維摩経 / 見阿閦佛品第十二(2)
爾時舍利弗問維摩詰。汝於何沒而來生此。維摩詰言。汝所得法有沒生乎。舍利弗言。無沒生也。若諸法無沒生相。云何問言汝於何沒而來生此。於意云何。譬如幻師幻作男女。寧沒生耶。舍利弗言。無沒生也。汝豈不聞佛說諸法如幻相乎。答曰如是。若一切法如幻相者。云何問言汝於何沒而來生此。舍利弗。沒者為虛誑法敗壞之相。生者為虛誑法相續之相。菩薩雖沒不盡善本。雖生不長諸惡。是時佛告舍利弗。有國名妙喜。佛號無動。是維摩詰於彼國沒而來生此。舍利弗言。未曾有也。世尊。是人乃能捨清淨土。而來樂此多怒害處。維摩詰語舍利弗。於意云何。日光出時與冥合乎。答曰。不也。日光出時即無眾冥。維摩詰言。夫日何故行閻浮提。答曰欲以明照為之除冥。維摩詰言。菩薩如是。雖生不淨佛土為化眾生故不與愚闇而共合也。但滅眾生煩惱闇耳。是時大眾渴仰。欲見妙喜世界無動如來及其菩薩聲聞之眾。
新字:爾時舎利弗問維摩詰。汝於何没而来生此。維摩詰言。汝所得法有没生乎。舎利弗言。無没生也。若諸法無没生相。云何問言汝於何没而来生此。於意云何。譬如幻師幻作男女。寧没生耶。舎利弗言。無没生也。汝豈不聞仏説諸法如幻相乎。答曰如是。若一切法如幻相者。云何問言汝於何没而来生此。舎利弗。没者為虚誑法敗壊之相。生者為虚誑法相続之相。菩薩雖没不尽善本。雖生不長諸悪。是時仏告舎利弗。有国名妙喜。仏号無動。是維摩詰於彼国没而来生此。舎利弗言。未曽有也。世尊。是人乃能捨清浄土。而来楽此多怒害処。維摩詰語舎利弗。於意云何。日光出時与冥合乎。答曰。不也。日光出時即無衆冥。維摩詰言。夫日何故行閻浮提。答曰欲以明照為之除冥。維摩詰言。菩薩如是。雖生不浄仏土為化衆生故不与愚闇而共合也。但滅衆生煩悩闇耳。是時大衆渇仰。欲見妙喜世界無動如来及其菩薩声聞之衆。
書き下し
爾の時、舎利弗、維摩詰に問う、汝、何れに没して此に来生するや。維摩詰言わく、汝が得る所の法に没生有りや。舎利弗言わく、没生無きなり。若し諸法に没生の相無くんば、云何ぞ問いて、汝、何れに没して此に来生すると言うや。意に於いて云何。譬えば幻師の幻に男女を作る、寧ろ没生せんや。舎利弗言わく、没生無きなり。汝、豈に仏の、諸法は幻の相の如しと説きたまうを聞かざらんや。答えて曰く、是くの如し。若し一切の法、幻の相の如くならば、云何ぞ問いて、汝、何れに没して此に来生すると言うや。舎利弗、没とは虚誑の法の敗壊の相為り。生とは虚誑の法の相続の相為り。菩薩は没すと雖も善本を尽くさず、生ずと雖も諸悪を長ぜず。是の時、仏、舎利弗に告げたまわく、国有り、妙喜と名づく。仏の号を無動と曰う。是の維摩詰、彼の国に没して此に来生せり。舎利弗言わく、未曾有なり、世尊。是の人、乃ち能く清浄土を捨てて、此の怒害多き処に来たりて楽しむ。維摩詰、舎利弗に語る、意に於いて云何。日光の出づる時、冥と合するや。答えて曰く、不なり。日光の出づる時は、即ち衆冥無し。維摩詰言わく、夫れ日は何が故に閻浮提を行く。答えて曰く、明照を以て之が為に冥を除かんと欲するなり。維摩詰言わく、菩薩も是くの如し。不浄の仏土に生ずと雖も、衆生を化せんが為の故に、愚闇と共に合せず。但だ衆生の煩悩の闇を滅するのみ。是の時、大衆渇仰して、妙喜世界の無動如来、及び其の菩薩・声聞の衆を見んと欲す。
現代語訳
そのとき、舎利弗が維摩詰に尋ねました。「あなたはどこで亡くなって、ここに生まれて来たのですか。」維摩詰は言いました。「あなたが悟った法に、没することや生じることがありますか。」舎利弗は言いました。「没することも生じることもありません。」「もしあらゆる法に没する相も生じる相もないのなら、どうして、あなたはどこで没してここに生まれたのか、と問うのですか。どう思いますか。たとえば幻術師が幻で男女をつくったとして、それが没したり生じたりするでしょうか。」舎利弗は言いました。「没することも生じることもありません。」「あなたは、仏があらゆる法は幻のようなものだと説かれるのを聞いたことがないのですか。」