に於て宮室を造立せんと欲するに、意に随いて礙げ無きが如し。若し虚空に於てせば、終に成ずること能わず。菩薩も是くの如し。衆生を成就せんが為の故に仏国を取らんと願う。仏国を取らんと願うは、空に於てするに非ず。宝積、当に知るべし、直心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、諂わざる衆生、其の国に来生す。深心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、功徳を具足せる衆生、其の国に来生す。菩提心は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、大乗の衆生、其の国に来生す。布施は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、一切能く捨つる衆生、其の国に来生す。持戒は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、十善道を行じて願を満たせる衆生、其の国に来生す。忍辱は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、三十二相をもて荘厳せる衆生、其の国に来生す。精進は是れ菩薩の浄土なり。菩薩成仏の時、勤めて一切の功徳を修する衆生、其の国に来生す。
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法華経・見寶塔品第十一(4)時に釈迦牟尼仏、分身の諸仏を容受せんと欲したもうが故に、八方に各おの更に二百万億那由他の国を変じて、皆、清浄ならしめ、地獄・餓鬼・畜生、及び阿修羅無く、又、諸の天・人を移して、他土に置く。化したもう所の国も、亦た瑠璃をもて地と為し、宝樹荘厳す。樹の高さ五百由旬、枝・葉・華・果、次第に厳飾す。樹下に皆、宝の師子座有り、高さ五由旬、種種の諸宝をもて以て荘校とす。亦た大海・江河、及び目真鄰陀山・摩訶目真鄰陀山・鉄囲山・大鉄囲山・須弥山等の、諸の山王無く、通じて一の仏国土と為る。宝地平正にして、宝の交露の幔、遍く其の上を覆い、諸の幡蓋を懸け、大宝香を焼き、諸の天の宝華、遍く其の地に布く。 釈迦牟尼仏、諸仏の当来して坐したまわんが為に、復た八方に於いて、各おの更に二百万億那由他の国を変じて、皆、清浄ならしめ、地獄・餓鬼・畜生、及び阿修羅無く、又、諸の天・人を移して、他土に置く。化したもう所の国も、亦た瑠璃をもて地と為し、宝樹荘厳す。樹の高さ五百由旬、枝・葉・華・果、次第に荘厳す。樹下に皆、宝の師子座有り、高さ五由旬、亦た大宝をもて之を校飾せり。亦た大海・江河、及び目真鄰陀山・摩訶目真鄰陀山・鉄囲山・大鉄囲山・須弥山等の、諸の山王無く、通じて一の仏国土と為る。宝地平正にして、宝の交露の幔、遍く其の上を覆い、諸の幡蓋を懸け、大宝香を焼き、諸の天の宝華、遍く其の地に布く。
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