維摩経 / 菩薩行品第十一(4)
爾時眾香世界菩薩來者。合掌白佛言。世尊。我等初見此土生下劣想。今自悔責捨離是心。所以者何。諸佛方便不可思議。為度眾生故。隨其所應現佛國異。唯然世尊。願賜少法還於彼土當念如來。佛告諸菩薩。有盡無盡解脫法門。汝等當學。何謂為盡。謂有為法。何謂無盡。謂無為法。如菩薩者。不盡有為不住無為。何謂不盡有為。謂不離大慈不捨大悲。深發一切智心而不忽忘。教化眾生終不厭惓。於四攝法常念順行。護持正法不惜軀命。種諸善根無有疲厭。志常安住方便迴向。求法不懈說法無悋。勤供諸佛故。入生死而無所畏。於諸榮辱心無憂喜。不輕未學敬學如佛。墮煩惱者令發正念。於遠離樂不以為貴。不著己樂慶於彼樂。在諸禪定如地獄想。於生死中如園觀想。見來求者為善師想。捨諸所有具一切智想見毀戒人起救護想。諸波羅蜜為父母想。道品之法為眷屬想。發行善根無有齊限。以諸淨國嚴飾之事成己佛土行無限施具足相好。除一切惡淨身口意。生死無數劫意而有勇。聞佛無量德志而不倦。以智慧劍破煩惱賊出陰界入。荷負眾生永使解脫。以大精進摧伏魔軍。常求無念實相智慧行。於世間法少欲知足。於出世間求之無厭。而不捨世間法不壞威儀法而能隨俗。起神通慧引導眾生。得念總持所聞不忘。
新字:爾時衆香世界菩薩来者。合掌白仏言。世尊。我等初見此土生下劣想。今自悔責捨離是心。所以者何。諸仏方便不可思議。為度衆生故。随其所応現仏国異。唯然世尊。願賜少法還於彼土当念如来。仏告諸菩薩。有尽無尽解脱法門。汝等当学。何謂為尽。謂有為法。何謂無尽。謂無為法。如菩薩者。不尽有為不住無為。何謂不尽有為。謂不離大慈不捨大悲。深発一切智心而不忽忘。教化衆生終不厭惓。於四摂法常念順行。護持正法不惜躯命。種諸善根無有疲厭。志常安住方便迴向。求法不懈説法無悋。勤供諸仏故。入生死而無所畏。於諸栄辱心無憂喜。不軽未学敬学如仏。堕煩悩者令発正念。於遠離楽不以為貴。不著己楽慶於彼楽。在諸禅定如地獄想。於生死中如園観想。見来求者為善師想。捨諸所有具一切智想見毀戒人起救護想。諸波羅蜜為父母想。道品之法為眷属想。発行善根無有斉限。以諸浄国厳飾之事成己仏土行無限施具足相好。除一切悪浄身口意。生死無数劫意而有勇。聞仏無量徳志而不倦。以智慧剣破煩悩賊出陰界入。荷負衆生永使解脱。以大精進摧伏魔軍。常求無念実相智慧行。於世間法少欲知足。於出世間求之無厭。而不捨世間法不壊威儀法而能随俗。起神通慧引導衆生。得念総持所聞不忘。
書き下し
爾の時、衆香世界の菩薩の来たれる者、合掌して仏に白して言わく、世尊、我等、初め此の土を見て下劣の想を生ぜり。今、自ら悔責して是の心を捨離す。所以は何ん。諸仏の方便は不可思議なり。衆生を度せんが為の故に、其の応ずる所に随いて、仏国の異なるを現ずればなり。唯だ願わくは世尊、少しく法を賜い、彼の土に還りて当に如来を念ずべし。仏、諸の菩薩に告げたまわく、有尽無尽の解脱の法門有り、汝等、当に学ぶべし。何をか尽と謂う。有為の法を謂う。何をか無尽と謂う。無為の法を謂う。菩薩の如きは、有為を尽くさず、無為に住せず。何をか有為を尽くさずと謂う。