法華経 / 譬喻品第三(6)
昔於波羅奈、轉四諦法輪,分別說諸法,五眾之生滅。今復轉最妙,無上大法輪,是法甚深奧,少有能信者。 我等從昔來,數聞世尊說,未曾聞如是,深妙之上法。世尊說是法,我等皆隨喜。大智舍利弗,今得受尊記, 我等亦如是,必當得作佛,於一切世間,最尊無有上。佛道叵思議,方便隨宜說。我所有福業,今世若過世, 及見佛功德,盡回向佛道。 爾時舍利弗白佛言:「世尊,我今無復疑悔,親於佛前、得受阿耨多羅三藐三菩提記。是諸千二百心自在者,昔住學地,佛常教化,言我法、能離生老病死,究竟涅槃。是學無學人,亦各自以離我見及有無見等、謂得涅槃。而今於世尊前、聞所未聞,皆墮疑惑。善哉、世尊,願為四眾說其因緣,令離疑悔。」 爾時佛告舍利弗:「我先不言、諸佛世尊、以種種因緣、譬喻言辭、方便說法,皆為阿耨多羅三藐三菩提耶。是諸所說,皆為化菩薩故。然舍利弗,今當復以譬喻、更明此義,諸有智者、以譬喻得解。」
新字:昔於波羅奈、転四諦法輪,分別説諸法,五衆之生滅。今復転最妙,無上大法輪,是法甚深奥,少有能信者。 我等従昔来,数聞世尊説,未曽聞如是,深妙之上法。世尊説是法,我等皆随喜。大智舎利弗,今得受尊記, 我等亦如是,必当得作仏,於一切世間,最尊無有上。仏道叵思議,方便随宜説。我所有福業,今世若過世, 及見仏功徳,尽回向仏道。 爾時舎利弗白仏言:「世尊,我今無復疑悔,親於仏前、得受阿耨多羅三藐三菩提記。是諸千二百心自在者,昔住学地,仏常教化,言我法、能離生老病死,究竟涅槃。是学無学人,亦各自以離我見及有無見等、謂得涅槃。而今於世尊前、聞所未聞,皆堕疑惑。善哉、世尊,願為四衆説其因縁,令離疑悔。」 爾時仏告舎利弗:「我先不言、諸仏世尊、以種種因縁、譬喩言辞、方便説法,皆為阿耨多羅三藐三菩提耶。是諸所説,皆為化菩薩故。然舎利弗,今当復以譬喩、更明此義,諸有智者、以譬喩得解。」
書き下し
昔波羅奈に於いて、四諦の法輪を転じ、分別して諸法の、五衆の生滅を説きたまえり。今復最妙の、無上の大法輪を転じたまう。是の法は甚だ深奥にして、能く信ずる者有ること少なし。 我等昔より来、数世尊の説きたまうを聞きしが、未だ曽て是の如き、深妙の上法を聞かず。世尊の是の法を説きたまうに、我等皆随喜す。大智の舎利弗は、今尊記を受くることを得たり、 我等も亦是の如く、必ず当に作仏することを得て、一切世間に於いて、最尊にして上有ること無かるべし。仏道は思議す叵く、方便して宜しきに随いて説きたまう。我が有する所の福業、今世若しくは過世、 及び仏を見たてまつる功徳を、尽く仏道に回向す。 爾の時、舎利弗仏に白して言さく、「世尊、我今復疑悔無く、親しく仏前に於いて、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。是の諸の千二百の心自在なる者、昔学地に住せし時、仏常に教化して、我が法は、能く生老病死を離れ、究竟して涅槃なりと言いたまえり。是の学無学の人、亦各自ら我見及び有無見等を離れたるを以て、涅槃を得たりと謂えり。而るに今、世尊の前に於いて、聞かざる所を聞き、皆疑惑に墮ちたり。善きかな、世尊、願わくは四衆の為に其の因縁を説き、疑悔を離れしめたまえ。」 爾の時、仏、舎利弗に告げたまわく、「我先に言わずや、諸仏世尊は、種種の因縁・譬喩・言辞をもって、方便して法を説くも、皆阿耨多羅三藐三菩提の為なりと。是の諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり。然るに舎利弗、今当に復譬喩を以て、更に此の義を明らかにすべし。諸の智有る者は、譬喩を以て解を得ればなり。」