「そのとおりです。」「もしあらゆる法が幻のようなものなら、どうしてあなたはどこで没してここに生まれたのかと問うのですか。舎利弗よ、没するとは、偽りの法が壊れていくありさまです。生じるとは、偽りの法が続いていくありさまです。菩薩は没しても善の根本を尽くさず、生じても諸々の悪を育てません。」このとき、仏が舎利弗に告げました。「妙喜という国があり、仏を無動と号する。この維摩詰は、その国で没してここに生まれてきたのだ。」舎利弗は言いました。「かつてないことです、世尊。この人は清らかな国を捨てて、怒りや害の多いこの場所に楽しんで来られたのですね。」維摩詰は舎利弗に言いました。「どう思いますか。太陽の光が出るとき、闇と交わるでしょうか。」舎利弗は答えました。「いいえ。太陽の光が出れば、あらゆる闇はなくなります。」維摩詰は言いました。「では、太陽はなぜ閻浮提を巡るのでしょうか。」舎利弗は答えました。「光で照らして、闇を除こうとするためです。」維摩詰は言いました。「菩薩もそのとおりです。清らかでない仏の国に生まれても、衆生を教え導くために、愚かさや闇と交わることはありません。ただ衆生の煩悩の闇を滅するだけです。」そのとき、大衆は強く願って、妙喜世界の無動如来と、その菩薩や声聞の人々を見たいと思いました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
維摩経・觀眾生品第七(7)舎利弗の女身に非ずして女身を現ずるが如く、一切の女人も亦復た是くの如し。女身を現ずと雖も女に非ざるなり。是の故に仏は、一切の諸法は男に非ず女に非ずと説く。即時に天女、神力を還摂すれば、舎利弗の身は還りて故の如くに復す。天、舎利弗に問う、女身の色相、今何れの所にか在る、と。舎利弗の言わく、女身の色相は、在ること無く、在らざること無し。天の曰わく、一切の諸法も亦復た是くの如く、在ること無く、在らざること無し。夫れ在ること無く在らざること無しとは、仏の説く所なり。舎利弗、天に問う、汝は此に於いて没して、当に何れの所に生ずべき、と。天の曰わく、仏の化して生ずる所は、吾れ彼の如く生ず。曰わく、仏の化して生ずる所は、没生に非ざるなり。天の曰わく、衆生も猶お然り、没生無きなり。舎利弗、天に問う、汝は久しきこと如何ぞして、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べき、と。天の曰わく、舎利弗、還りて凡夫と為らば、我れ乃ち当に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。舎利弗の言わく、我れ凡夫と作ること、是の処有ること無し。天の曰わく、我れ阿耨多羅三藐三菩提を得ること、亦た是の処有ること無し。所以は何ん。菩提には住処無し、是の故に得る者有ること無し。舎利弗の言わく、今諸仏の阿耨多羅三藐三菩提を得たること、已に得、当に得、恒河沙の如し、皆謂何ぞや、と。天の曰わく、皆世俗の文字の数を以ての故に、三世有りと説く。菩提に去・来・今有りと謂うに非ず。天の曰わく、舎利弗、汝は阿羅漢道を得たるか。曰わく、得る所無きが故に得たり。天の曰わく、諸仏・菩薩も亦復た是くの如し。 得る所無きが故に得たり。 爾の時、維摩詰、舎利弗に語る、是の天女は已に曾て九十二億の仏を供養し已れり。能く菩薩の神通に遊戯し、所願具足して無生忍を得、不退転に住す。本願を以ての故に、意に随いて能く現じて衆生を教化す。
-