大慈を離れず、大悲を捨てず、深く一切智の心を発して忽忘せず、衆生を教化して終に厭倦せず、四摂法に於いて常に念じて順行し、正法を護持して軀命を惜しまず、諸の善根を種えて疲厭有ること無く、志常に方便・廻向に安住し、法を求めて懈らず、法を説きて悋まず、勤めて諸仏を供養するが故に生死に入りて畏るる所無く、諸の栄辱に於いて心に憂喜無く、未学を軽んぜず、学を敬うこと仏の如くし、煩悩に堕ちたる者をして正念を発さしめ、遠離の楽に於いて以て貴しと為さず、己が楽に著せず、彼の楽を慶び、諸の禅定に在りては地獄の想の如くし、生死の中に於いては園観の想の如くし、来たり求むる者を見ては善師の想を為し、諸の所有を捨てては一切智の想を具し、毀戒の人を見ては救護の想を起こし、諸の波羅蜜をば父母の想と為し、道品の法をば眷属の想と為し、善根を発行して斉限有ること無く、諸の浄国の厳飾の事を以て己が仏土を成じ、無限の施を行じて相好を具足し、一切の悪を除きて身口意を浄め、生死の無数劫にも意に勇有り、仏の無量の徳を聞きて志倦まず、智慧の剣を以て煩悩の賊を破り、陰・界・入を出で、衆生を荷負して永く解脱せしめ、大精進を以て魔軍を摧伏し、常に無念実相の智慧の行を求め、世間の法に於いては少欲知足、出世間の法に於いては之を求めて厭くこと無し。而も世間の法を捨てず、威儀の法を壊らずして、而も能く俗に随う。神通慧を起こして衆生を引導し、念総持を得て聞く所忘れず。
現代語訳
そのとき、衆香世界から来た菩薩たちは、合掌して仏に申し上げました。「世尊、私たちは最初にこの国を見て、劣った国だという思いを抱きました。今は自ら悔い責めて、その心を捨てます。なぜなら、諸仏の方便は思いはかれないものだからです。衆生を救うために、それぞれの者にふさわしいように異なる仏の国を現しておられるのです。どうか世尊、少しばかり教えを授けてください。私たちの国へ帰ってから、如来を思い起こす手がかりといたします。」仏は菩薩たちに告げました。「有尽無尽の解脱の法門がある。あなたがたは学ぶがよい。尽とは何か。為される現象の世界、有為の法のことである。無尽とは何か。為されることのない世界、無為の法のことである。菩薩は、有為を尽くさず、無為にとどまらない。有為を尽くさないとはどういうことか。大慈を離れず、大悲を捨てず、すべてを知る智慧を求める心を深く起こして忘れず、衆生を教え導いて最後まで飽きず、四摂法を常に念じて実行し、正法を守って身命を惜しまず、善い根を植えて疲れ嫌うことがなく、志は常に方便と廻向に落ち着き、法を求めて怠らず、法を説いて惜しまず、つとめて諸仏を供養するゆえに、生死の世界に入っても恐れず、名誉も恥辱も心に憂いや喜びを生じず、学び始めの人を軽んじず、学ぶ人を仏のように敬い、煩悩に落ちた者に正しい念いを起こさせ、静かな遠離の楽しみを貴いとせず、自分の楽しみに執着せず、他人の楽しみを喜び、禅定にいるときは地獄にいるように思い、生死の中にいるときは庭園にいるように思い、乞い求めてくる者を見ては良き師と思い、持ち物をすべて捨てて一切智を備える思いをもち、戒を破る人を見ては救い守る思いを起こし、諸々の波羅蜜を父母と考え、悟りに至る法を眷属と考え、善根を起こし行うことに限りがなく、諸々の清らかな国の荘厳によって自分の仏の国をつくり、限りない施しを行って相好を備え、一切の悪を除いて身口意を清らかにし、生死の無数の劫にあっても心に勇気があり、仏の限りない徳を聞いて志が倦まず、智慧の剣で煩悩の賊を破り、五陰・十八界・十二入を出て、衆生を背負って永く解脱させ、大いなる努力で魔の軍勢を打ち伏せ、常に思慮分別のない真実の智慧の行を求め、世間の事柄には少欲知足で、世間を超えた法には求めて飽くことがない。それでいて世間の法を捨てず、立ち居振る舞いの法を壊さずに、俗世の人に従うことができる。神通の智慧を起こして衆生を導き、記憶と総持を得て聞いたことを忘れない。
解説

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