現代語訳
昔、波羅奈で四諦の法輪を転じ、諸法を分けて、五つの要素(五衆)の生滅を説かれました。今またこの最も妙なる、無上の大法輪を転じられます。この法は甚だ深く奥深く、信じることができる者は少ないのです。私たちは昔から、しばしば世尊の説法を聞いてきましたが、このような深く妙なる上の法は、まだ聞いたことがありません。世尊がこの法を説かれるのを、私たちはみな随喜します。大智の舎利弗は、今授記を受けることができました。私たちもまたこのように、必ず仏になることができ、あらゆる世間の中で最も尊く、上に並ぶ者がありません。仏道は思議できないもので、方便によって相手に応じて説かれます。私が持つ福の行い、今の世でも過去の世でも、また仏にお会いした功徳を、すべて仏道に回向します。そのとき舎利弗は仏に申し上げました。「世尊、私は今、もはや疑いも後悔もなく、仏の前で、阿耨多羅三藐三菩提の授記を受けることができました。ここにいる千二百人の心の自在な者たちは、昔、学地にいたとき、仏が常に教え導いて、私の法は生老病死を離れ、最終的に涅槃に至ると言われました。これらの学人・無学人は、またそれぞれ、我見や有無の見などを離れたことで、涅槃を得たと思っていました。しかし今、世尊の前で、聞いたことのないことを聞き、みな疑惑に陥っています。善きかな、世尊。どうか四衆のために、その因縁を説いて、疑いと後悔を離れさせてください。」そのとき仏は舎利弗に告げられました。「私は先に言わなかっただろうか。諸仏世尊は、さまざまな因縁、譬喩、言辞で、方便によって法を説くが、すべて阿耨多羅三藐三菩提のためであると。これらの説はすべて、菩薩を教化するためである。しかし舎利弗よ、今またさらに譬喩でこの意味を明らかにしよう。智慧のある者は、譬喩によって理解を得るのだから。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
法華経・譬喻品第三(3)世尊は我が心を知りて、邪を抜きて涅槃を説きたまえり。我悉く邪見を除き、空法に於いて証を得たり。爾の時心に自ら謂えらく、滅度に至ることを得たりと。而るに今乃ち自ら覚りぬ、是れ実の滅度に非ざることを。 若し作仏する時、三十二相を具し、天人夜叉衆、龍神等恭敬せば、是の時乃ち永く尽きて滅して余無しと謂う可し。仏は大衆の中に於いて、我当に作仏すべしと説きたまえり。 是の如き法音を聞きて、疑悔悉く已に除かる。初め仏の説きたまう所を聞きし時、心中に大いに驚疑せり、将に魔の作仏して、我が心を悩乱するに非ずやと。仏は種種の縁、譬喩巧みなる言を以て説きたまう、 其の心安きこと海の如く、我聞きて疑網断ぜり。仏は説きたまう、過去世の無量の滅度の仏も、方便の中に安住して、亦皆是の法を説きたまえりと。現在未来の仏は、其の数量有ること無く、 亦諸の方便を以て、是の如き法を演説したまう。今者の世尊の如き、生まれ及び出家、得道して法輪を転ずるまで、亦方便を以て説きたまう。世尊は実道を説きたまう、波旬には此の事無し、 是を以て我定めて知りぬ、是れ魔の作仏するに非ずと。我疑網に墮ちたる故に、是れ魔の所為なりと謂えり。仏の柔軟の音の、深遠にして甚だ微妙に、清浄の法を演暢したまうを聞きて、我が心大いに歓喜し、 疑悔永く已に尽き、実智の中に安住せり。我定めて当に作仏すべし、天人の敬う所と為り、無上の法輪を転じ、諸の菩薩を教化せん。 爾の時、仏、舎利弗に告げたまわく、「吾今、天・人・沙門・婆羅門等の大衆の中に於いて説く、我昔曽て二万億の仏の所に於いて、無上道の為の故に、常に汝を教化し、汝も亦長夜に我に随いて受学せり。我、方便を以て汝を引導せし故に、我が法の中に生ぜり。舎利弗、我昔汝に仏道を志願せしめしを、汝今悉く忘れて、便ち自ら已に滅度を得たりと謂えり。我今還って汝をして本願の行ぜし所の道を憶念せしめんと欲する故に、諸の声聞の為に是の大乗経を説く、名づけて妙法蓮華、菩薩を教うる法、仏の護念したまう所なり。」