維摩経・見阿閦佛品第十二(3)仏、一切の衆会の念う所を知りて、維摩詰に告げて言いたまわく、善男子、此の衆会の為に、妙喜国の無動如来及び諸の菩薩・声聞の衆を現ぜよ。衆皆見んと欲す。是に於いて維摩詰、心に念ず、吾れ当に座より起たずして、妙喜国の鉄囲山・川・渓谷・江河・大海・泉源・須弥の諸山、及び日月星宿、天龍鬼神・梵天等の宮、并びに諸の菩薩・声聞の衆、城邑聚落・男女大小、乃至、無動如来及び菩提樹、諸の妙蓮華、能く十方に於いて仏事を作す者、三道の宝階の閻浮提より忉利天に至り、此の宝階を以て諸天来たり下り、悉く無動如来を礼敬し、経法を聴受せんが為なり、閻浮提の人も亦其の階に登り、忉利に上昇して彼の諸天を見る、妙喜世界の是くの如き無量の功徳を成就せること、上は阿迦膩吒天に至り、下は水際に至る、右手を以て断取すること陶家の輪の如くし、此の世界に入るるに、猶お華鬘を持ちて一切の衆に示すが如くせんと。是の念を作し已りて三昧に入り、神通力を現ず。其の右手を以て、妙喜世界を断取して此の土に置く。彼の神通を得たる菩薩及び声聞衆、并びに余の天人、倶に声を発して言わく、唯然り、世尊、誰か我を取りて去る、願わくは救護せられんことを。無動仏の言わく、我が為す所に非ず。是れ維摩詰の神力の作す所なり。其の余の未だ神通を得ざる者は、覚えず知らず、己の往く所を。妙喜世界は此の土に入ると雖も、増減せず。是に於いて世界も亦、迫隘せず、本の如くにして異なること無し。
-
維摩経・見阿閦佛品第十二(4)爾の時、釈迦牟尼仏、諸の大衆に告げたまわく、汝等、且く妙喜世界の無動如来を観よ。其の国の厳飾、菩薩の行の浄き、弟子の清白なることを。皆曰く、唯然り、已に見たり。仏の言わく、若し菩薩、是くの如き清浄の仏土を得んと欲せば、当に無動如来の所行の道を学ぶべし。此の妙喜国を現ずる時、娑婆世界の十四那由他の人、阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、皆願わくは妙喜の仏土に生ぜん。釈迦牟尼仏、即ち之に記して曰く、当に彼の国に生ずべし。時に妙喜世界、此の国土に於いて、応に饒益すべき所の其の事訖り已りて、還た本の処に復し、挙衆皆見る。仏、舎利弗に告げたまわく、汝、此の妙喜世界及び無動仏を見るや不や。唯然り、已に見たり。世尊、願わくは一切の衆生をして清浄土を得ること無動仏の如くならしめ、神通力を獲ること維摩詰の如くならしめん。世尊、我等、快く善利を得たり。是の人を見て親近し供養することを得たり。其の諸の衆生、若しは今現在、若しは仏滅後に、此の経を聞かば、亦善利を得ん。況んや復た聞き已りて信解し受持し読誦し解説して如法に修行せんをや。若し手に是の経典を得ること有らば、便ち已に法宝の蔵を得たりと為す。若し読誦し、其の義を解釈し、説の如く修行すること有らば、即ち諸仏の護念する所と為る。其れ是くの如き人を供養すること有らば、当に知るべし、即ち仏を供養すと為す。其れ此の経巻を書持すること有らば、当に知るべし、其の室に即ち如来有り。若し是の経を聞きて能く随喜せば、斯の人は即ち一切智を取ると為す。若し能く此の経を信解し、乃至、一四句偈をも他の為に説かば、当に知るべし、此の人は即ち是れ阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるなり。
-
維摩経・不思議品第六(1)爾の時、舎利弗、此の室中に床座無きを見て、是の念を作す、「斯の諸の菩薩・大弟子衆は当に何に於いてか坐すべき」と。長者維摩詰、其の意を知りて舎利弗に語りて言わく、「云何ぞ、仁者、法の為に来たるや、床座を求めて来たるや」と。舎利弗言わく、「我れ法の為に来たる、床座の為に非ず」と。維摩詰言わく、「唯、舎利弗よ、夫れ法を求むる者は、軀命を貪らず。何ぞ況んや床座をや。夫れ法を求むる者は、色・受・想・行・識の求むる有るに非ず、界・入の求むる有るに非ず、欲・色・無色の求むる有るに非ず。唯、舎利弗よ、夫れ法を求むる者は、仏に著して求めず、法に著して求めず、衆に著して求めず。夫れ法を求むる者は、苦を見るの求め無く、集を断ずるの求め無く、滅を造り証し道を修するの求め無し。所以は何ん。法には戯論無し。若し我れ当に苦を見、集を断じ、滅を証し、道を修すべしと言わば、是れ則ち戯論にして法を求むるに非ず。唯、舎利弗よ、法を寂滅と名づく。若し生滅を行ぜば、是れ生滅を求むるにして法を求むるに非ず。法を無染と名づく。