-
法華経・譬喻品第三(5)舎利弗の来世に、成仏して普智の尊となり、号を名づけて華光と曰い、当に無量の衆を度すべし。無数の仏を供養し、菩薩の行、十力等の功徳を具足して、無上道を証せん。 無量劫を過ぎ已りて、劫を大宝厳と名づけ、世界を離垢と名づけ、清浄にして瑕穢無し。琉璃を以て地と為し、金縄をもて其の道を界い、七宝雑色の樹に、常に華果実有らん。 彼の国の諸の菩薩は、志念常に堅固にして、神通波羅蜜を、皆已に悉く具足せり。無数の仏の所にして、善く菩薩道を学べり。是の如き等の大士は、華光仏の化する所なり。 仏の王子たりし時、国を棄て世栄を捨て、最末後身に於いて、出家して仏道を成ぜん。華光仏の世に住したまうこと、寿十二小劫、其の国の人民衆は、寿命八小劫なり。 仏の滅度の後、正法世に住すること、三十二小劫、広く諸の衆生を度せん。正法滅尽し已りて、像法三十二、舎利広く流布し、天人普く供養せん。 華光仏の所為、其の事皆是の如し。其の両足聖尊は、最勝にして倫匹無し。彼れ即ち是れ汝が身なり、宜しく応に自ら欣慶すべし。 爾の時、四部の衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽等の大衆、舎利弗の仏前に於いて阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心に大歓喜し、踴躍すること無量にして、各各身に著たる上衣を脱ぎて、以て仏を供養す。釈提桓因・梵天王等、無数の天子と与に、亦天の妙衣・天の曼陀羅華・摩訶曼陀羅華等を以て、仏を供養す。散ずる所の天衣は、虚空の中に住して、自ら回転す。諸天の伎楽、百千万種、虚空の中に於いて、一時に倶に作し、衆の天華を雨らす。而して是の言を作す、「仏は昔波羅奈に於いて、初めて法輪を転じ、今乃ち復無上最大の法輪を転じたまう」と。 爾の時、諸の天子、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、
-
法華経・方便品第二(4)慧日大聖尊、久しくして乃ち是の法を説きたもう。自ら説きたまわく、是くの如き力・無畏・三昧、 禅定・解脱等の、不可思議の法を得たり、と。道場にて得たまえる所の法は、能く発問する者無し。 我が意は測るべきこと難く、亦た能く問う者無し。問う無きに自ら説きたまい、行じたまえる道を称歎したもう。 智慧は甚だ微妙にして、諸仏の得たまえる所なり。無漏の諸の羅漢、及び涅槃を求むる者、 今、皆な疑網に堕ちぬ、仏、何が故ぞ是れを説きたもう。其の縁覚を求むる者、比丘・比丘尼、 諸の天・龍・鬼神、及び乾闥婆等、相い視て猶予を懐き、両足尊を瞻仰す。 是の事、云何と為すや、願わくは仏、為に解説したまえ。諸の声聞衆の中に、仏、我を第一なりと説きたまう。 我れ今、自ら智に於いて、疑惑して了すること能わず。為た是れ究竟の法なるか、為た是れ行ずる所の道なるか。 仏口より生ずる子、合掌して瞻仰して待つ。願わくは微妙の音を出だして、時に為に如実に説きたまえ。 諸の天・龍神等、其の数恒沙の如し。仏を求むる諸の菩薩、大数八万有り。 又た諸の万億の国の、転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て、具足の道を聞かんと欲す。 その時、仏、舎利弗に告げたまわく、「止みね、止みね、復た説くことを須いず。若し是の事を説かば、一切世間の諸天、及び人、皆な当に驚疑すべし」と。舎利弗、重ねて仏に白して言さく、「世尊、惟願わくは之を説きたまえ、惟願わくは之を説きたまえ。所以は何ん。是の会の無数百千万億阿僧祇の衆生は、曾て諸仏を見たてまつり、諸根猛利にして、智慧明了なれば、仏の所説を聞かば、則ち能く敬信せん」と。 その時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 法王無上尊、惟説きたまえ、慮ること勿かれ。 是の会の無量の衆に、能く敬信する者有り。 仏、復た舎利弗を止めたまわく、「若し是の事を説かば、一切世間の天・人・阿修羅、皆な当に驚疑すべし。増上慢の比丘は、将に大坑に墜つべし」と。 その時、世尊、重ねて偈を説いて言わく、 止みね止みね、説くことを須いず。我が法は妙にして思い難し。 諸の増上慢の者は、聞かば必ず敬信せじ。
-
法華経・方便品第二(14)久遠劫より来、是の涅槃の法を讃え、生死の苦永く尽くと、我常に是の如く説けり。 舎利弗当に知るべし、我仏子等の、志して仏道を求むる者、無量千万億なるを見る。 咸く恭敬の心を以て、皆仏所に来至し、曾て諸仏に従いて、方便所説の法を聞けり。 我即ち是の念を作す、如来の出づる所以は、仏慧を説かんが為の故なり、今正に是れ其の時なり、と。 舎利弗当に知るべし、鈍根小智の人、相に著し憍慢なる者は、是の法を信ずること能わず。 今我は喜びて畏るる無く、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但無上道を説く。 菩薩是の法を聞かば、疑網皆已に除かれん。千二百の羅漢も、悉く亦当に仏と作るべし。 三世の諸仏の、説法の儀式の如く、我今も亦是の如く、無分別の法を説く。 諸仏の世に興出したまうこと、懸遠にして値遇すること難く、正使世に出でたまうとも、是の法を説きたまうこと復難し。 無量無数劫にも、是の法を聞くこと亦難く、能く是の法を聴く者も、斯の人亦復難し。 譬えば優曇華の、一切皆愛楽し、天人の稀有とする所にして、時時に乃ち一たび出づるが如し。 法を聞きて歓喜し讃え、乃至一言を発せば、則ち已に、一切三世の仏を供養すと為す。 是の人は甚だ稀有にして、優曇華に過ぎたり。汝等疑い有ること勿れ、我は諸法の王たり、 普く諸の大衆に告ぐ、但一乗の道を以て、諸の菩薩を教化し、声聞の弟子無し、と。 汝等舎利弗、声聞及び菩薩よ、当に知るべし、是の妙法は、諸仏の秘要なり。 五濁悪世を以て、但諸欲に楽著す。是の如き等の衆生は、終に仏道を求めず。 当来世の悪人は、仏の一乗を説きたまうを聞きて、迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕せん。 慚愧有り清浄にして、志して仏道を求むる者には、当に是の如き等の為に、広く一乗の道を讃むべし。 舎利弗当に知るべし、諸仏の法は是の如く、万億の方便を以て、宜しきに随いて法を説きたまう。 其の習学せざる者は、此れを暁了すること能わず。汝等既に已に知れり、諸仏は世の師にして、 宜しきに随う方便の事なりと。復諸の疑惑無く、心に大歓喜を生じ、自ら当に仏と作るべきを知れ。
-