若し法に染まり、乃至涅槃にも染まらば、是れ則ち染著にして法を求むるに非ず。法には行処無し。若し法を行ぜば、是れ則ち行処にして法を求むるに非ず。法には取捨無し。若し法を取捨せば、是れ則ち取捨にして法を求むるに非ず。法には処所無し。若し処所に著せば、是れ則ち著処にして法を求むるに非ず。法を無相と名づく。若し相に随いて識らば、是れ則ち相を求むるにして法を求むるに非ず。法は住すべからず。若し法に住せば、是れ則ち法に住するにして法を求むるに非ず。法は見聞覚知すべからず。若し見聞覚知を行ぜば、是れ則ち見聞覚知にして法を求むるに非ず。法を無為と名づく。若し有為を行ぜば、是れ有為を求むるにして法を求むるに非ず。是の故に、舎利弗、若し法を求むる者は、一切法に於いて応に求むる所無かるべし」と。是の語を説く時、五百の天子、諸法の中に於いて法眼浄を得たり。
-
維摩経・佛國品第一(7)爾の時、舎利弗、仏の威神を承けて是の念を作さく、若し菩薩の心浄ければ則ち仏土浄しとならば、我が世尊、本菩薩たりし時、意豈に浄からざらんや。而るに是の仏土の不浄なること此くの若し、と。仏、其の念を知りて即ち之に告げて言わく、意に於て云何。日月は豈に浄からざらんや。而るに盲者は見ず。対えて曰さく、不なり、世尊。是れ盲者の過にして日月の咎に非ず。舎利弗、衆生の罪の故に如来の仏土の厳浄なるを見ず。如来の咎に非ず。舎利弗、我が此の土は浄きに、汝見ず。爾の時、螺髻梵王、舎利弗に語る、是の意を作すこと勿れ、此の仏土を謂いて以て不浄と為すこと。所以は何ん。我、釈迦牟尼仏の土の清浄なるを見ること、譬えば自在天宮の如し。舎利弗の言わく、我、此の土を見るに、丘陵・坑坎・荊棘・沙礫・土石・諸山、穢悪充満せり。螺髻の梵の言わく、仁者の心に高下有り。仏慧に依らざるが故に、此の土を見て不浄と為すのみ。舎利弗、菩薩は一切衆生に於て悉く皆平等にして、深心清浄なり。仏の智慧に依れば則ち能く此の仏土の清浄なるを見る。是に於て仏、足の指を以て地を按えたもう。
-
維摩経・見阿閦佛品第十二(1)爾の時、世尊、維摩詰に問いたまわく、汝、如来を見んと欲するに、何等を以て如来を観るや。維摩詰言わく、自ら身の実相を観ずるが如く、仏を観ること亦然り。我、如来を観るに、前際より来たらず、後際に去らず、今も則ち住せず。色を観ず、色の如を観ず、色の性を観ず。受・想・行・識を観ず、識の如を観ず、識の性を観ず。四大より起こるに非ず、虚空に同じ。六入は積むこと無く、眼耳鼻舌身心は已に過ぎて、三界に在らず。三垢已に離れて三脱門に順ず。三明を具足して無明と等し。一相ならず、異相ならず。自相ならず、他相ならず。無相に非ず、取相に非ず。此岸ならず、彼岸ならず、中流ならず。而も衆生を化す。寂滅を観じて亦永滅せず。此ならず彼ならず、此を以てせず彼を以てせず。智を以て知るべからず、識を以て識るべからず。晦無く明無く、名無く相無し。強無く弱無く、浄に非ず穢に非ず。方に在らず、方を離れず。有為に非ず、無為に非ず。示すこと無く説くこと無し。施さず、慳まず。戒ぜず、犯さず。忍ばず、恚らず。進まず、怠らず。定ならず、乱れず。智ならず、愚ならず。誠ならず、欺かず。来たらず、去らず。出でず、入らず。一切の言語の道断えたり。福田に非ず、福田ならざるに非ず。供養に応ずるに非ず、供養に応ぜざるに非ず。取に非ず、捨に非ず。有相に非ず、無相に非ず。真際に同じく、法性に等し。称すべからず、量るべからず、諸の称量を過ぎたり。大に非ず、小に非ず。見に非ず、聞に非ず、覚に非ず、知に非ず。衆の結縛を離れ、諸智に等しく、衆生に同じ。諸法に於いて分別無し。一切失無し。濁無く、悩無し。作無く、起無く、生無く、滅無し。畏無く、憂無く、喜無く、厭無く、著無し。已に有ること無く、当に有ること無く、今有ること無し。一切の言説分別を以て顕示すべからず。世尊、如来の身は此くの若しと為す。是くの如き観を作す。斯の観を以てする者を名づけて正観と為し、若し他の観をする者を名づけて邪観と為す。