法華経・方便品第二(2)世雄は量るべからず、諸天及び世人、一切衆生の類、能く仏を知る者無し。 仏の力、無所畏、解脱、諸の三昧、及び仏の諸の余の法、能く測量する者無し。 本と無数の仏に従いて、具足して諸の道を行じ、甚深微妙の法は、見難く了すべきこと難し。 無量億劫に於いて、此の諸の道を行じ已りて、道場に果を成ずることを得、我れ已に悉く知見せり。 是くの如き大果報、種種の性相の義は、我れ及び十方の仏のみ、乃ち能く是の事を知る。 是の法は示すべからず、言辞の相寂滅す。諸余の衆生の類は、能く解することを得る者有ること無し、 諸の菩薩衆の、信力堅固なる者を除く。諸仏の弟子衆の、曾て諸仏を供養し、 一切の漏已に尽き、是の最後身に住せる、是くの如き諸人等も、其の力の堪えざる所なり。 仮使い世間に満てるもの、皆な舎利弗の如くにして、尽く思いて共に度量するも、仏智を測ること能わじ。 正使い十方に満てるもの、皆な舎利弗の如く、及び余の諸の弟子も、亦た十方の刹に満ちて、 尽く思いて共に度量するも、亦復た知ること能わじ。辟支仏の利智、無漏の最後身も、 亦た十方界に満ちて、其の数、竹林の如くならんも、斯れ等、一心を共にして、億無量劫に於いて、 仏の実智を思わんと欲するも、少分をも知ること能わじ。新発意の菩薩の、無数の仏を供養し、 諸の義趣を了達し、又た能く善く法を説くもの、稲・麻・竹・葦の如く、十方の刹に充満し、 一心に妙智を以て、恒河沙劫に於いて、咸な皆な共に思量するも、仏智を知ること能わじ。 不退の諸の菩薩の、其の数恒沙の如く、一心に共に思い求むるも、亦復た知ること能わじ。 又た舎利弗に告ぐ、無漏不思議の、甚深微妙の法を、我れ今已に具に得たり、 唯だ我のみ是の相を知る、十方の仏も亦た然り。舎利弗当に知るべし、諸仏の語は異なること無し、 仏の所説の法に於いて、当に大信力を生ずべし。世尊の法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし。 諸の声聞衆、及び縁覚乗を求むる者に告ぐ、我れ苦縛を脱して、涅槃を逮得せしむる者は、 仏は方便力を以て、三乗の教を示す。衆生処処に著するを、之を引きて出ずることを得しむ。
-
法華経・譬喻品第三(1)爾の時、舎利弗踴躍歓喜し、即ち起ちて、合掌し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、「今、世尊より此の法音を聞き、心に踴躍を懐き、未曽有なることを得たり。所以は何ん。我昔仏より是の如き法を聞き、諸の菩薩の授記して仏と作るを見しに、我等は斯の事に与らず、甚だ自ら感傷し、如来の無量の知見を失えり。世尊、我常に独り山林樹下に処し、若しは坐し若しは行じて、毎に是の念を作せり、『我等同じく法性に入るに、云何ぞ如来は小乗の法を以て済度せらるるや』と。是れ我等の咎にして、世尊に非ざるなり。所以は何ん。若し我等、説きたまう所の因る所を待ちて、阿耨多羅三藐三菩提を成就せば、必ず大乗を以て度脱を得ん。然るに我等は方便の宜しきに随いて説きたまう所を解せず、初めて仏法を聞きて、遇い、便ち信受し、思惟して証を取れり。世尊、我昔より来、終日竟夜、毎に自ら克責せり。而るに今、仏より、聞かざる所、未曽有の法を聞き、諸の疑悔を断じ、身意泰然として、快く安穏を得たり。今日乃ち知りぬ、真に是れ仏子にして、仏の口より生じ、法より化生し、仏法の分を得たることを。」 爾の時、舎利弗重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、